【其の四  満月の夜に】



校外学習の日から数日。

特に行事もなく何の変哲もない平々凡々とした日々を過ごしていた。

そんな中でも見られた少しの変化といえば、

また梶田君がよく話し掛けてくるようになった事だろうか。


それもタチの悪い事に、クラスのガキ大将である舟木君を伴って。


口だけでからかってくる梶田君一人なら適当にあしらって済むが、

すぐに手が出る舟木君への対応は同じにするわけにはいかない。

元からある程度備わっていた精神力と違って、

鍛えておらず身長も体重も平均以下の僕には、体の大きい舟木君の暴力は痛いからだ。

痛みを回避する為なら、会話に少し気遣いを持たせるくらいの努力は厭わない。


今日も今日とて、朝の会の前に梶田君が近寄って来た。

舟木君は遅刻しているのだろうか。

朝の会が始まる五分前にも関わらず、教室に姿を見せていてない。

その事実に少し安堵を覚えたからか、梶田君にいつもより優しく接してしまい増長させてしまった。

まあ、会話を終えてから後悔しても仕方のない事だろう。


会話の内容はうろ覚えだが、確か何かの誘いだったはず。

わざわざ誘ってくるくらいだからきっと貶める為の何かに違いないけれど、どう返事したかいまいち思い出せない。

梶田君の機嫌の良さを見て了承してしまったんではないだろうかという嫌な可能性が頭を過る。

そう考えたのが悪かったのか、単なる可能性に過ぎなかったそれは、放課後に梶田君と一緒に近寄って来た舟木君によって最悪の形で改竄のしようがない過去の事実となってしまった。


「そういう事だから、二十時に月見下公園に集合だ。来なかったり遅れたりしたら、分かってるよな?」


二人の話によると、

了承してしまったのはガラクタ山への肝試しの誘いだったらしい。

その内容であれば特に深く考えずに二つ返事をしてしまったのも分かる。

元々、夜のガラクタ山には一度行ってみたいと思っていた。

月見山という正式名称を持つ山だ。

きっと頂上から見る月は綺麗だろうと思い、満月の今夜、丁度行こうと思っていた。本来なら一人か、迷惑じゃなければ常葉君を誘おうと思っていたけれど、

この際随員の人選はとやかく言うまい。

それに、一人よりは三人のほうが夜に出掛けても親の心象がいいだろう。









「へえ。今晩ガラクタ山に?」


舟木君達から解放された後、教室の入口で待っていてくれた常葉君といつものように帰路に着いた。

他愛ない会話の中で投げかけられたのが先の言葉だ。

良い機会だと思い、前からガラクタ山に郷愁を感じていた事を伝え、

ついでとばかりに満月を見るのが楽しみだと殊更明るく話す。

前々から話していた舟木君との関係性から、いらぬ心配を掛けない為だ。


そんな想いが届いたのか届いていないのか、

常葉君は考え込むように口元に手を当てて歩みを遅くした。

作られた真面目な表情で、周囲に緊張の色が混じる。

突如生まれた緊張感にその場に二人しかいないような錯覚に陥りながらも、

歩く速度を合わせて常葉君の言葉を待った。

沈黙に耐えるのは辛かったが、

ここで無遠慮に言葉を重ねるのはどうにも違うような気がしたのだ。


「うん。とっても良いと思うよ。この前ゴミ拾いをしたところだし、あの拓けた頂上で見るのが良いかもね。重くて回収出来なかった廃家電を椅子代わりにしてさ」


先の薄く張り詰めた緊張感は何だったんだろうかと思える程淡々と、そ

れでいて楽しそうに提案まで加える常葉君を見て、全身に込めていた力が弛緩する。口元に手を当てて考え込んでいたのは何だったのか気になるが、

きっと舟木君達と出掛けるのを心配してくれているんだ、と。

そう思う事にして強張った心も弛緩させた。






「行ってらっしゃい。懐中電灯とお母さんの携帯持った?全く、、。突然お月見に行きたいだなんて。山を下りて今から帰るってなったら、必ずお父さんの携帯に電話する事。二十一時半までに連絡がなかったら迎えに行くからね」


