第23話 闇に染まりし者の記憶

崩れ落ちたヴァルス城の廃墟の中、黒い霧がゆっくりと漂っていた。その霧はまるで過去の記憶が形を失い、虚無へと還っていくような不気味な静けさをまとっていた。


その中心に、一つの黒い結晶が輝いていた。レオが戦いの中で砕いた、ヴァルスの魔力の残滓――そして、彼の記憶のかけらだった。


結晶に触れると、過去の映像が霧の中に浮かび上がった。


「お願いです! どうか、家族を助けてください!」


それは、まだ若く、優しい眼差しを持ったヴァルスの姿だった。彼は膝をつき、古びた神殿の石畳に頭を垂れていた。


周囲には、崩れかけた柱と、ひび割れた石像が並んでいた。神殿はかつて光の神々を祀っていたが、今では廃墟となり、影と虚無が支配する場所となっていた。


「お前が望むのは、力か……?」


神殿の奥から、虚無そのもののような声が響いた。どこからともなく、冷たい風が吹き抜け、ヴァルスの体を刺した。


彼は震える声で答えた。


「はい……家族が、病に倒れてしまいました。この世界のどの魔法でも癒せないと言われて……でも、あなたなら……!」


影の中から、黒い霧がゆっくりと形を成し、不定形な存在が彼の前に現れた。


「代償は大きいぞ。虚無の力は、全てを奪う。」


ヴァルスは、迷いを見せなかった。


「構いません……家族さえ救えるのなら、私は……!」


影は静かに笑った。


「では、契約を交わそう。」


黒い霧がヴァルスの体に巻き付き、彼の肌に冷たい感覚をもたらした。霧は彼の体に吸い込まれ、血管を黒く染め、目には虚無の影が宿った。


彼の心は徐々に蝕まれ、温かな記憶や愛情は薄れていった。しかし、その奥底にはまだ、家族を守りたいという微かな願いが残っていた。


映像は変わり、病に伏せる妻と幼い娘の姿が浮かび上がった。ヴァルスは彼女たちの手を取り、虚無の力を使い病を癒した。


一瞬、光が差し込んだかのように、家族は笑顔を見せた。しかし、彼の周囲には黒い霧が広がり、彼の姿を覆い隠していった。


「お父さん……?」


娘の小さな声が、霧の中に吸い込まれた。


それから、彼の記憶は断片的に映し出された。


- 家族を守るために、村を襲う魔物たちを虚無の力で葬り去る姿。

- だが、次第にその力は制御を失い、彼の周囲の者たちをも飲み込むようになる。

- 彼を恐れる村人たち、家族さえも彼から離れていく。


「違う……私は、守りたかっただけなのに……」


彼の心は虚無に蝕まれ、愛情も希望も消え去り、ただ力を求める存在へと変わっていった。


映像が霧散し、現実に戻ると、黒い結晶は音もなく砕け散った。


虚無に染まる前のヴァルス――家族を愛し、守ろうとした男の影は、もうどこにも存在しなかった。ただ、虚無の中に消えた魂だけが、彼の願いを叶えることなく彷徨っているのだろう。

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