魔人編

1話

ここ数日、任務もなく何もすることがない。新人が入ってきて、何度かみんなで任務も行って、私も仕事に慣れてきたところだ。今日も机に向かっていろいろとよくわからないものに目を通して、いろいろ書いてなんかよくわからないことをする。慣れては来ても理解はしていない。いつかこの仕事を理解したうえでできるようになるのだろうか。というか、理解していない今の状況でも一日仕事漬けになるほどの量じゃない。もちろん副班長にも仕事を助けてもらっているとはいえ、前の私たちがずっと机に向かっていたといわれるほどじゃない。机に向かってもう数えるほどの量になったやることに手を動かしながら、聞いてみる。

「前の私たちってずっと仕事してたんだよね?そこまで量なくない?」

「おそらく班長が記憶喪失になっているので、仕事の量が減ってはいますね。でも、前の班長はずっと割り振られた仕事以上のことをしていましたよ。私が班の書類整理、班長はほかのことをしていて、私にもあまり中身について教えてくれませんでした。」

「それってさ、本当に仕事してたのかな?君に仕事押し付けて遊んでただけだったんじゃない?」

もう一つしかない紙に必要なことを書き足しながら、談笑とは言えないくらいの会話を続ける。昔の私がクソ野郎の可能性が高まっていく。どんな人だったのか。

「まあ、否定はできないですね。でも、私は仕事がしたくてここにきてるのでそれを汲んでくれていたのかもしれないです。」

そう思えない。今の私なら仕事よりも先に遊ぼうとしてしまう気がする。それに割り振られていない仕事なんてまっぴらごめんだ。今日の仕事がちょうど終わった。そこまで仕事をしたわけでもないが、もう今日は机でよくわからないものと向き合いたいとは思わない。

「アマガサ?仕事まだやってる?」

最近もう文句をいうのもやめた、勝手に布団に入り込んでくる自律式抱き枕が仕事部屋を覗き込んで聞いてくる。一緒に部屋から出てくることにとやかく言ってくる人もいないので、最近は部屋で少し遊んでから寝ることにしている。眠い時は幼子みたいに素直なくせに、日が出ている時はそれが嘘みたいにちゃんとしている。甘えたがりであることは日夜共通らしく、定期的に仕事の邪魔をしてくるが。カミュはそれをいいと思っているのかどうなのか知らないが、何も言ってこない。

「もう終わったよ。カミュは?」

「終わってますよ。今日も勝負しますか?」

どれだけ時間が経っても、二人の勝負は決まらない。毎回私とグラーズが、時々マホガニーが巻き込まれる。二人が勝つことはないのに、ずっと戦っている。仲が深まったと言えるかもしれない。

「いや、今日はそういう気分じゃないからいいや。あんたの読書を邪魔し続けるのは申し訳ないし、それに毎回巻き込まれてる人たちにもっと申し訳ないし。」

やっと私たちに罪悪感を感じてくれたみたいで嬉しい。仕事をした後に勝負に巻き込まれて、疲れながら子守をするのもうんざりしてきたところだ。トコトコと近寄って、私の膝に許可なく座る。仕事が終わっているのだからもう席から立とうと思っていたのに、それができなくなってしまった。でもこれに文句をつけるとまた面倒くさいことになるので、なにも言わないことにする。

「今日もマホに銃の使い方を教えてもらったわ。今度成果を見せてあげるわよ?」

勝手に私の上に座っている子供が、子供らしくないことを話す。アイリはもともとただの学生だから銃のことなどからっきしであるが、最近はグラーズとマホガニーに使い方を教えてもらっているらしくそれをよく教えてくれる。幼稚園児が今日あったことを教えてくれるそれと同じでほほえましい。彼女は後方支援の役割ではあるが、少しでも役に立とうと努力できるところが彼女の良さだ。来たときは触ると骨の感覚があったが、最近はそれも薄れてきた。食べても軟骨と皮くらいしか可食部がなかったような人間がここまですぐ肉がつくとは思わなかった。手癖で髪の毛をくしゃくしゃにしながら、彼女の楽しそうな独白に相槌を打つ。カミュは持ってきた本を副班長席で読んでいる。一度自分の部屋とか、リビングに戻ればいいのにそれをせずにここにいる。よく見ると本の読む手が全く進んでいない。二人は勝負を通して仲良くなったのだろうし、彼女の報告を聞きたかったに違いない。全く遊びに付き合ったりしてこなかったらしい彼女が変わり始めている、いい兆候だ。

この空間を楽しんでいると、携帯に通知が入る。横やりが入って少し膨れ顔の膝上を横目に、私は携帯に手を伸ばして通知を確認する。だれかよくわからない人からの連絡だった。

