第2話 「最初の依頼」

鍬の試し打ちを終えたゴルドは、しばらく無言で鍬を見つめていた。

周囲の村人たちも息をのんでいる。

「……本当にお前が、これを直したのか?」

ゴルドが半信半疑で問いかけると、レオンは静かに頷いた。


「これが鍛冶師の仕事だからな」

淡々とした口調だったが、その言葉には確かな自信があった。

ゴルドは鍬の刃先を指で撫で、深く息をつく。

「……すげぇもんだな」

それを聞いた村人たちの間に、ざわめきが広がる。

やがて、一人の老人が一歩踏み出し、レオンの前に小さな包みを差し出した。

「これも見てくれんかの?」


包みを開くと、中には古びた包丁が入っていた。

刃はすっかり錆びつき、刃こぼれもひどい。

「もう何十年も使っとるが、さすがに切れ味が落ちてな」

レオンは包丁を手に取り、じっと観察する。

刃の厚み、柄のバランス、使い込まれた跡——。

「……鍛え直せなくはないが、これなら新しく作った方がいい」


そう呟くと、村人たちが驚いたように顔を見合わせる。

「鍛え直せないのか?」ゴルドが尋ねる。

レオンは包丁を指で弾き、乾いた金属音を聞きながら答えた。

「この包丁は長年使われてきたいい道具だが、鉄が限界を迎えている」

「鍛え直せば多少は切れるようになるが、すぐにまた駄目になるだろう」

レオンの言葉に、老人は少し残念そうな顔をした。


「だが、新しく作れば長く使える。お前さんの手に馴染む一本をな」

そう言うと、村人たちの間にどよめきが広がった。

「新しく作る……だと?」

「そんなことができるのか?」

「鍛冶師にとって、その人にあった道具を作ることは当然のことだ」

レオンはそう答えたが、次の瞬間、ある問題に気づいた。

「……だが、鉄が足りないな」

村人たちが一斉に沈黙する。


「鉄がないってことは、作れないのか?」ゴルドが腕を組む。

「いや、不要な鉄を集めればなんとかなるかもしれん」

レオンは辺りを見回し、村人たちに向かって言った。

「古くなった道具や壊れた金具があれば持ってきてくれ。それを溶かして作る」

村人たちは顔を見合わせ、しばらく沈黙していた。

やがて、一人の男が口を開く。

「……そんなので、本当に作れるのか?」

「やってみなければ分からんが、やる価値はある」


レオンの言葉に、ゴルドが頷いた。

「なら、試してみるか。村には壊れた農具が山ほどある」

彼がそう言うと、他の村人たちも次々に口を開く。

「俺んとこにも、使えねぇ釘や錆びた包丁があるぞ」

「昔の鍋とかでもいいのか?」

「十分だ」

レオンは微かに笑い、腕を組んだ。


「今日のうちに集められるだけ集めてくれ。すぐに作業に入る」

村人たちは次々と動き出し、それぞれの家へと戻っていく。

しばらくすると、鍛冶場の前には壊れた鉄くずが山のように積み上げられた。

レオンはその光景を見つめながら、静かに呟く。

「これで、まず一本作れるな」


レオンは鉄くずの山から使えそうなものを選び始めた。

「これは駄目だな……こっちはまだ使える」

鍛冶師の目で見極めながら、慎重に素材を選んでいく。

ゴルドが興味深そうに覗き込んだ。

「そんなボロボロの鉄が、本当に包丁になるのか?」

「なるさ。だが、その前にまずは……」

レオンは選んだ鉄片を炉の中に放り込んだ。

火が勢いを増し、鉄がゆっくりと赤く染まっていく。

ふいごを押し、炎の温度を上げながら彼は言った。


「鉄を“再生”する必要がある」

村人たちはじっとレオンの手元を見つめている。

鍛冶屋の仕事など、間近で見たことがない者がほとんどだった。

「カァン……カァン……!」

炉の熱気の中、レオンのハンマーが火花を散らす。

村人たちの心に、次第に期待の色が生まれ始めていた——。

鉄は赤から橙、そして白へと変わり、ついに鍛えられる状態になった。

レオンは火の中から鉄を引き上げ、作業台に叩きつける。

「カァン! カァン!」

鋼を叩く音が村の広場に響き渡った。

村人たちは息をのんで見守る。

レオンの動きには一切の迷いがなく、まるで鉄と対話するかのようだった。

「なんて手際だ……」ゴルドが思わず呟く。

火花が舞い、鉄の塊は徐々に刃物の形を成していく。

「普通、包丁を作るのに何日もかかるはずだろ?」

「なんでこんなに早く形になるんだ?」

レオンはハンマーを振るう手を止めず、静かに答えた。

「……鉄が、どう鍛えられたがっているかを知っているだけさ」

その言葉に、村人たちは戸惑いの表情を浮かべる。


まるで鉄と意思疎通しているかのような発言。

それを証明するかのように、彼が叩くたびに鉄は無駄なく形を変えていく。

まるで、最初から包丁になることが決まっていたかのように——。

