2話

死ぬ可能性がある場所に、私たちからしたら死地に向かっているのにも関わらず、博士はこれ以上の幸せなどないかのように楽しそうだった。顔に満面の笑みを浮かばせ、座って上半身を左右に揺らして楽しそうだ。

「あんた、どうしてそこまで楽しそうにできるの?最前線に行ってもらいたいわ。」

別に最前線に立つわけでもないアイリが文句を垂れる。死ぬ可能性がないわけではないのだけれど。

「別に行ってもいいんだよ私は?でも私が死んだ場合責任を問われるのは君たち、とりわけ班長という面倒臭い役職に就いている、君の大好きなアマガサ君だよ?いいのかな?」

博士からしたら軽い反撃だったのかもしれないが、アイリからしたらクリティカルだったようで黙りこくってしまった。しかし私のことが好きなことを否定しないとは思わなかった。

「博士は多少怪我したくらいじゃ死んだりしないだろ。何が代償なのかもわからないくせに、色々と便利な体で良かったな。」

超人病は代償と対価がある。マホガニーは目を、グラーズは右脚を、カモミールは生殖機能を失っている。それの対価として、人間を超越した身体能力とそれぞれが持つ能力を得ているのだ。アイリは千里眼のように遠くのことを見ることができるが、その代償として金運が全くない。金運がないというのは想像しにくいが、まあそういうものらしい。

「なんだい君は不躾だね。人間とはかけ離れた姿をしているのだから、それが代償なんだよきっと。それで私は賢くて運動もできてちょっとやそっとの怪我じゃ死にもしないパーフェクトヒューマンになったんだよ。」

この博士は母が超人病患者であり、母が病気を罹患している時に生まれたらしい。母親経由で、生まれる前から病気にかかっていた人間である。流産せずに生まれてきた例は他に前例がほとんどないらしく、特に成人したのは彼女が初めてなんだとか。

「博士って人間かどうかも正直怪しくない?腕4本あるし〜。」

「え?腕4本あるの?」

「そうだよ、ほら腕だよ〜。」

胸元のボタンを外し、胸だと思っていた部分から手が出てくる。ワサワサと動かして虫みたいだ。腕を組んで隠していたということらしい。

「ひゃっ!キモチワル!」

正直思っていたが口に出さなかった感想を、隣に座っている私を好いているらしい彼女が言ってしまう。身体的特徴についてはあまり言わない方がいい、親代わりとして教えることがまた一つ増えた。

「君、この完璧ボディが気持ち悪いとはね。腕が多いのはメリットも多いんだよ、例えばテニスでラケットを二つ持てるとかね。」

二つのラケットを持ったとして、同じ側の手で持っていたらラケットが干渉しあってうまく動かせないんじゃなかろうか。もっとわかりやすいメリットはなかったのか。キーボードを叩きながらコーヒーを飲めるとか、そういうの。目は四つ、いやそんな次元じゃない量あるんだった。なぜか記憶にある漫画の悪役みたいな、そんな身体構造をしている。腹に口があったら完璧なんだけれど。

「まあ私は気持ち悪い見た目をしているからね、それを隠すための努力をしているのだよ。髪が無駄に長いのもたくさんの目がある側の顔を違和感なく隠すためだし、露出のほとんどない服を着ているのも私の醜い部分を見せないためなんだよ。わかるかい片親気性難ベイビー?」

博士はニヤニヤと、嫌がらせのためにつけたあだ名が効いているかどうかを確かめながら隣を眺めている。あまり効いていないのか彼女は澄ました顔をしていた。効果がないことを確認するや否やつまらなそうな視線に変わり、話を続ける。

「まあ、文字通り私は人間離れしているからね。それを隠すのも一苦労さ。」

「へえ、人間らしくするのも大変ね。」

まるで博士が人間でないかのような言い草だ、確かに人間らしくはないけれど。いつのまにか止まった車から降りても、二人が攻撃を繰り返していた。

「ほら、アイリ?いつも通り魔獣がどこか確認して?」

アイリが来てからは、千里眼を使って魔獣の位置が確認できるからかなり行動が効率的にできるようになった。遠くを見ると彼女自身はかなり疲れるらしいが、班の役に立つために努力を怠っていない。千里眼も前はうまく扱えなかったのにめきめきと成長している。

「えっと、多分歩いて10分くらいかしら、それくらいの距離にいるわ。えっと見た目は、人みたいな感じ?」

「え!?人型なのかい!?まさか私の母国から海を渡ってここまで来ていたとはね!こうしちゃいられない、早く行かなくては!」

人型だとわかるや否や、博士は全速力で車道を走り始めた。なぜか頭に浮かんでくる有名アーティストのミュージックビデオ、走り方があまりにもたどたどしいからだろうか。バタバタと走る博士を眺めながら、遅れすぎないように後について歩き始めた。


