第一章 石化病
私たち姉妹には両親がいない。魔物に殺されてしまったからだ。
世界には人間を襲う魔物がいる。魔王が滅んで五百年が経ったらしいけれど、魔物の脅威は消えていない。むしろ村や町の外を一周回れば何かしらに遭遇するくらいには沢山いる。
とはいえ人里近くにいる魔物の大抵は大の男なら追い返せるのだけれど、そうはいかない危険な魔物も多い。
ゆえに馬で荷を引く行商の多くは道中に護衛を雇っていた。
名うての冒険者であった両親は私が産まれてからその護衛を生業としていて――ある日失敗した。
護衛がとても危険な仕事であるとわかっていたのだけれど、いや、わかっていたつもりだったのだろう。
いつもなら両親はふたりで家を出て、三日もすればくたびれた顔で帰ってくる。
ちょっと臭いのが嫌だったけれど、出迎えて抱きつくのが好きだった。
だからその日も帰ってくると思っていた。けれど帰ってきたふたりはひとつの小さな布袋にまとめて入っていた。
父は右腕。母は左足。それしか残っていなかった。
別に私たちのような両親を亡くした子どもは珍しくもない。
しかし私たちが他の子どもたちと違うのはお金があったことだろう。
両親が私たちを学校へ入れるために残しておいてくれた貯金と、ふたりが属していた冒険者ギルドからの見舞金。併せれば働ける歳になるまで孤児院や修道院へ入らずには済むくらいの金額だった。
幸福とは言えない暮らし。夜中にさめざめと泣く妹を何度も抱きしめてきた。
たったふたりの姉妹。血の繋がった唯一の家族。妹の幸せこそが私の幸せで、いつの日か彼女が笑える日が来ればそれで良いと思って生きてきた。生きてきたのだ。
「いや、こわい」
震える身体がパキリと音を立てる。
霜柱を踏み抜いたような、およそ人の身体が鳴らすはずのない軽薄な音。石化の進行を突き付ける絶望の報せだ。
その病は石化病と呼ばれていた。
四肢の末端が麻痺するような違和感に始まり、追従して身体が石になっていく。
一度罹患すれば、自分の身体が無機物に変わっていく様を眺めることしかできない。
そして全身が石になり、風化して朽ちる。
数十年に一度ごく一部の地域で流行する病らしく、原因も治療法も解明されていない。
本来石化病が発症した時点で患者は隔離されるのだが、村の誰もが石化病なんてものは知らなかった。
知っていれば逃げていた。妹だけでも逃していた。
石になっていく妹を私にはどうすることもできなくて、震える身体を抱きしめてやる他なかった。その震えが亀裂を生みそうで怖かったから。
「本当にどうしようもないのですか」
問うと、口元に厚手の布を巻き付けた治癒術師は沈痛な面持ちで頷いた。
治癒術。人類が魔王との戦いの中で生み出した魔術を用いた治療法だ。
折れた骨を繋ぎ、傷を縫わずとも塞ぎ、切断した四肢をも治してしまえる奇跡の技。
人類が到達した最高位の治療法ですら石化病は治せない。妹は救えない。
「……あるいは」
自分の失意を見かねたのか、惜しむように治癒術師が漏らす。
「方法があるなら教えてください! 妹は、あの子は私が生きる意味なのです!」
懇願すると治癒術師は僅かに顎を引いた。
真っ当な方法ではないのだろう。それでも妹を救えるのなら手段は厭わない。己が命だって喜んで差し出そう。
「もし持ち得る全てを手放しても構わないのなら、王都郊外のフェリク村に住む治癒術師を尋ねなさい。彼なら治せるかもしれない」
「わかりました。詳細を教えてください」
私の手持ちなど安いものだ。妹の命には換えられない。
治癒術師はゴソゴソと背嚢を弄ると、折り畳まれた大きな紙を取り出した。
「フェリクはここだ。危険だが密林を抜ければ人の足でも三日で行ける。地図と方位針、それから魔物避けの香も渡しておこう」
「そんな、よろしいのですか?」
「善意ではないよ。君たちを救えなかった私の罪悪感を少しでも減らしたいだけだ」
「……ありがとうございます」
「礼は要らないから急ぎなさい。王都への報告が済めばこの村は当面封鎖になる。正式な通達が出るまでは騎士団が付近で駐留するから魔物や盗賊に荒らされずに済むが、石化した患者が風化するまでの猶予は長くて十日、いや一週間だ」
「わかりました」
地図を受け止ってから妹をもう一度抱き締めて、私は玄関へ走った。
扉に手をかけてから、改めて振り返る。
「ありがとうございました!」
「君に勇者の加護があらんことを」
祝福を背に受けて家を飛び出し、少しだけ後悔した。
――名前くらい聞けば良かった。
フェリクに住む治癒術師もそうだが、地図をくれた治癒術師の男性の名前だ。
――いや、おじさんを探してまた会いに行こう。妹と一緒に礼を伝えに。
決意して地図を睨みながら駆け出した。
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