第5話

救援到着から一時間。


「さて、それじゃあ始めるか」


 ゴブリンの死体も粗方魔力へと還り、不快な血臭だけがこびりついた第一階層最深部にて。Sランク探索者、伊ノ浦霧木は気だるげに呟く。


「さっさと終わらせて帰りましょー。明日はオフなんですからー」


 間延びした、やる気を一切感じさせない声でそれに応じたのは、スーツを着た―といってもボタンは留めていないしネクタイもつけていないが―女性。肩口までのばされた髪には金色のメッシュが入っており、加えて耳には無数のピアス。軽佻浮薄けいちょうふはくという言葉がそっくりそのまま人の形をして出てきたような印象の人物だ。


「は、お前がオフ?笑わせんなよ神浦こうのうら普段碌ろくに働きもしないお前に休暇なんて必要ねえ」


「うぇー」


「それに明日は日曜日。ニチアサをリアルタイムで見るチャンスなんだ。最悪お前だけ残して帰るからな。それが嫌なら働け。やるぞ。現場検証」


「ちぇー」


「今回のイレギュラーは二つだ。一つ目は式見空也。魔力ゼロのこの男がいかにして〈祭祀フェス〉を壊滅させ、ゴブリンロードを殺したのか」


「それに関しては女子高生からの証言がありますよー」


「何?」


 ぎょっとする霧木。あんな目にあってなお、証言を行う余裕があったというのか。霧木の困惑をよそに神浦は続ける。


「なんでも、さくりふぁいすと叫んでいたとか。何ですかね、さくりふぁいすって」


「馬鹿が露呈ろていしてるぞ神浦。確かにマイナーな魔法だが、どの参考書にも教書にも名前と概要だけなら必ず載っている一般的な魔法だ。犠牲魔法サクリファイス。自らの体を捧げ、魔力を底上げする魔法。でもよ、それなら妙だ」


「ええ?何がですかー?搬送時の式見空也は両腕が欠損していたんですよねー。それならそれを生贄として捧げたって考えれば辻褄は合いませんかー」


「だからなぁ、さっき言っただろうが。犠牲魔法サクリファイスは『魔力を底上げする魔法』なんだよ。魔力がゼロのやつが魔力底上げしてどうする。ゼロに何かけてもゼロだろうが」


「確かにー。でもだとしたら何なんですかー?」


「さあな。しかもこのあと、第五階梯魔法だ。魔法名は忘れたが、〈冬の聖女〉が使ってるのを見たことがある。仮に奴の魔力ゼロが不正確で、犠牲魔法サクリファイスが使えたとしても、両腕程度の犠牲で使えるわざじゃねえ」


「とにかく現時点で分かることは無いってことですかー」


「腹立たしいがな。いったん棚に上げて二つ目に行くしかねぇ。二つ目のイレギュラーは黒瀬澪くろせみお。ゴブリンロードが一階層まで出向いて〈祭祀フェス〉を開くような逸材。奴は一体、何者なのか」







「もう一度、聞いてもいいか?」


「どうぞ」


「今、何月?」


「九月です」


 何度聞いても結果は変わらない。俺は半年間昏睡状態にあったらしかった。神様の話から覚悟はしていたが、これほどとは。

 

 数時間前、意識を取り戻した俺は矢継ぎ早にあらゆる検査を受けさせられた。なぜ腕が復活しているのか。心当たりはないか。医者に何度も問われたが、白を切った。言っても信じてもらえるとは思えなかったし、研究機関に送られたりしたらどうなるか分かったものではない。

 とにもかくにも突如復活した両腕以外には異常は見られないということだった。半年間の昏睡状態で体がだいぶ衰弱しているため、一か月は入院が必要らしいが。

 検査結果を聞き終え、一息ついたところで現れたのが今俺の質問に答えてくれた少女だ。名前を黒瀬澪。俺が助けた、あの女子高生である。長い黒髪に整った顔立ち。かわいらしさよりは美しさを感じさせる少女だった。感情の表出が少なく、言動も無駄がない。理知的で、ともすれば早熟さとも取れるかもしれない印象を覚えた。


 昼下がりの優しい日差しがリノリウムの床を照らしている。どことなく穏やかな雰囲気だった。


「半年か・・・・。実感湧かないな。黒瀬は大丈夫だったのか?怪我とか」


「特には。縄で縛られたせいで、手が軽くうっ血状態になっていたぐらいです」


「そうか。それは良かった。ところで今日は学校無いの?」


「今日は日曜日です。学校はありません。・・・・両腕、治ったのですか?」


「ああ。何とかな。いやーもうだめかと思ったが、良かったよ本当に。まあ仮に治らなかったとしても、君を守れたならそれで」


「良くありません」


 冗談を言ったつもりだった。わざとキザなセリフを言って、彼女の無表情が少しでも崩れたらいいと思って言った言葉だった。

 彼女は、泣いていた。


「良くありません。私が助かったとしても、あなたがその結果不幸になるのなら、それは『良かったこと』なんかではありません」


「・・・・・・・・そうかな。それはそんなに不幸なことか?」


「当たり前です。誰かの犠牲が伴う幸せなんてありえません。それはもう犠牲が伴った時点で不幸せなんです。私には誰かの命を踏み台にしたという重荷が、あなたは両腕を失うという欠陥がのこる。救った方も救われた方も、幸せになんかなれはしない。だから」


 彼女は右手を握った。冷たい。でも力強い。


「本当に良かった。あなたの両腕が犠牲にならなくて。私は『幸せ』です。式見さん。あなたのおかげで。あなたはどうですか?」


「ああ・・・・」


 『幸せ』。

 犠牲が伴わない、誰も不幸にならない『幸せ』。俺はどこかでそれを諦めていた。諦めざるを得なかったのだ。なぜなら俺には力がなかったから。何の犠牲もなしに何かを救えるだけの力は、俺には無かった。

 でも、今分かった。諦めてはだめだと。犠牲を出さないことを、強くなることを。なぜならこれはこんなにも。


「幸せだ」

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る