——————————————————————————————————————


博士は体力のすべてを使い果たし、膝に手をついて全力で体の空気を循環させようと息をしていた。そこまで走ってもいないが、博士は研究職だろうから仕方のないことなのかもしれない。博士までたどり着いた一行が周りを見渡す。

「確かここの近くにいるはずなんだけど…逃げたか隠れたかのどっちかね。まあ私が見ればいいんだけど。」

「いや、痕跡を探せば簡単に見つかるはずだよ。そもそも私が知っている人型魔獣はそんな簡単に見つかることはないがね、さすがにそこまで遠くに行けるほど時間はなかったはずだ。」

「そこにいるけどな、博士。」

グラーズが指さす方向へ一斉に向くと、路上放置された車の後ろから顔を———恐らく顔であろう、目も口もない、顔の構成要素がないただの白旗———のぞかせている何かがいた。

「あ!あいつよあいつ!魔獣!」

アイリの声が響き渡るとともに、魔獣は焦ったように立ち上がりその足で逃げ出した。博士の走りとは速さが桁違いだ。討伐対象を逃してしまったら私たちの身の危険もある、戦闘要員の二人は素早く、博士は疲れてもう動きもしなさそうな足をもつれそうにしながら走り出す。

「殺さないでおくれよ!研究したいからねえ!傷ものにするんじゃないよ!」

勝手に同行して、勝手に走り出した自己中心的人間が尽きた息をどうにか口から声に変換して叫ぶ。走る二人が面倒くさそうな視線を博士に一瞬送り、そのまま後をつける。魔獣との距離はほとんど変わっていないようだったが、どちらかの体力がいずれなくなるだろう。その前に片をつけなくてはいけない。

「どうする?このままじゃ埒が明かないけど、追いかけ続ける?」

「いや、マホが迂回して挟みこもう。もしくは班長達のほうに逃げるよう誘導するか、どっちがいい?」

「私たちが捕まえられるとは思わないなあ。アイリが道を上から見て、道案内をすればいいかな。」

もう視界の外まで行った走っている二人と、無線を使って話し合い作戦を練る。アイリが目を閉じ力を込めている。

「えっと、マホは次の信号機を右に行って、グラと魔獣は前進。左は近道がないから行かないように誘導して。」

「了解。」

走りの風切り音とともに、なにか大きなものを動かしている音がする。そのあとすぐに車が一つ、回転しながら宙を舞った。それが落ちて形を維持できずに崩れる音がした。左に行かないようにするためにすることがこれとは、かなり豪快だな。

「右に行ったよ~。この後はどうするの、アイリちゃ~ん?」

「そしたらグラは3つ先の信号を右に行って。マホは次の交差点を左に行くと、橋みたいに道路が上下に交差してる場所があるからそこに行って待機しておいて。グラと魔獣が下、マホが上の道路にいる構図になるから、隠れておいてグラが着いたら降りて挟み撃ちにして。」

アイリが来てからというもの、私のやることはより一層なくなった。勿論私も自分のコンピュータである程度の情報は確認しているが、ここまでしっかりと命令を出すことはない。どこからでも好きなように好きなものを見られる彼女のほうが司令塔としては有能だ。

「彼女、性格は悪いけど有能だね。どうにか視界を共有できれば君たちも置いてけぼりにならなくてすむんだけどねえ?私がどうにかしてあげようか?」

「できるならありがたいですけど、そんなことできるんですか?まああなたの技術力を疑ってもしょうがないですけど。」

最初に私が見たものが博士の発明品ばかりで埋め尽くされていた基地だったから感覚が麻痺しているが、便利グッズばかりの世界ではなく、私が知っている世界と凡その技術力は変わらないらしい。それを支える技術は科学ではなく魔法らしいが。

「まあ私の技術力を超えられる個人はいないだろうね。機械で制御されてる自動車は私からすれば全部レンタカーみたいなものさ、無料ではあるけれどね。ほら、乗っていきな兄さんたち?」

「博士、車の運転いつも荒いじゃないですか。私が運転しますよ。」

近くに持ち主がいないはずの車が、ひとりでに人を乗せるための準備を済ませる。犯罪じゃん。私は助手席に座ってカミュが車のエンジンをかける。障害物を華麗によけながら進む。左右に大きく揺られながらグラーズが通った道をたどり、車が走る。

「グラが見えてきたよ、もう降りちゃっていいかな?」

「待って、私が合図する。3,2,1,…行って!」

開けた窓から聞こえてくる、どこか遠くの場所から大きな音を奏でて着地したみたいだ。続くように銃声が聞こえて止まる。私たちが音の発生源にたどり着いた時にはもう一仕事終わっていたようだ。

