第5話 嘘のはずなのに胸が高鳴る

 翌日の昼休み。

 朝の一大宣言で学園中がざわつき始めたのは言うまでもない。俺は教室にいても、周囲からの視線をずっと感じていた。


 ──「姫が、あの地味男子を選んだ」。


 そんな衝撃が未だに消えないようで、休み時間になるとクラスメイトが詰め寄ってきたり、廊下ですれ違っただけで好奇のまなざしを向けられたり。

 正直、落ち着かない。


 だけど、これも偽装恋人計画の一端。真白への復讐を果たすためにも、ここで尻込みはできない。

 頭ではそう分かっているのに、朝からずっと心臓の鼓動が止まらないのは、なぜだろう。


「藤崎、今日一緒に昼食べないか? 姫のこと、詳しく聞かせてよ」


 そんな声をかけてきたのは、同じクラスの男子。

 どうやら俺に話しかける生徒が徐々に増えているようだ。


「ごめん。先約があるんだ」


 そうやんわり断って、教室を出ようとすると、ちょうど廊下の向こうから金色の髪が見えた。


「ふふ、悠斗くん。ちょうどいいわ、行きましょうか」


 にこやかに近づいてきたのは、氷室ルナ。

 弁当箱らしきバッグを手に、今日はほんの少しだけ髪を編み込みにしている。いつもと違うアレンジが妙に新鮮だ。


「お、ありがとう。迎えに来てくれたのか?」

「ええ、もちろん。だって私たちは恋人同士なんですもの」


 そう言ってルナは、わざと周囲に見せつけるかのように俺の腕にしがみついてくる。

 教室のドア付近にいたクラスメイトたちが「あっ……」と小声を漏らすのが聞こえた。


 俺はルナを受け止める形になり、少し照れてしまう。


(演技とはいえ、ここまでされると意識しないほうが無理だ)


