第3話 「忍び寄る影」

夜の静寂が、辺境の村を包み込んでいた。

風が木々を揺らし、遠くでフクロウが鳴く声がする。

鍛冶場の炉はすでに火を落とし、赤黒い残り火がわずかに光を灯している。


レオンは炉の前に座り、鉄槌を手入れしながら静かに息を吐いた。

——最近、妙な気配を感じる。

村人たちの間でも「森の奥で誰かが動いている」という噂が広まっていた。

しかし、実際に何者かを見た者はいない。


レオンは手入れを終えた鉄槌を壁に掛け、ふと外の闇を見やった。

そして、その瞬間—— 鍛冶場の裏手で、かすかな物音がした。


レオンは無言で立ち上がり、鍛冶場の扉に手をかけた。

夜風がわずかに吹き込み、鉄の匂いと焦げた炭の香りを運ぶ。

物音は微かだったが、確かに聞こえた。


彼はそっと鍛冶場の影に身を潜め、耳を澄ませる。

—— ガサリ。

茂みがわずかに揺れ、何かが動いた気配がする。

だが、すぐに静寂が戻った。


レオンは手元の火かき棒を握りしめ、注意深く周囲を見渡す。

だが、それ以上の気配は感じられなかった。

「……気のせいか?」

そう呟いたが、胸の奥に違和感が残る。


彼は深追いせず、扉を静かに閉じた。

しかし、確信した。何かがこの村を窺っている。

そして、それは単なる獣や迷い人ではない——。


翌朝、レオンはいつも通り鍛冶場の準備を整えた。

しかし、村の広場には緊張した空気が漂っていた。

ゴルドが腕を組み、倉庫の前で険しい顔をしている。

「おい、鍛冶屋……ちょっと来てくれ」

彼の背後では、数人の村人がざわざわと話していた。

「倉庫が荒らされた」


レオンはゴルドの呼びかけに応じ、倉庫の前に足を運んだ。

扉は半開きになっており、内部は薄暗い。

中を覗き込むと、木箱が乱雑に動かされているのが分かった。

「……何が盗まれたか?」


「それが、おかしな話でな」

ゴルドは倉庫の中に入ると、木箱の一つを指差した。

「食料は手つかず、金目の物もそのままだ。けどな——」

「武器や農具だけが荒らされてる」


レオンは箱の中を確認する。

鍛冶場で修理したばかりの鎌や包丁が、無造作に転がっていた。

だが、いくつかの道具が消えている。

「なるほどな……」


村人の一人が、不安そうに口を開く。

「こんなこと、今までなかったぞ。狼か何かじゃないのか?」

「狼が鎌を持って行くならな」

レオンの皮肉に、村人は苦笑いしながら肩をすくめる。


ゴルドが渋い顔で言った。

「これ、やっぱり誰かが様子を探ってるってことか?」

「間違いないな」レオンは即答する。

そして、視線を倉庫の入り口に向けた。

入り口の木枠には、見慣れない“印”が刻まれていた。


レオンは刻まれた印を指でなぞった。

荒削りな線が交差し、独特の形を作っている。

「……これは何の印だ?」


ゴルドが険しい顔で言う。

黒牙団こくがだんのマークだ。だが、何かおかしい」

「普通、盗賊がこんな証拠を残していくか?」


村人たちも驚いた顔をする。

「じゃあ、なんでわざわざこんなものを……?」

「脅しだろうな」レオンが静かに言う。

「“俺たちはもうお前たちを見ている”……そういうことだ」


ゴルドが歯噛みする。

「クソ……そうやってビビらせて、村を戦わずに奪おうって腹か」

「いや、それだけじゃない」

レオンは印をじっと見つめ、冷静に言った。

「……何かを探している動きだ。普通の略奪とは違う」


村人たちの間に、不安が広がる。

「奴ら、本当にここを襲うつもりなのか……?」

「こんな小さな村を狙って何の得があるんだ?」


レオンは刻まれた印を見つめながら、静かに言った。

「だからこそ、まだ決定的な動きはしてこない」

「ただの略奪なら、もっと直接的に襲ってくるはずだ」

「なのに、連中は様子を伺っている。つまり——」