「博士が作った拘束弾、初めて使ったよ。まあそもそも銃なんて俺は使うこと少ないけどな。」

「私が作るものなんだから、使えないものなわけないだろう失礼だな君は。」

「殺さないってのも初めてかもね~。どうするのこれ?」

「勿論今後の世界のために有効に使わせてもらうよ?」

「あの~。痛いのはやめてくださいね?」

魔獣が喋る、沈黙が場を支配する。魔獣が喋った、会話の流れに違和感のない言葉を。

「えっと、痛いことするんですか?逃げてもいいですか?」

沈黙に耐えられないのか、また喋る。魔獣の知能では会話など理解できないはずなのに、会話に入ってきた。なにかの糸でぐるぐる巻きにされて、クネクネと動く以外できないだろうに逃げられるのだろうか。

「君、会話できるのかい?嘘だろそんなことがありえるのか!?なんだっていうんだ、そこまで知能が高いとは!?まずいなこれが他の研究者にばれたら皆こぞってこいつを使った研究をしようとするだろうでも私が見つけたものだ私以外に渡したくない!どうするか私の研究室に隠すか?いやそれじゃどうせ他のやつが入ってきてばれるに違いないどうする?」

博士は興奮のあまり一人でブツブツ、いやブツブツというには大きすぎる声でまくしたてる。私が見てきた魔獣と比べてすごいのはわかっているが、私が魔獣を見てきた歴史はあまりにも浅い。他の人と比べても衝撃も浅い。

「ねえ君、私と同棲しよう!そうすればなんの問題もない!いや君は人間ではないのだから人権は保障されていない、私の提案に拒否権はないぞ!」

「ええ!?同棲ってお嬢さん、もう少し自分の身を案じたほうがいいんじゃないですか!?」

「というか魔獣を隠そうとするのってこの国じゃ違法じゃない?死刑か無期懲役だよたしか?」

「じゃあその法律がないところまで逃げればいい!さあ君、私と行こう!」

「一番近くて海の先の内陸の独裁国家ですから、やめておいたほうがいいと思います。止めはしませんけど、あなたじゃ国も出れずに捕まりますよ。」

無謀な国外逃亡を企てようとして、仲間に否定されている博士が頭を抱えて考える。

「ああいやだいやだ!こいつは私のものだ!私以外に研究させたくない、変な奴が変な研究に使って死にでもしたら気が狂う!どうするどうする!?」

どうしようもないのではないか、そんな気がする。記憶のない私ではほとんど力になれないだろう。

「…私、殺される可能性あるんですか?」

「そりゃあ、人間ではないから好きなように研究されるだろうな。貴重な人型、それに会話のできる魔獣だから簡単に殺されることはないだろうけど。」

魔獣の質問に、私たちがわかる限界から導き出せる答えをさらりと代弁する。魔獣の顔にあたるであろう模様のない白旗が、なんだか青く変わったような気がした。

「…ん?そうか人間じゃないのか。なあ、十二班の入隊条件に人間であることって規定されていたかい?」

博士がよからぬことを思いついたのか、私たちに質問を飛ばしてくる。

「…特に人間でなくてはならないとか、そういった規定はなかったかと。人間以外が入ることなんてないので。」

「それで君は魔獣なんだ、だったら超人病を罹患しているともいえるね?」

「ねえ、もうなんとなく言いたいことわかったからやめてくれない?あんたのモルモットのお世話なんか私たちこりごりだけど?」

面倒ごとを押し付けようとしている博士を否定する。1対5、観戦者が1。

「私、自分のことは自分でできると思いますよ?曲がりなりにも成人してる、いや今の私は成人してるといえるのかわからないですけど。」

「そういうことじゃないな~君。博士の我儘にこれ以上付き合わされたくないってだけなんだよ~。」

「まるで私がいつも我儘を言っているかのような言い草はよしてくれ。いつものはただのお願いじゃないか。」

「立場を利用して強制してくるお願いはほとんど我儘ですよ。ええ、私が何度死にそうになったか。自分でやってくださいよ。」

カミュの再生力で死にそうになるとはどんな我儘だったのだろうか。想像のできない領域だ。

「まあいい。私が持っている強権を振りかざせばある程度の我儘は通る。筋は通っているのだから文句もつけようがない、完璧な論理だ。ははは。さあ、私のために動いてもらうよ?君たち?」

こういう人間に反抗しようとしても無駄なことは、何となくわかっている。流れに身を任せるしかないだろう。

「…君のことはどう呼べばいい?名前とかある?」

「名前ですか?覚えてないんですよね、人間時代の名前。というか人間だった時のこと、ほとんど覚えてないです。」

少し前の私と境遇が似ている。なんだか見逃せなくなってきた。

「じゃあ、フラッグ。顔が旗だからフラッグ。いい?」

「…ええ。安直でいいと思いますよ。」

本人からの了承も得られた。今日で二つも悩みの種が増えるとは思いもしてしなかった。

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