感情

 マオラに手を引かれ、アイリスはベッドのある部屋へ連れて行かれた。

 そして扉をくぐると、マオラは大きなため息を吐く。


「ほんっとうにごめんねアイリス」


 開口一番謝罪するマオラにアイリスはただただ困惑していた。


「いや、全然良いんだけど何があったの?」


「実は、ええと……あぁっ!」


 突然マオラが頭をガシガシ掻くものだからアイリスは余計に困惑する。


「ほ、本当に大丈夫?」


「大丈夫だけど大丈夫じゃなくて、話さないと始まらないか。私……夢で抱かれたの」


「……はぇ?」


 抱かれた? 抱っこされたと言うことか。それでどうしてあんなに汗をかくのか。血まで出るのか。


「抱かれたってのは、そのシタってことで、直球で言うなら性交ってこと」


「せい、こう?」


 知らない単語にアイリスは首を捻る他ない。


「え、あ、知らない感じ? 性交っていうのはつまり子作りなんだけど」


「こっ、子作りぃ!?」


 思わず叫んでしまったアイリスの口をマオラが手で塞ぎに来る。


「声がデカいってば」


「ご、ごめん。でもそんな、え、夢でそんなことしてたの?」


「いや私も驚いたけど、というかそもそもの話が発情期の性欲を解消するためだったから、今考えれば当然なんだけどさ」


「そ、そっか。そうだよね。獣人族は早熟だもんね」


 我ながら意味がわからない返しだが混乱しているのはお互い様らしく、マオラも「ね」となぜか同意してくる。

 ふとシーツの血痕をアイリスは思い出す。


「……待って。あの血ってもしかして」


「私も確証はないけど破瓜じゃないかなって」


「うそでしょ。そこまで現実味がある夢ってこと?」


「まあ、うん。ぐっちゃぐちゃだったし。マルセルさんも言ってたし。たぶんね」


 とんでもない話になってしまった。

 マルセルの治療のせいで、夢とは言え一国の王女が傷物にされてしまったのだ。

 冷や汗をかくアイリスを見てマオラが笑う。


「大丈夫大丈夫。婚約者とする時は上手くやるから。いくら現実味があるとは言え夢だから、不貞にもならないでしょ」


「そうなのかな……ごめん、話しづらかったら話さなくても良いけど、ちなみに相手は誰だったの?」


 アイリスが問うとマオラはばつが悪そうな顔をする。


「その、怒らないで聞いてくれる?」


「怒らないよ。理由がないもの」


「……だよね。所詮は夢だもんね。私もわけがわからないんだけど、相手はマルセルさんだったの」


 アイリスは呆然とする。

 ――なぜ、マルセルさんが? 今日会ったばかりなのに? どういうこと?