そう母親に言い含められながら玄関を出て、人通りの少なくなった夜道を待ち合わせ場所に向かって歩き出した。

十五夜という事もあって、

一緒に見に行きたいと着いて来ようとする母親を説得するのが大変だった。

一目見て小学生と分かる少年が一人で歩いている事に道中何度も奇異の目を向けられるも、当の本人に家庭内暴力を受けた痕も自棄になった様子もない事から、

自身が不審者として扱われない為に周囲の人達は極力近付かず、関わりを持とうとはしてこなかった。



月見下公園までの十数分。

街灯に照らされた道を軽やかな足取りで進む。


これから行う月見もさる事ながら、

夜中に親の同伴無しで出掛けているという事実も小学生時文では気分を高揚させるのに充分過ぎる要素だった。

余裕を持って出てきた事を携帯に表示される時間で再確認し、

高揚感を噛み締めながら通常より少し時間をかけて月見下公園へと到着した。

余程楽しみだったのか、待ち合わせの十分前にも関わらず二人とも先に到着しており、公園のベンチで何やら話しているのが見えた。



「よう。ちゃんと来たじゃねえか。びびって来ないと思ってたぜ」



その場合はいつにも増した舟木君の暴力が待っているのだろうなと、

適当に相槌を打ちながらぼんやりと考えた。


「行くぞ」


大ぶりな懐中電灯を持った舟木君を先頭に、

公園を出てガラクタ山の頂上へ至る階段を登る。

灯りなど一つも無い階段を、

各々の懐中電灯の灯りを頼りに日中より少し時間をかけて一段ずつ登っていった。

相変わらず郷愁感を得ながらも、

暗転した山の様相は僕の臆病な心に悪寒を走らせた。

いくら夜で暗いからといっても、ガラクタ山であれば大丈夫だと思っていたのに。

今すぐ帰りたいという程ではないが少なからず恐怖を感じる。

そしてそれは余裕ぶっていた梶田君も同様で、

証左は梶田君が持つ懐中電灯の灯りが小刻みに震えている事が示していた。


「お前らこれくらいでびびってるのか?」

「び、びびってないよ」


梶田君の反論が嘘だという事はつかえた言葉が証明していたが、

舟木君は偽りなく平常を保っているらしい。

もっとも、心臓に毛が生えているんじゃないだろうかと思える程豪胆な舟木君なら、然程不思議な事ではないかもしれないけれど。

ちょっとした小競り合いを模した会話を挟みつつ、

1m程の距離を空けて舟木君が一番に頂上へと辿り着いた。





「なんだ、、これ」





頂上へと到着し、

足元を照らしていた灯りを目線の高さまで引き上げた舟木君が漏らした言葉がそれだった。

何事だろうか。

怯える梶田君を階段の最上段に取り残して、

舟木君の斜め後ろに立って目線を上げる。


ああ、良かった。


目に映った光景に、ふとそんな言葉が湧き上がった。

舟木君が何の反応もしない事から、きっと口を吐いてはいないと思う。


「だ、誰だ!」


舟木君の誰何すいかする声に、喜びに浸っていた思考を覚醒させる。

今居る三人以外という事は、城崎君だろうか。

夜にここへ来るのは初めてで分からないけれど、

もしかしたらいつもはこの時間に来ているのかもしれない。

期待を込めつつ舟木君の灯りを辿って、光の先にいる人物に目を向ける。









「やあ。ようこそ僕の城へ。

        そして、さようなら」









懐中電灯で照らすまでもなかった。

月光でスポットライトのように照らされたその人物は、

舞台役者のように大仰な手振りをつけてお辞儀した後、

顔の横で小さく手を振ってそう告げた。









「へん!ま、まあ余裕だったな!お前が怖がってたから今回はこれで勘弁してやるよ」


