拒否
「美味しっ!?」
カップを傾げたアイリスは思わず声を張り上げそうになった。
アイリスは応接室からは出ずに扉を開けたまま居住区の台所を案内した。そしてオスレイに紅茶を淹れてもらい早速口をつけたのだ。
紅茶の美味しさがまるで違う。味は雑味がなくすっきりとしており、嗅がずとも漂うほどに香り高い。
茶葉はいつもの品だし、カップも湯沸かし鍋も台所のものを使うところを見ていた。
作り方だってアイリスが昔、母から習ったとおりのやり方であったはずだ。
「すり替えたりは、してないですよね?」
「もちろん。ご覧いただいたとおりですよ」
「では淹れ方ひとつでこれだけの差が」
「ええ。お湯の温度、茶葉の蒸らし、カップの温め具合、そして注ぎ方。産地や品質に差があろうと、丁寧に淹れさえすれば美味しく味わえるものですよ」
「私も同じように淹れているはずなのですが」
「その奥深さが紅茶の良いところです。私も伊達に歳を食ってはおりませぬゆえ」
そう言ってオスレイはイタズラが成功した少年のように笑う。
「状況が状況でなければ教わりたいところでした」
「お褒めに預かり光栄です。確かに時間があれば紅茶によく合うスコーンのひとつでも添えたのですが、残念です」
アイリスは思わず唇を噛む。
ハーパー家の執事恐るべし。まだ美味しくなる余地を残しているとは。
「まだお時間ありそうですから是非コツを……」
アイリスが伺い立てると同時に診察室の扉が開いた。
開閉音に引かれて顔を向けたアイリスは顔を顰めたマルセルと視線がぶつかる。
「茶を出せとは言ったが、どうしてきみが呑気な顔で飲んでいる」
「あ、とそれは。かくかくしかじかでして」
「それが説明になると思っているならポチに頭の中身を吸い取らせるぞ」
想像してアイリスはぶるりと体を震わせた。
粘液生物の魔物ことスライムであるポチならば、鼻や口から入って脳漿を啜るなど造作もないだろう。
仕事仲間であるアイリスへポチがそのようなことをするはずがないと思いたいが、マルセルの命令とあらば逆らえないかもしれない。
アイリスの視界に背中が割り込む。
マルセルの冷えた眼差しから守るようにオスレイが間に立った。
「申し訳ございませんマルセル様。もてなされることに不慣れゆえ、私めがお茶を淹れさせて欲しいとアイリス様にお願いしたのです」
「そうですか。であれば無駄話は終わりにしましょう。そしてお引き取りを」
唐突なマルセルの締め括りに場が凍りついた。
――お引き取り? 治療は終わったの?
困惑するアイリスを他所に、オスレイが問う。
「坊ちゃまは、ディエレス様の眼は治って……」
「いいや」
マルセルは食い気味に否定すると彼の後ろにいたディエレスを前に出した。
ディエレスは診察前と変わらず目の周りに包帯を巻いている。
――さては治療に必要な物が診療所にはないのかな。
オスレイの話ではハーパー家は魔物に襲われたのだ。
たとえば石化病を治すのにメデューサの生き血が必要だったように、ディエレスの目を直すには特別な材料がいるのかもしれない。
――もっと別の言い方をすれば良いのに。
どうせ治してしまうのだから、そのような突き放す言い方をしなくたって。
「治療はできない。僕には彼を治せない。だから帰ってくれ」
「……え?」
マルセルが示した拒否に誰よりも早く疑問を発したのはアイリスだった。
すかさずマルセルが目を細めて睨んでくる。けれどアイリスは口を閉じようとはしなかった。
「どうしてですか。先生に治せないなんて、そんなこと」
「きみは僕をなんだと思っている?」
「先生は先生です。お金はふんだくるけど、他の誰にも治せない怪我や病も治せてしまえる最高峰の治癒術師です」
アイリスは顔が熱を持つのを感じた。
決して懐柔しようとして発した褒め言葉やお世辞ではない。本心からそう思っている。
誰にも治せない患者が最後に辿り着き、全てを投げ打ってでも治したいとする悲願を叶える。それがマルセルであり、ここフェリク村の診療所だ。
アイリスが発した熱意は、しかしマルセルには届かない。
「いつぞやのチンピラ冒険者のような物言いだな。僕にも治せない病はある」
「……本当に、治せませんか?」
「無理だ。だいたい借金を抱えた助手風情が僕に意見するな」
マルセルは眉を歪めて吐き捨てる。
ドクン、と不自然な鼓動がアイリスの身体を揺らした。
「で、すが。マルセルさんなら、何か方法を」
「ないものはない。少なくとも僕は知らない」
「それでも……!」
アイリスは胸元を抑えながら苦悶の表情で訴える。
脂汗が滲み出る。これ以上は命に関わると本能が警鐘を鳴らしている。
「知ら、ないは、諦める、理由に、は!」
「勝手に期待して勝手に絶望されるのには慣れているが、やはり不愉快だな」
薄れ行く意識の中で最後に聞こえたのは落胆の吐息だった。
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