 だが目覚めて早々近くにいたマルセルを拒んだのも、先の視線にも納得がいく。


「たぶん、素直に悩みを打ち明けて相談するような異性がこれまでいなかったからだとは思うんだけど、我ながら本当にびっくり」


「いや本当にびっくり。それか私が寝る前にマルセルさんの話をしたからかな」


「それもあると思う……だからそんなわけで今はマルセルさんの顔見られない。アイリスにも申し訳なくて。だから話したかったんだ」


「そういうことか……って、別に私には話さなくても良いのに」


「いや、話すべきでしょ。よりにもよって友達が慕う相手なんだから」


 慕った覚えはない、と強ぬ否定する気持ちが言葉に出なかった。

 なぜだか胸がモヤモヤするのだ。そのモヤがつっかえて、言葉にするのを妨げている。


「アイリスは気づいてないかもしれないけど、私が相手がマルセルさんだって言った時からしかめめっつらだよ」


「そ、そうなの?」


 アイリスはペタペタと自身の顔に触れるがわからなかった。

 しばらくふたりとも黙り込み、やがて互いの吐息が被った。


「変なことになっちゃったね」


「本当にね。マオラはどうするつもり?」


「夢だもん。どうもこうもないよ。ラスタークは話さないと納得しないだろうから話すけど」


「……すごい怒りそう。ラスタークさんマオラのこと大好きだから」


 マオラを我が子同然に思うラスタークのことだ、不貞の夢を見させた相手がよりにもよって、その処置を施したマルセルとわかれば本気で殺しに来かねない。


「一応相手は伏せるから大丈夫だとは思う。問題は夢魔をこれからも使うかだよ」


「さすがに使わない方が良いんじゃない?」


「でもそれだとまた困るの。今は、ごめん、発情期を迎えてから初めてすっきりしちゃってるんだよね」


「だからなんで謝るの」


「だってアイリス顔怖いんだもの。本当に気づいてないの?」


 言われてもやはりわからない。

 マルセルはそのような対象ではないはず。ないはずなのに。

 ――うそでしょ。

 モヤモヤの正体も説明がつく。嫉妬だ。馬鹿らしい感情をマオラに抱いてしまっている。

 アイリスは再度吐息した。


「そうかもね。そうなのかも。でもとりあえず終わった話だから止めよう。夢魔の件も次はマルセルさんじゃない可能性もあるわけだし」


「たまたま身近にいた人を相手にしちゃっただけだよね。よし、そうと決まれば戻ろう。あまり長い時間ラスタークとマルセルさんをふたりにしておくのも危ないし」


「確かにふたりきりだと喧嘩しかねないよね。戻ろうか」


 先導しようとするアイリスは後ろへ引っ張られて立ち止まる。袖をマオラが掴んでいた。


「本当にそんなつもりはないからね。だから、アイリスには友達のままでいて欲しい」


 泣きそうな顔をするマオラにアイリスは面食らう。

 たかが夢だ。それを気にして友人に悲しい顔をさせた自分が馬鹿らしくて嫌になる。

 マオラだって情事の夢など話したくなかったはずだ。それでも話したのは申し訳なさを感じてしまったから。できたばかりの友人であるアイリスを裏切ってしまったように思ったからだ。

 そもそもマオラがマルセルを心のどこかで慕っていたとして、アイリスが口を挟む問題ではない。マルセルもマオラもアイリスの所有物ではないのだ。

 アイリスはマオラへ向き直ると、袖を掴む手を引いて抱きしめた。


「私こそごめんね。マオラは友達だよ。話してくれてありがとね」


「……うん、うん!」


 マオラは目一杯アイリスを抱きしめ返す。嬉しい反面、あまりに力が強くて呼吸ができず、アイリスの顔は赤くなっていた。


「まって……苦しい」


「あ、わ、ごめん!」


 アイリスがマオラの背を叩くとようやく解放されて息が吸えた。

 アイリスまで涙目になりながら、ふたりは視線を重ね、同時に噴き出した。


「マオラは不器用だよ」


「本当にね。よし、今度こそ戻ろうか」


「そうだね」


 ふたりが診察室へ戻ると、マルセルとラスタークは険悪な雰囲気のまま立ち尽くしていた。

 まずはラスタークの警戒を解かねばならない。

 どうすべきか考えているとマオラが一歩前に出た。


「全て終わったわラスターク。マルセル様へ支払いをして帰りましょう」


「……仰せのままに。先程の約束、お忘れ無く」


「わかっています。そしてマルセル様、治療は何ら問題ありませんでした。取り乱したのは私の未熟ゆえ。ラスタークの無礼も重ねてお詫びいたします」


 深々と頭を下げるマオラにマルセルは目を細める。

 訝しんでいる。当然だ。何があったかわからなければ真偽を判断するなど不可能なのだから。

 しかしマオラは話さないだろう。そしてマルセルもそれを理解している。


「……こちらこそ思慮が至らず申し訳ない。治療費については金貨六十枚をいただく。よろしいですか」


 治療費としては高額だが、マルセルが提示する金額としてはかなり低い。

 感覚が麻痺していると言われたらそれまでな気もするが、少なくともこれまで提示された治療費で三桁を下回ることはなかった。

 不確かな成果ゆえか負い目を感じているのかもしれない。

 ラスタークは頷くと腰裏からポーチを取り出し、金貨を布袋に詰めてマルセルへ渡した。


「ご確認を」


「不要です」


 即答するマルセルにラスタークは眉を寄せる。


「後ほど揉めても困るから確認していただきたい。取引の基本でしょう」


「意地ではありませんよ。持てばわかる。それだけです」


「承知しました。ゴネても取り合いませんからね」


 ラスタークはマルセルを完全に敵視しているようで言葉の節に棘がある。

 状況を鑑みれば仕方のないことだ。ラスタークからすればマルセルの治療が原因でマオラが変調をきたしているようにしか映らない。


「ゴネるものか。さあ、これで治療は終わりだ。お引き取り願おうか」


「言われずともそうします。姫様、行きましょう」


「待って。マルセル様、夢魔はどうすればよろしいですか」


 そう言ってマオラは小瓶の入った布袋を差し出す。


「代金には夢魔の分も入っていますからお好きにどうぞ。必要ないのであれば引き取りますが」


「でしたら有り難く頂戴します。管理上必要なことはありますか?」


「餌は夢ですから一週間を目処に喰わせれば平気です。あとは乾燥に弱いので瓶からは出さないようにしてください」


「ご教示いただきありがとうございます。では行きましょうラスターク」


「はい、姫様」


 マオラは布袋をしまい帰り支度を始める。その背へアイリスは呼びかける。


「では玄関まで送ります」


「ありがとう。それではマルセル様、この度はありがとうございました。またご縁があればお会いしましょう」


「治癒術師には縁がないのが一番ですよ」


「それもそうですね。では、さようなら」


 会釈するマオラをアイリスは出口まで先導する。

 大した距離でもなければ迷う構造でもない。最後に挨拶がしたかっただけだ。


「さよならだね」


 アイリスが言うとマオラが抱きついてくる。

 今度はしっかり加減されていて、彼女の甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「今度さ、アニーガルズにおいでよ。遠いから大変だけど、いろいろ案内するから」