山頂に居た人物に見入っていたら、

いつの間にか梶田君と二人で月見下公園まで戻って来ていた。

満月に照らされたあの人物の雰囲気は、

確かに見惚れてしまう程の不思議な魅力を持ち合わせていた。

だが、それでも下山するまでの記憶を殆ど失くす程のものではなかったはずだ。


いや、〝殆ど〟ならまだ無理矢理だが納得する事が出来る。


そんな妥協を嘲笑うかのように、

突然別れの言葉を告げられてからここに来るまでの記憶が、

一欠片として余さず抜け落ちていた。

思い出せない、などというものでは無い。

該当する時間にあった出来事を、心が、体が。

無かった事として扱っている。

一縷の望みをかけて、

あの時あの人物を同時に見ていた舟木君に記憶の齟齬を訂正してもらおうと辺りを見回す。

ぐるりと視界を一周させてみたがそこに梶田君以外の人物は映らず、

望みを込めた行動は、期せずして焦燥感を募らせる結果に終わってしまった。


「ふなき君?誰だそれ。今日は最初から二人だっただろ。葉月の癖して俺を驚かそうなんて百年早いぞ」


助けを求めて舟木君の居場所を聞いた梶田君から返ってきたのはそんな言葉だった。

それを聞いて、心の中で一つの考えが浮上した。

今日来た時に公園で二人で話していたのは、これの打ち合わせだったのだろう。

舟木君という人物が初めから存在しなかった事にするという穴だらけの設定だが、

わざわざそこを突いて場を白けさせることもないか。

記憶の齟齬の件が解決していないけれど、

睡眠薬でも嗅がされたのだろうとこれまた穴だらけの空想をする事で溜飲を下げた。



動揺に動揺を重ねた精神状態もひとまずの落ち着きを見せ、

異なる不可解が襲ってくる前に家に帰るべく連絡を取ろうと携帯を取り出した。

時刻は二十一時前。睡眠薬を嗅がされたにしては覚醒するのが早い気がするが、

気に留めずに梶田君に茶化されながらも親に連絡を入れる。


「親に連絡しなきゃいけないなんてお前はお子ちゃまだな!」


家に着くのは何時頃だろうかと考えながら、

梶田君の一方的な会話を柳に風と受け流した。


「そういえばさ、、」


ひとしきりからかった後に発された梶田君の言葉は、

目線が僕の左手、懐中電灯を持っている方の手に向けられると同時にわざとらしく切られた。

そのまま何も言わずに待っていると、

純粋な疑問を乗せた梶田君の言葉が重ねて紡がれた。


「そんなぬいぐるみ、持ってきてたっけ?」


落とした視線に映ったのは、

持っていたはずの懐中電灯ではなく、やけに舟木君に似たぬいぐるみだった。














ガラクタ山に行った翌朝。

得た事のない感情に振り回され、結局一睡も出来ないまま朝を迎えていた。

寝転ぶ事もなく、座った状態で手元に収めた目覚ましの音を鎮める。

呆けた頭で勉強机に置いた舟木君似のぬいぐるみを視界に入れてしまって、慌てて目を逸らした。

これから学校に行かなければいけないというこの時に、

無為に心の中に不和の種を植え付けるのは憚れる。

目線を極力逸らしたまま、切り替わる様子の無い頭を連れて着替えを済ませ、

昨晩の内に必要な物を詰めたランドセルを持って居間まで降りた。


「お?今日はちゃんとすぐに起きたんだな」


居間に着いて真っ先に声を掛けてきたのは、

寝ぼけ眼で朝食を食べに来る頃にはいつも出勤している父親だ。

日頃は五分おきに設定している目覚まし時計を最低でも三回鳴らすまでは起きられない事から、この反応は正しいと言えるだろう。

歯磨きをして顔を洗って居間に戻ると、

いつもは出掛けている時間にも関わらず父親が椅子に掛けていた。

出掛けなくて大丈夫なのだろうか?