「なに、アマガサの新しい女?私がいるのに?」

いつの間にか私の女になっていたらしい膝上が、私の脛を執拗に踵で蹴りながら文句を言う。最初からは想像できないくらい独占欲が強い。

「え?班長彼女できたんですか?」

君まで勘違いしないでほしい。

「会えもしない彼氏をわざわざ作るもの好きがいるなら彼女ができるだろうけどね。あいにく知らない人からの連絡だよ。」

携帯を開いて誰からの連絡か確認する。無駄に傲慢な文体で来ているメッセージに怒りを表す者が一人。

「なによこいつ、お土産があるからそれに相応しい出迎えをしろって。おこがましいにもほどがあるんじゃない?」

「ああ、博士ですか。じゃあもう来てますし、別に出迎えもしなくていいですよ。」

「酷くないか君たち。私のおかげで君たちは存在していると言ってもいいのだよ?」

声の方を見ると、私よりも身長の高い、グラーズとそこまで身長の変わらない白衣を着た女が壁に肘をついて立っていた。

「博士。また職務放棄して私たちとお遊びですか?そろそろ減給されても何も言えないですよ?」

「いやぁ、これも仕事の内だよ。君たちは何もする必要はないし、カウンセリングと称して、私は君たちとおしゃべりして適当に書類を書けば仕事と認められる。完璧なサボり、いや気分転換だと思うだろう?」

サボりであることは否定できないらしい。私はもちろん彼女のことを知らないし、アイリも多分知らないだろう、私の腕を無理やり前に引っ張って自分を隠そうとしている。

「やあ、アマガサ君。記憶喪失になったんだろう、聞いているよ。すまないね、本当はすぐに来てカウンセリングをしたかったんだが、どうしても外せない急用ってやつがあってね。ここまで遅れてしまったよ。ああそうだ名前を言っていなかったね。私はドリー、魔獣研究課の博士だよ。君たちをバックアップしている貴重な味方だ、有難く思ってくれたまえよ?」

この部屋にいたこっちの二人とは違うタイプの面倒臭い女が追加されてしまった。聞いてもいないのに蘊蓄とか勝手に話してきそうな、話し合いは困難を極めそうな人だ。

「で?私のアマガサになんか用があるの?ないならさっさと帰ったら?」

いつの間に私は君のものになったんだ。あと知らない人に対してこの対応は良くない。あとで言い聞かせておかないといつか痛い目を合うかもしれない。

「君はアイリ君だよね、知っているよ?用がなくても人と会話するのは楽しいものなのさ、それを知ったときに君の世界はもうワンステップ上に変わるよ。つまり私は新人君と記憶喪失君を見にきただけなんだ、特に用はないがそれを踏まえてさっさと帰ったりはしない。なぜなら研究棟でやることは研究以外なくてつまらないからだよ!」

「タラタラ長文連ねて言ってることはくだらないわね。アマガサもあんたみたいなやつと話したくないと思う、ねえカモミール。」

「そうですね、あなたの話は冗長でいて退屈です。会話する気にならないですよ。」

「二人ともそこまで言うことないでしょ、ねえ?それでドリー博士、何か問題でも?」

「いや、ない。問題があったらそれこそ私は対処するような人間じゃないよ。後処理は私が一番嫌いな事だからね!」

なんだかカミュが冷遇していた理由が分かってきた気がする。彼女が運んで来た迷惑を幾度となく対処させられたのだろうと、彼女の渋い顔から察する。今のところ一対三の構図だが、博士はこれを覆せるのだろうか。

「全く、私は第一印象も長く付き合ってきての印象も最悪なのかい?自分で言うのもなんだがそこまで悪くないと思うんだけどね。」

「わざわざこの基地に入り浸る理由を作るために、近くに研究室を建てるような狂人をいいと思いますかね。」

それは確かに怖い。私たちに対する執着が異常だと感じてしまうかもしれない。

「記憶がないって分かってるはずの人間に対する連絡があれだけ高圧的で、普通はいいと思うかしらね?」

確かにあれはどういうノリなのかよくわからなかった。

「なんだい、それだけ君たちを信頼していて、興味を持っているという事なんだよ?ねえアマガサ君、この二人こんなに怖いんだよ助けておくれよ〜」

私に対してハグをしようとしているのか、手を広げて近づいてくる。私が記憶喪失だとわかっていてこれをしているのは正直怖い。カミュが立ち上がって博士の襟を掴んで止め、アイリが威嚇する。博士がグエッと間抜けな声を出す。