「行きたいけど当分は難しそうなんだよね」


 マルセルへ借金を返して、シレナが目覚めたら行けるだろうか。

 そういえばシレナとふたりで故郷へ帰った後のことを決めていない。

 冒険者のフランクが営んでいるであろう畑や果樹園も見たいし、ふたりで旅をするのも良いかもしれない。

 その中でマオラにも会いに行こう。

 アイリスはマオラを抱きしめ返す。


「でも必ず行くよ。約束する」


「うん、約束だからね」


 しばしふたりで抱き合い、やがて離れるとふたりして泣きそうな顔していて、思わず笑ってしまった。


「またねアイリス」


「うん。またねマオラ。ラスタークさんもまたお会いしましょう」


「ええ、是非。私はアイリスさんのことは好きですから」


 苦笑するアイリスにふたりは会釈して立ち去った。

 背が消えるまで見送ると、アイリスは診療所へ戻った。

 玄関を開けると診察室にはマルセルがいた。

 ――てっきり自室に戻ったかと思ったけど。


「どうされました?」


「……きみは夢魔が何を見せたのか聞いたのだろう。話してくれないか」


 マルセルの問いにアイリスは逡巡し、やがて首を振った。


「マルセルさんの頼みとはいえ話せません」


「断るつもりか? 契約を忘れたわけではあるまい」


 アイリスは息を呑む。

 胸に刻まれた黒翼の印。マルセルの命令に背けばアイリスは命を落とすという契約の証だ。

 けれど、友人の情事を他言するなどアイリスにはできない。


「もちろん、忘れていません。ですがこればかりはダメです。私はマオラを裏切れません」


 マオラはアイリスを信頼して打ち明けたのだ。それを陰で他言したとなれば合わせる顔がない。

 再び会う約束をしたのだから、余計なしこりを作りたくなかった。

 ――でも死ぬのは困るな。どうしよう。

 マルセルをどう説き伏せるか考えていると「ふ」とマルセルが笑った。


「成長したじゃないか」


「……はい?」


「守秘義務は治癒術師の基本だ。おいそれと他言するようでは患者から信用されない」


「試したのですか」


「ああ。もし話すようなら、きみを見限っていた」


 当然のように話すマルセルにアイリスは背筋が凍った。


「まあ私も日々成長していますから」


 強がっては見せたものの言葉尻が上擦った。


「日々成長、か」


 意味深長な復唱にアイリスは唇を尖らせた。


「なんですか。成長していないと言いたいのですか。確かにマオラと比べたら幼く見えるかもしれませんが、彼女は獣人族だから早熟であって」


 早口で語り出すアイリスにマルセルは薄く笑みを浮かべた。


「きみの話ではない……さて、日が暮れる前にシーツは交換しておいてくれ。あとの時間は好きにしろ」


「わかりました」


 返事をして、アイリスは悟る。

 シーツの交換が必要だと知っているということは、アイリスが二人を見送る間にベッドを見たのだろう。

 であれば血痕も見たはずだから、シーツの乱れや汚れ方、発情期という問題を抱えていることも鑑みて、マオラがどのような夢を見たのか察しがつくだろうか。

 ――相手が誰かまでは、きっと知らないままだろうけど。

 知ったらどう思うだろう。マオラは美人だし気品もあるし体型も素晴らしい。そして王族だからお金もある。

 マオラの言葉を信じていないわけではない。けれどそれは今この時の話であって、これから先夢魔を使えばまた同じ夢を見るかもしれない。何度も同じ夢を見ればマオラとてマルセルを好きになってしまう可能性もある。

 ――勝ち目はないかなぁ。

 なんならアイリスは借金まで抱える身だ。不釣り合いとかの次元ではなく、同じテーブルについていないのだ。


 アイリスが肩を落としているとマルセルが奥の部屋に戻ろうと扉を開ける音がした。


「コーヒー、次はもう少し濃くしてくれ」


 不意に言われてアイリスは唖然とする。

 返事をするよりも早くパタリと扉がしまった。

 礼はなく要望のみを伝える不躾な言葉。そのような言葉でさえ、なぜだが嬉しく思えてアイリスは笑ってしまった。

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