「こうやって全員揃う事は中々ないからな。いつも余裕を持って出勤しているから、少しくらいゆっくりするのは大丈夫だ」


微笑みながらそう言う父親に不安定になっていた心を宥められ、

朝食が並べられた席に着く。

最近の学校であった事、嵌まっている物事等、

根掘り葉掘りという程ではないがいくつか聞かれ、その答えを一家団欒の会話の種として提供した。

クラスメイトの話になった時は背中に冷たいものが触れたかのような感覚に陥ったが、無難な返答で難を逃れた。


そんないつもよりのんびりとした朝食を終えて支度を整えて学校へ向かう。

舟木君似のぬいぐるみは、外の景色を楽しめるようにと窓辺に座らせておいた。

ガラクタ山を正面に見据えられる位置に置こうとした際、

反発するような意思が感じられた気がしたがきっと気のせいだろう。

これ以上不可解な現象で心象を乱されるのは御免だ。


ぼんやりと昨夜の記憶に探りを入れながら、

変わらぬ情景を求めて教室の扉を開けた。

まばらに登校してきているクラスメイトと、扉が開く音に反応して振り返るその中の数人。

変わらない朝の情景。

遅刻常習犯の舟木君はやはりまだ登校して来ていない。


だが一つ。


抑えられたと思っていた不穏を燻らせるものが目に映った。

舟木君の席に、出席番号が一つ後の保谷君が座っている。

彼は、他人の席に無遠慮に座る程傍若無人ではない。

それにあの座り方は、自分の席だと確信している時のそれだ。

小学生の僕でも予想出来得る最悪の可能性。

出欠確認の際、それは無慈悲に裏打ちされた。


「樋口君」

「はい!」

「保谷君」

「はい」


舟木君の名前が、一切の淀みなく飛ばされる。

当人が休みであった場合も、

欠席理由をクラスメイトに伝える為に形だけの出席を取るというのに。

これはもう、目を背けられる範疇を超えている。

舟木君は何かしらの原因でこの世界から居なくなり、

関わっていたはずの人達の記憶からも消えている。

そして何故かその事を、僕だけが把握出来ている。

周囲の不気味な程の自然さは、

鮮明に思い出せる記憶が偽物なんじゃないかと同調させられそうになる圧力を持ち合わせていた。







「やあ葉月君。夜中に行くガラクタ山はどうだった?」


変わらぬ夕暮れの、変わらぬ二人の時間。

中身の無い会話を挟んで投げかけられたのはそんな言葉だった。

ガラクタ山の頂上での記憶は、全て合わせても一分にも満たない。

その短い時間で色々な事があり過ぎて感想を求められても口を吐くものがないのだが、実体験としての記憶の、頂上に居た人物や舟木君の話をするのは憚れた。

親より信頼していると言っても過言ではない常葉君に何故話す気にならなかったのかは分からないが、

ひとまず益体のない与太話でその場を凌いでおく事にした。


「やっぱり月見山っていう正式名称を持つくらいだから、綺麗なんだね。梶田君とは話した事ないけど、一緒に行けば良かったかもしれない。三人も居れば、子供だけでも親の許可が下りるだろうからね」


心の中で淡い期待を寄せていたが、

どうやら常葉君も御多分に洩れず舟木君の事を忘れてしまっているらしい。

思いの外常葉君には周囲と違うものを求めていたのだろうか。

落胆が顔をついて出てしまった。


「どうしたんだい葉月君。落ち込んでいるように見えるけど」


会話の流れに不自然が無い様、話していた内容に沿わせて嘘を作り上げる。

表情は今更繕っても手遅れだろう。

少しの嘘と本心を混ぜ合わせて出来た言葉を並べた。


「そっか。葉月君も一緒に行きたいと思ってくれてたんだね。よし!今度の満月の日は親に聞いてみるよ。唯一の親友である葉月君の願いとあれば、叶えないわけにはいかないからね」


いつ振りだろう。

いや、もしかしたら初めてだったかもしれない。

常葉君から言われた〝親友〟という言葉に、沈み切っていた心は少し軽さを含んだ。

問題は、

ひと月後までに夜のガラクタ山へ抱いてしまった恐怖心を拭えるかどうか。

猶予があとひと月を切った問題を先送りにして、

一日の内で最も楽しい十数分を過ごした。

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