「あまりふざけすぎるのもよろしくないかと。誤射と言っておけば、私が処分されるだけで済むんですよ。」

「絶対殺さないでね?あの、前の私があなたとどういう関係だったのか知らないけれど、これは距離の詰め方として間違えていると思うよ。」

「はは、これは失敬。優しくなったと周りから聞いていたがそうだ当然、部下が変わったわけではないのだから仲良くできるわけじゃあなさそうだね。」

「いやまあ、もう少しマトモな会話ができているのなら仲良くしようとは思うけどね。ところで外せない急用って、一体なんだったの?」

仕事を常にサボっていそうな彼女が、外せない急用ならかなりの大仕事なのかもしれない。少々気になるから聞いてみる。

「お?それを聞いちゃうのかい?いいよ、君たっての願いなら教えてあげよう。なんだって特別な魔獣が出たとかでね、私の母国に行ったんだよ。そこまで存在しない人型の魔獣なんだって、そう聞いたんだよ。知っているかい?人型の魔獣の目撃例は数えるほどしかなくてね、文献に残っているもので150年前、およそ超人病が発生したとされる時期に眉唾物の目撃例があるだけらしいんだよ、面白いだろう!?」

話が長い。先に思っていた偏見が正しかった事を噛み締めながら、彼女が始めた人型魔獣についての講習を拝聴する。

「それでね、人型魔獣の目撃例が報告された場所に行って調査したんだよ。だけれどほとんど収穫は無しさ!最悪だよ嘘に惑わされて時間を無駄にしたんだからね!苦手なフィールドワークまでしたのに、これだったら最初から君たちと楽しくお喋りでもしておけばよかったさ!」

ずっとここに博士がいたとしたら、アイリがもっとずっと捻くれていたかもしれない。御免被りたい。

「もうね、本当に最悪だったよ!あそこまで人が多い都市で目撃証言が数件、それも肝心の内容がバラバラでどこにいたのかさえなにも足取りが掴めない!私だけじゃない他の博士もかなりの数出動した上で痕跡は一切ないのだよ、魔獣の知能じゃ到底不可能さ!きっと魔獣に扮した愉快犯に違いない!」

「ふーん、それはお疲れさま。嘘に弄ばれて、あんたが来るのが遅れて本当に良かったわ。」

いや、そもそも確証のない目撃証言だけでわざわざ博士が相当数動くのか。無駄に時間とそれだけの費用を使っているのだからそれはあり得ないだろう。ある程度の確証、裏打ちがあって調べたにも関わらずなんの証拠も掴めなかった。なんだかミステリーみたいだ。

「その目撃証言だけで動いたわけじゃないんだよね?目撃証言があった場所の近くの監視カメラとか、そういうのは調べたの?」

「勿論調べたさ、私がそこまで知恵が働かないような馬鹿じゃないからね!目撃証言近くは丁度様々な監視カメラの死角になっているか、それとも近くの監視カメラが壊されていたんだよ!つまり動く場所を計算した上でするりと針の穴を通すような動きをして逃げたのさ、魔獣のくせにね!」

呼ばれている博士も沢山いるのだからそれは当然調査済みか。それにしてもそこまでの知能を持ち合わせているとは、私が任務で何度か見た魔獣とは似ても似つかない。痕跡を人の記憶以外全て無くして、それで今はどこかに隠れている。討伐しようにもできるわけがない。

「多くの魔法を使ってまで調べたさ、魔獣が出す特有の魔力の痕跡まで!でも全てなかった、誰か共犯が存在していないと話が通じないよ!」

半ば狂乱状態で講習を続ける博士を、襟元を掴んでいた彼女が殴って宥める。ゴンと鈍い音がなって、博士は顔をブランと少し垂らしたあと、意識を取り戻したかのようにその長い前髪を振り上げて顔をあげた。そこからチラッと見えた顔は人間のそれではなかったが、ここではそこまで変なことではないので無視する。

「ああすまない、取り乱してしまった。でもそれだけ、私にとってこの失敗は響くものだったのさ。最近成功続きで、私は有頂天になっていたらしい。そうだね、これを教訓として自己反省に励むとするよ。」

「自己反省は年がら年中した方がいいと思いますがね。博士が役に立たないとは、相手は相当な強敵ですね。」

彼女は、博士の能力については信頼を置いているらしい。私は今のところ彼女のことを、難解なお喋り人形としか認識していないが、カミュが信頼をおいているのならその専門分野については無類の強さを発揮するのかもしれない。

それぞれの携帯に、うるさい通知が鳴り響く。任務が決まった合図だ。

「お?君たちなんだ都合がいいな、私も丁度外に出たいと思っていたんだ。私も魔獣を最近死体でしか見ていないんだよ、生きている魔獣で研究したいから同行させてもらおう。さあ、さっさと準備を済ませておくれ、私は待つのが大嫌いなのさ!」

この人任務先で置いていこうかな。うるさい通知よりもうるさい人間を横目に、支度をそれぞれ始めるのだった。

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