「じゃあ、行きましょうか。せっかくだし、学園内で落ち着ける場所を探しましょう」


 ルナは上機嫌な笑顔を浮かべ、俺の腕を引っぱる。

 腕と腕とが触れ合うたび、微かな体温が伝わってきて、心臓がどきどきと煩くなる。


 廊下では当然みんなの注目を集め、誰もが道を譲るように距離を置いて見守っている。


「あまり見られるのも落ち着かないから、少し急がない?」


 そう言うと、ルナはくすっと笑った。


「私、嫌いじゃないんだけど? 皆からこんなに視線を浴びるのって楽しいでしょう?」

「……俺は正直、まだ慣れないよ」

「ふふ、それもいずれ慣れるわ」

「……まあ、そうかもしれないね」


 わざわざ迎えに来てくれて、こんな派手な行動に巻き込まれているのに、ルナは全然悪びれない。むしろ本気で楽しんでいるように見える。

 どうしてこんなに堂々としていられるんだろう。


 そんなことを考えていると、いつの間にか校舎の端にある中庭にたどり着いた。

 花壇とベンチがあるだけの小さなスペースだが、昼休みに使う人は少ない。ちょうど一組の女子が談笑していたが、ルナを見て気まずそうに退散していった。


「ここならゆっくりできそうね。座りましょう」


 ルナはベンチに腰を下ろし、俺にも隣に座るよう手招きする。


「……うん」


 俺が隣に腰かけると、ルナはすぐさま弁当箱を開き始めた。


「はい、今日は自分で作ってきたの。見てみて?」

「え……ルナが? お嬢様だから、料理はあまりしないのかと思ってた」

「失礼ね。こう見えても多少はできるのよ。味は保証しないけど……」


 開けた弁当には、彩りよく詰められたサンドイッチや小さなおかずが整然と並んでいる。


「これ、すごく美味しそうだね。盛り付けもきれいだし」

「ふふ、ありがと。じゃあ、はい、あーん……」


 唐突に小さなサンドイッチをつまみ上げ、俺の口元に差し出すルナ。


「え……ここで? いや、それはちょっと……」

「遠慮しないの。恋人らしさを周囲にアピールしないとね」

「そ、それはそうだけど……」


 恥ずかしさで声が裏返りそうになる。誰かに見られたら大騒ぎになるだろう。


「気にしないで。はい、あーんして」


 ルナはしれっと微笑んだまま、俺の口元へさらに近づけてくる。

 ──仕方がない。ここで拒否したら、せっかくの恋人演出が台無しだ。


「……あーん」


 覚悟を決めて口を開けると、ほんのり甘いクリームチーズの風味が広がった。サンドイッチにはフルーツが挟まっていて、想像以上に美味しい。


「どう?」

「うん、すごくおいしいよ。正直、びっくりした」

「よかった。じゃあ私も……」


 そう言って、ルナも自分用に同じサンドイッチをほおばる。

 その仕草をぼんやり見ていたら、目が合ってしまった。ルナが「あれ?」と首を傾げる。


「どうしたの、変な顔して」

「いや……ルナ、ほんとに料理うまいんだなと思って。おまけに楽しそうに食べるから、なんか……」

「なんか?」

「……いや、なんでもないよ」


 言葉を濁す。

 これじゃまるで、本当に恋人同士のやり取りみたいじゃないか。


「悠斗くんもお弁当持ってるんでしょう?」

「うん。俺のはコンビニのパンとおにぎりだけど……」


 差し出したおにぎりを見て、ルナはくすっと笑った。


「そういうのも嫌いじゃないわ。私にも一口分けてくれない?」

「え、いいけど……本当に?」


 まさか、こんなところでコンビニおにぎりを半分こすることになるとは。

 ルナが一口かじると、意外そうな顔をする。


「ふむ。意外と悪くないものね。私、コンビニのおにぎりは初めて食べたけど……思ったよりイケるわ」

「そっか、それはよかった。まあ、普段から買ってるし、俺は好きだよ」

「ふふ、何だか新鮮な体験」


 心なしか、ルナの顔が少し赤くなっているように見えた。

 お互いが差し出した食べ物を口にするたび、なんとなく緊張してしまう。

 ──これ、仮に誰かに見られたら、絶好の恋人アピールになるんだろうけど……見られたいような、見られたくないような、複雑な気持ちだ。


 食事が一段落したところで、ルナは満足げに頷いた。


「思ったより落ち着いて食べられたわ」

「そうだね。派手にアピールするより、たまにはこういう静かな場所もいいかも」

「……そうね。私も、ここはちょっと気に入ったかも」


 言いながら、ルナは手近な紙ナプキンで口元をぬぐう。


「……ごちそうさま。美味しかったよ、サンドイッチ」

「どういたしまして。次はもっと上手に作ってくるわ。悠斗くんが喜んでくれるなら、やりがいがあるもの」

「いや、今日のでも十分すぎるくらい……」


 そう言いかけたところで、ルナがスッと俺に顔を近づけた。


「……っ!?」


 思わず身を固くする俺の耳元で、小さな声が落ちる。


「ほら、そろそろ時間みたい。帰り際にもう少しみんなに見せつけるつもりでいたけど……今日はこれでおしまい。昼休みが終わっちゃうわ」


 顔が近い。すこし甘い香りが鼻をくすぐって、胸の奥がまた大きく弾む。


「わ、わかった。じゃあ教室に戻ろうか」

「ええ。行きましょう」


 ルナが立ち上がるのを追いかけるように俺も立ち上がり、持っていたゴミや空のコンビニ袋をまとめる。

 そのまま彼女と並んで歩き出すけれど、先ほどまで弁当を一緒に食べていた距離感が頭から離れなくて、妙に意識してしまう。


 ──偽装恋人。

 そんな言葉が嘘に思えるほどの、穏やかで心地いい時間だった。

 演技なんだからと自分に言い聞かせても、胸の高鳴りはおさまらない。


(何なんだよ、俺……余計なこと考えすぎだ)


 しかしルナはというと、何食わぬ顔で優雅に歩いている。やはりあれほどのカリスマ性を持つお嬢様は違うのか、演技への没頭がうまいのか――。

 俺の視線に気づいたのか、彼女がちらりと振り向いて笑う。


「どうしたの? そんなに見つめられたら、私まで照れちゃうわ」

「ご、ごめん……別に、変な意味じゃなくて……」


 そんなやりとりをしながら、俺たちは昼休みの中庭をあとにした。

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