ゴルドが息をのむ。

「……村を“奪る”つもりってことか」


レオンは黙って頷いた。

黒牙団のやり口は、単なる盗みではなく「支配」にある。

拠点を作るのに適した村を見つけたら、まずはじわじわと恐怖を与え、

村人たちが戦意を喪失した頃に、完全に乗っ取る。


「今はまだ様子見の段階だが……長くはもたねぇな」

ゴルドの言葉に、村人たちの顔がさらにこわばる。

「戦うしかねぇのか?」誰かが小さな声で呟いた。


レオンは小さく息を吐いた。

「……ひとまず、鍛冶場に戻る。やれることを考える」


ゴルドが頷き、村人たちもゆっくりと解散していく。

レオンは倉庫を後にし、鍛冶場へと戻った。


扉を開けると、そこにはいつもと変わらぬ鉄の匂いが漂っていた。

彼はゆっくりと腰を下ろし、火かき棒を手に取る。

そして、鍛冶場の炉を見つめながら、静かに言った。


「……まずは武器を整える」


鍛冶場でのレオンの言葉は、すぐに村全体へ広まった。

「黒牙団がこの村を狙っている……?」

「戦うしかないのか……?」


村の広場に、いつの間にか大勢の村人たちが集まっていた。

表情には不安と焦りが浮かんでいる。


「……なぁ、ゴルド。俺たち、本当に戦えるのか?」

若い農夫が、逞しい腕を組みながら言った。

「村には兵士もいねぇし、武器だってろくにない。

黒牙団とまともにやり合うなんて、無茶じゃねぇか?」


すると、別の男が声を上げる。

「じゃあ逃げるのか? どこへ?」

「王国の町へ行けば、兵士がいるだろ!」


その言葉に、別の村人が鼻で笑った。

「王国の兵士が、俺たちみたいな辺境の村人を助けるか?」

「助けを求める前に、門前払いされるのがオチだぜ」


沈黙が広がる。


レオンは村人たちを見渡し、静かに言った。

「……どっちが正しいとは言えねぇ」

「逃げるも、戦うも、ここにいるお前たちが決めることだ」


村人たちの議論は、さらに混乱を深めていった。

「けどよ……こんな村を狙って、奴らに何の得がある?」

一人の男が、腕を組んでぼやく。


「そうだ! 俺たち、金持ちでもねぇし、大した作物もねぇ!」

「ただの略奪なら、もっと裕福な町を狙うはずだろ?」


その言葉に、ゴルドが渋い顔で唸る。

「確かに……普通の盗賊なら、こんな村に時間をかける理由がねぇ」

「なのに、連中は様子を探ってる……何かを探してるのか?」


村人たちがざわつく。

そして、誰かがぽつりと呟いた。


「……まさか、鉱山か?」


その言葉に、一瞬、空気が張り詰める。

「あの旧鉱山……王国が封鎖してるんだろ?」

「まさか、何か貴重なもんが眠ってるのか?」


レオンは無言で村人たちの顔を見渡した。

そして、心の中で確信に近づく

「やはり、狙いは鉱山か……?」


レオンは村人たちの視線を受けながら、静かに息を吐いた。

「旧鉱山か……確かに、王国はあそこを封鎖している」


村人たちのざわめきが大きくなる。

「ってことは、やっぱり……!」

「けど、鉱山なんて何年も放置されてるんだぞ?」


ゴルドが渋い顔で言う。

「王国が封鎖した理由は、『もう鉱脈が枯れたから』って話だったな」

「だが、それが本当なら……何で盗賊どもが狙う?」


沈黙が広がる。

レオンは考える。

王国は“煌赫鋼こうかくこう”の存在を隠すために鉱山を封鎖した。

だが、そのことを知る者はほとんどいないはず……。


「とにかく、奴らの目的が何にせよ、襲われるのは時間の問題だ」

レオンは言い切った。

「ここで戦うのか、それとも逃げるのか……お前たちが決めろ」


村人たちは顔を見合わせた。

沈黙が続く。誰もが迷っている。


「……戦えるのか?」

誰かが小さな声で呟いた。

「俺たち、鍛冶屋でも兵士でもねぇ。ただの農民だぞ」


「けど、逃げたところで保証はねぇぞ」ゴルドが言う。

