怪奇譚の作り方〜老人少年と信頼出来ない語り手〜
白井テル
プロローグ①
「ホラーを書きましょう。先生」
パソコンの画面の向こう側、俺の担当編集者である
「このところの先生の書く物語ですが、ミステリーと謳うにはあまりにも荒唐無稽すぎます。登場人物がトリックも何も無くただ全員死ぬだけの話は、ミステリーというより不条理文学かと」
「内容は兎も角、一応締め切りには間に合ったから褒めてほしいんだけど……」
「締め切りに間に合わせるのは社会人として当然の責務です。褒めるに値しないと思いますが、
六菱先生、こと俺は、Web会議画面に映る自分の姿を改めて眺め、剃るタイミングを失った顎の無精髭をそりそりと指で撫でた。
こうやって自分のことを記すと、なんだか虚しくなる。
「というか、何でホラー? なんか秘策があるわけ?」
「いえ、単純にホラーだと大方の不条理は許される傾向にあるからです。人が十人死のうが、幽霊が百体出てこようが、変な部屋が千室あろうが、「これはホラーです」と言ってしまえばこちらのものです。これは最早六菱先生に対する最終手段と言ってしまっても構わないでしょう」
「御堂ちゃん、編集者にしては豪腕すぎない?」
「どんなにつまらない映画でも、奇妙極まるサメをポンと出して「サメ映画です」と宣伝してしまえば受け入れられるのと同じです」
「御堂ちゃん、それ映画関係者に絶対言っちゃ駄目だからね」
話が逸れたが、要するに、彼女はスランプ気味な俺にミステリーを書かせることを諦めた、というわけだ。正直ミステリー作家と名乗ることに、矜持もこだわりも特に無い。変に駄々を捏ねるより、俺の担当になりたて、ピカピカ一年目の彼女の提案に乗ってみることにしよう。
「……ホラーねぇ。まぁ、前向きに検討してみるよ。幸い今住んでる町には、変わった噂が多いから、そこからアイデアを持ってきたりしようかな」
「理解が早くて助かります。——『夕闇に鴉哭く』のようなミステリー、好きだったんですけどね」
俺のデビュー作の名前を出すのは反則だろ、とツッコミながら苦笑する。最優秀賞に手が届かなかった因縁の作品。俺の運命を変え、拗れさせ、終いには枷となった若さ溢れる作品。彼女は一切笑わず、腕時計にちらりと視線を移して会話の纏めに入る。
「では、こちらからも資料を幾つか見繕って後日お送りします。一月後にまた打ち合わせ予定ですが、何かあればご連絡ください。本日はこれで。お疲れ様です」
「はーい。お疲れ様でーす……」
ぷつん、とWeb会議の画面が消え、その瞬間どっと疲労が押し寄せる。対面だろうとディスプレイ越しだろうと、身内以外の人間と会話するのは労力を使う。年齢が離れているなら尚更だ。のそのそと机から移動し、布団に仰向けに寝転がって、先程の会話を反芻する。
「ホラーって、簡単には言うけどねえ……」
◆◆◆
俺が住む町、
「なぁ
自室の向こうにあるキッチンに向けて、トントンと何か野菜を包丁で刻む音を立てている娘に声をかける。
「何? 今日は
「やった。いやメニューを聞いているわけじゃないんだけど」
彼女は包丁を置き、「じゃあ何だよ」と聞き返す。
「いや、この町——暦町の噂、何か一つでもいいから知らない? 出来ればホラー小説のネタになりそうなやつ」
「知らね。そういうの興味無いし」
そうだった。そういった現実主義なところは俺そっくりに育ったことを失念していた。思えば彼女は小学校の頃から、同じ年頃の女の子がハマりそうな学校の七不思議やら恋愛のおまじないやらには目もくれず、ただ普通に授業を受け、友達を作り、部活に勤しみ、小中高大と成長していった。ロマンチストとメルヘンから掛け離れた、俺以上にしっかり者な一人娘だ。
「母さんに相談したら? この町出身なんだろ?」
「えー? 今って確かあっちは昼の一時……いや、時差関係無く「そんなことで連絡するな」でキレられるわ。電話しない方がマシだ」
母さん、というのは俺の妻をここでは指す。何度教えられても一向に覚えられないカタカナで構成された職業と資格で、これまたカタカナばかりの国をひっきりなしに飛び回っている。盆と正月どころか、正月だけでも帰ってきたらまだ良い方だ。下手したら数年姿を見せていなかった時期もある。半年前の連絡から更新されていなければ、今頃はドバイにいるらしい。
「じゃあ自分で調べな。興味無いことに時間割けるほど、アタシも暇じゃ無いから」
「全くもってその通りではあるけど、我が娘ながら冷たいなぁ……」
「週三で飯作ってもらってる癖になんだその言い草は。青椒肉絲の肉抜くぞ」
「ごめんごめん。だから俺の飯だけピーマン炒めにしないで」
妻の故郷である地方都市で、愛しい娘と二人、上手くいかないながらも物書きとして平凡に生きていく。
そんな俺が都市伝説に遭遇し、ホラー作家として成功するなんて、その時は微塵も想像していなかった。
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