応接
ハーパー家は王都西方のハープ地方を治める領主の家柄だ。
前領主は圧政を嫌う平和主義者で、領民からの信頼も厚い優れた統治者だった。
しかし不幸が訪れるのはいつの時代も善良なる者のところらしい。
領主一家は馬車で王都へ向かう道すがら魔物に襲われてしまったのだという。
護衛もろとも領主夫妻は殺され、残されたのは同乗していた息子ひとりのみ。
その息子でさえ重傷を負い、失明という後遺症に今なお苦しみながら領民のために、領主としての務めを果たそうとしている。
ハーパー家に仕えるオスレイが語った悲劇に、アイリスは胸が詰まる思いだった。
自分と似ているとは思わない。
確かにアイリスも魔物に両親を殺された。同じ境遇なのはそこだけだ。
アイリスにはシレナがいた。背負うべき責務は妹ひとりの幸せだけで良く、むしろ妹に救われている。
もしもひとりであったなら、果たして両親の死という孤独に耐えられただろうか。
加えて視力を失う後遺症に領主としての責務。幾ら使用人の助力があったとて、シレナと変わらぬ歳の子が背負うには余りにも重い現実だ。
「事情は把握しました。奥の診察室へ」
鎮痛な面持ちのアイリスとは反対に、マルセルは別段表情を歪めずに応対する。
経験の差だろうか。アイリスが両親を失ったひとりであるように、多くの患者を診てきたマルセルには珍しくもないのだろう。
「わかりました。お願いします」
目に包帯を巻いた少年、ディエレスは頭を下げてから席を立った。
目の周りは包帯で隠れているが中性的で、肩甲骨の辺りまで伸びた金髪を後ろで一纏めに縛っている。
執事のオスレイがすかさずディエレスの手を取り、マルセルに追従しようとするのだが。
「オスレイさんはこの場にてお待ちください」
マルセルが静止をかけた。
主を名実共に支えているオスレイは怪訝な顔つきになる。
「なぜですか。幾ら高名な先生とは言え、ふたりきりにするわけには……」
「申し訳ないが患者の容態を肉親以外に伝えるのは僕の信条に反します。たとえ親身に支えてきた執事であろうと」
毅然とした物言いに気圧されたのか、オスレイは渋々といった様子で頷いた。
「左様ですか。坊ちゃま。何かあればすぐお呼びください」
「うん。またねフェル爺」
そう言って再び歩き出すマルセルとディエレスにアイリスもついて行こうとする。
「きみも待機だ。オスレイさんに茶でも出しておけ」
「……え。わ、わかりました」
まさか自分まで断られるとは思っていなかったアイリスは動揺を隠しきれなかった。
執事はわかるが自分は助手だ。いやまあ、治療への必要性という観点から見れば必要ないのは確かなのだけれど、これまでは一度も断られていない。
――私にも明かせない何かがあるのかな。
少し寂しい気もするがマルセルの判断だ。アイリスに首を挟む余地はない。
パタリと扉が閉まり、応接室には執事と助手の奇妙な間柄のふたりが残される。
アイリスはなんとなく気まずくて、ふと茶を出せとのマルセルの命を思い出し、動くことにした。
「オスレイ様。お待ちになる間、お飲み物をご用意しますがコーヒーと紅茶はどちらがよろしいですか?」
「お気遣いありがとうございます。しかし私は執事ゆえ、もてなしを賜るわけには……いや、断るのもアイリス様の親切心を無碍にしてしまいますな」
そう言えば近衛兵のラスタークも茶を受け取るかどうかで渋っていた。使用人は主君と食卓を囲まないとはよく聞くが、不在時の判断はなかなか難しいのかもしれない。
無理に勧めるわけにもいかずアイリスは困っていると、オスレイがポンと手を叩いた。
「アイリス様さえよろしければ、私が紅茶を淹れてしんぜましょう」
「……いやいや、客人にそのようなことをさせるわけには」
「私は客人である前に執事ですから。さりとてアイリス様も私に茶を出すという師匠の命に背くわけにはいかない。であれば私が紅茶を淹れてしまえば良いのです」
師匠の命のひと言にアイリスの心臓がドキリと脈打つ。
マルセルに命令だという認識がなくともアイリスが命令だと認識してしまえば黒翼の印は作用する。
さらには茶を出す前文として待機まで命ぜられている。
アイリスは下手に動けないことも自覚してしまった。
「それに紅茶の淹れ方には多少の覚えがあります。是非ともお任せいただきたい」
「わかりました。お願いします」
アイリスが首肯するとオスレイは朗らかな笑顔を浮かべた。
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