「王国の町に行ったって、見捨てられる可能性のほうが高い」

「それなら、ここで踏ん張るしかねぇだろ」


「そんなこと言って、全滅したらどうする!」

「家族がいるんだぞ! 子供を戦わせるのか!」


怒鳴り合いになりかけたその時——


「どちらを選ぶにしても、時間はねぇぞ...」

レオンの低い声が、その場を静めた。


「戦うにせよ、逃げるにせよ、準備がいる」

「決めるなら、今すぐだ」


村人たちは互いの顔を見ながら、静かに考え込んでいた。

それぞれに不安があり、恐怖もあった。

だが、誰もが「この村を捨てたくない」という思いを抱いていた。


「……やっぱり、逃げるのは無理だな」

ゴルドが大きく息を吐きながら言った。

「王国に行っても助けがある保証はねぇ。だったら、ここでやれるだけやるしかねぇ」


「そうだ。ここは俺たちの村だ」

「何もせずに奪われるなんて、ゴメンだ」


最初に戦うことに躊躇していた者たちも、徐々に意志を固め始める。

「……俺たちにもできることがあるなら、やるしかねぇな」

「そうだ、ただ黙って待ってるのはもう嫌だ!」


次第に、村人たちの間に「戦う覚悟」が生まれていく。


レオンはそれを静かに見つめ、ゆっくりと頷いた。

「なら、決まりだな」


彼は立ち上がり、鍛冶場へ向かいながら最後に一言。


「これから、武器を作る」



鍛冶場に戻ったレオンは、作業台の上に並べられた武具を見つめた。

鎌、斧、鍬、包丁——どれも本来は戦うためのものではない。


「……これを、戦える武器にしなきゃならねぇか」


火床に炭をくべ、ふいごを踏む。

炉の温度が上がり、赤々とした光が鍛冶場を照らし始めた。


「鍛冶屋、何か手伝えることはあるか?」

ゴルドが作業場に顔を出し、後ろには数人の村人が立っていた。


「薪を運んでくれ。炉を絶やすわけにはいかねぇ」

「おう、任せろ!」


若者たちが炉の周りに薪を積み、ゴルドは鉄材を運ぶ。

村人たちも、それぞれできる仕事を探し始めていた。


レオンは鉄槌を手に取り、目の前の鉄を見据える。

「今あるもので、最高の武器を作る」

その言葉を胸に、最初の一撃を振り下ろした——。


カンッ——!

鉄槌が鉄の塊を叩き、鋭い音が鍛冶場に響く。


レオンは無駄なく、正確に鉄を打ち延ばしていく。

熱された鉄が火花を散らしながら形を変えていく様は、まるで生き物のようだった。


「すげぇ……」

ゴルドが息をのむ。

村人たちも手を止め、レオンの鍛造の様子に見入っていた。


「見てる暇があったら手を動かせ」

レオンは淡々と言い、再び鉄槌を振り下ろす。


「お、おう!」ゴルドたちは慌てて作業を再開する。


レオンの額には汗が滲んでいたが、表情は鋭いまま。

「これでいい……」

形が整った刃を炉に戻し、さらに熱を加える。


カンッ——カンッ——!

打撃の音が、村に響き渡る。

これはただの戦いじゃない。

「生き残るための刃」 を作る戦いだ。


レオンは額の汗を拭い、炉の火を見つめた。

炎の熱気が肌を焼き、鍛え上げられた鉄が赤々と輝く。


カンッ——カンッ——!


鉄槌が振り下ろされるたび、火花が飛び散る。

村人たちはそれを固唾を飲んで見守っていた。


「……悪くねぇな」

レオンは刃の形を確認し、ゆっくりと頷く。

「あと数日あれば、もっと戦える武器が揃う……」


その時——


——バンッ!!


突然、鍛冶場の扉が勢いよく開いた。

強い風が吹き込み、火床の炎が大きく揺らぐ。


「鍛冶屋! 大変だ!」


ゴルドが血相を変えて飛び込んできた。

その背後には、村人たちの緊迫した顔が並んでいる。


「すぐに来てくれ! 」


レオンは鉄槌を置き、立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る