村人たちは背筋がぞくりとするのを感じた。

彼の鍛冶はただの技術ではない。何かが違う。

だが、それが何なのか、誰にも分からなかった。


やがて、レオンはハンマーを置き、鋼を炉へ戻した。

「だが、これで終わりじゃない」

火を弱め、鉄をゆっくりと冷ます。

「鉄を休ませ、次の工程に備える……本当の鍛冶はここからだ」

村人たちは期待と興奮を抱えながら、その場を後にする。

こうして、レオンの鍛冶屋としての初めての夜が更けていった。



翌朝、鍛冶場の炉に再び火が灯った。

レオンは慎重に鋼を取り出し、光にかざす。

鉄の表面はしっかりと締まり、内部の歪みもない。

「これなら、十分だな」

ふいごを押し込み、炎の温度をさらに上げる。

今日の工程は「焼き入れ」。

鋼をさらに硬くし、刃物としての切れ味を決定づける作業だ。

レオンはじっと火を見つめ、鋼を熱の中へと沈めた。


「……」

村人たちも集まり、息をのんで作業を見守る。

「焼き入れってのは、どういうことだ?」

ゴルドが隣の老人に尋ねる。

「鍛えた鉄を高温で熱し、一気に冷やすことで強度を上げるんじゃよ」

「だが、下手をすれば脆くなる。素人がやれば、ただの鉄屑になるだけじゃ」

「だが——」

老人はじっとレオンを見つめた。

「この男の手にかかれば、違うものができあがるじゃろうな……」

鋼が深紅に染まる。

レオンはその色を見極め、慎重に取り出した。

「——今だ」

一瞬の迷いもなく、水の張られた桶へと鋼を沈める。

「ジュウゥゥウウッ!!」

蒸気が立ち上り、鍛冶場が一気に熱気に包まれる。

村人たちは思わず後ずさった。

「す、すげぇ音だ……」

「まるで、鉄が叫んでるみてぇだ……」


レオンはじっと桶の中を見つめ、鋼の変化を感じ取る。

やがて、蒸気が収まり、彼は静かにそれを取り出した。

「……上出来だ」

鋼の表面には、独特の波紋が浮かび上がっている。

ゴルドが思わず息をのむ。

「なんだ、この模様は……?」

レオンは刃を光にかざし、短く答えた。

「……これが、よく切れる証拠だ」


レオンは焼き入れを終えた鋼を作業台に置いた。

しかし、まだこれは「ただの硬い鉄の塊」にすぎない。

ここから刃を整え、切れるように研ぐ作業が必要だ。

「……次は仕上げだ」

彼は鍛冶場の隅から砥石を取り出し、水に浸した。

ゴルドが興味深そうに覗き込む。

「研ぎってやつか?」

「そうだ。どんなにいい鋼でも、研がなければ意味がない」

レオンは包丁を砥石に当て、ゆっくりと動かした。


「シュッ……シュッ……」

金属が研がれる微かな音が鍛冶場に響く。

村人たちはじっとその動きを見つめていた。

レオンの手つきは無駄がなく、まるで水が流れるような動きだった。

「……こいつ、本当にすげぇな」

誰かが小さく呟く。

やがて、刃は滑らかな輝きを放ち始めた。

レオンは慎重に指で刃先を撫で、微かに笑う。

「これで、ようやく“道具”になったな」


レオンは完成した包丁を手に取り、じっと刃を見つめた。

その切っ先は、まるで静かな獣の牙のように光を放っている。

「試し切りをするか」

そう言いながら、鍛冶場の隅に置いてあった野菜を手に取る。

ゴルドが驚いたように眉をひそめた。

「野菜を切るのか?」

「包丁は武器じゃない。料理のための道具だ」

レオンは無駄なく刃を振るい、軽くトマトに触れた。


「スッ——」

村人たちは息をのんだ。

刃が触れた瞬間、トマトは音もなく真っ二つに割れた。

断面から、瑞々しい果汁が静かに滴る。

「す、すげぇ……!」

レオンは満足そうに頷き、包丁を老人に差し出した。

「これでいいだろう?」

老人は震える手で包丁を受け取り、しばらく無言で見つめていた——。


老人はゆっくりと包丁を握り直し、震える声で呟いた。

「……こんな切れ味の包丁、生まれて初めて見た」

周囲の村人たちも、驚きと興奮を隠せずにいる。

「これが……鍛えた刃か……」

ゴルドが腕を組み、深く頷いた。

「お前の鍛冶は本物だな」

それまで疑いの目を向けていた村人たちの表情が変わる。

次々と道具を持ち寄り、「これも直せるか?」「鍛え直してくれ」と声をかける。

レオンは静かにそれを見渡し、小さく微笑んだ。

「鍛冶屋は、仕事を受けるのが本分だからな」

そうして、村人たちの信頼を得たレオンの鍛冶屋は、正式に動き出した。


しかし——その様子を、遠くの森の影から見つめる者たちがいた。

「この村か……」

粗末な鎧をまとい、汚れた武器を持つ数人の男たち。

そして、静かだった村に、新たな脅威が迫る——。


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