第4話 姫が選んだ男
翌朝。
いつもと同じ道を通っているのに、妙に心臓がそわそわしている。
昨日、氷室ルナと俺――藤崎悠斗は「偽装恋人契約」を交わした。
そのとき彼女が言った「任せて」という言葉が、頭の中をぐるぐる回っていた。
いったい何をしでかすつもりなんだ?
不安と期待が入り混じったまま、校門をくぐる。すると、朝のホームルーム前にも関わらず、正門付近で妙な人だかりができていた。
「何だ……あれ……?」
気になって近づいてみると、その中心にいるのは――金髪をゆるくウェーブさせたお嬢様。
氷室ルナがそこにいた。まるでステージに立つように堂々と周囲を見回している。
「おはよう、悠斗くん」
ルナは俺を視界に収めるなり、にこりと微笑んだ。周りの生徒たちは「姫が誰かを待ってたの?」と、ざわめき始めている。
「氷室さん、こんなところで一体何を……」
「何って、爆弾を投下するのよ。せっかく『契約』したんだから、皆に知らせなきゃ意味がないでしょう?」
その瞬間、ルナは俺の腕にそっと自分の腕を絡める。
正門前で、しかも多くの生徒が見ている前で、こんなにも自然に腕を組まれるなんて想定外すぎる。
ドッと周囲の視線が集中し、呆気に取られた生徒たちからは軽い悲鳴まで聞こえてくる。
「え、嘘でしょ……姫が……?」
「あの地味な男子は……?」
皆、口々にそんな声を漏らしている。
ルナはその声をすべて楽しんでいるようだった。
「皆さんにご報告があるわ。私――氷室ルナは、藤崎悠斗くんと付き合い始めました。今日から恋人同士です。よろしくね」
シンプルな宣言だった。それゆえに衝撃度も高い。
一瞬、時間が止まったように静まり返ったあと、「うそだろ」「まじかよ」「どういうことだ!?」など、怒涛のざわめきが押し寄せてくる。
「さあ、悠斗くん。教室へ向かいましょうか?」
腕を組んだまま、ルナは涼やかに言う。
「お、おう……」
俺は冷静を装いながらも心拍数が跳ね上がっているのを感じた。こんなの、目立ちすぎる。
だが、偽装恋人を周囲に見せつけるには、これ以上ないやり方だろう。
朝の廊下はいつもより騒々しい。どのクラスからも「今、姫が男と腕組んでたぞ」「え、あの地味な藤崎?」みたいな驚きの声が聞こえる。
この学園において氷室ルナの存在は絶対的だ。それだけに、彼女が選んだ相手が地味な男子というだけで、一大ニュースになるわけだ。
しばらく並んで歩いたところで、二年生の教室が並ぶフロアに到着する。
俺は2-A、ルナは2-C。別のクラスだ。
「じゃあ、私はこっちだから。また後でね、悠斗くん」
そう言って、ルナはわざと大きめの声で「じゃあね、ダーリン」と付け加える。まるで周囲に聞かせるかのように。
周りの生徒たちが驚きに目を剥いている。バッチリと聞こえただろうな。
「ルナ、なんて……」
小声で抗議しようとする俺を置いて、彼女は優雅な足取りで2-Cの教室へと入っていく。
残された廊下では、全員が俺を凝視している。
「あ、あいつ……姫に……」
「意味がわからん……いつからそんな関係なの?」
どこからともなく飛んでくる囁きに、動揺する自分と内心ニヤついてしまう自分が混在する。
(……これが『爆弾』ってやつか)
逃げ場のない視線を感じながら、自分の教室2-Aに足を踏み入れた。
すると、室内は朝からどよめきモードだ。昨日の嘲笑から雰囲気は一変している。皆が俺を待ち構えていたようで、一斉に視線が突き刺さる。
「おい、悠斗……嘘だろ? 氷室ルナと腕組んでたって本当か?」
「いやいや、何かのドッキリじゃないか?」
「マジなのか!?」
俺はとりあえず鞄を下ろしながら、彼らを軽く見渡す。
その中には、もちろん如月真白の姿もあった。
彼女はいつもの友達数人と一緒にいるが、妙に落ち着かない様子で、さっきの会話には加わっていない。俺と視線が合うと、すぐに伏し目になってしまった。
(……やっぱり動揺してるな)
昨日までの屈辱を思い出すと、自然と冷めた笑いが込み上げてくる。
俺は何も言わずに、自分の席につく。そこにちょうど担任の先生が入ってきて、「ほら、着席!」と声をかけた。
授業前のホームルームが始まるが、周囲の気配は完全に俺とルナの話題一色だ。教師も戸惑いを隠せない。
(……とんでもない一日になりそうだ)
当然だろう。この学校で「学園の姫」として誰もが憧れる氷室ルナが、地味な男子と突然のカップル宣言をしたんだから。
間違いなく、朝のうちに学年全体どころか上級生や下級生にも噂が広がるはず。
ホームルームが終わり、担任が退室すると同時にクラスメイトたちが一斉に詰め寄ってくる。
「ちょっと悠斗、どういうことだよ!」
「姫といつからそんな仲なの? 詳しく教えろ!」
「本当に付き合ってるの!?」
教室が大混乱に陥る中、俺は心臓の高鳴りを必死に抑えた。
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