全国クラスの帰宅部

蟻喰淚雪

全国クラスの帰宅部

 帰りのホームルームを終え、しばらくの時間が経った。

 教室には夕日が射し込んでいる。

 クラスメイト達は各々の居場所へと向かっていった。部活動に励む者もいれば、塾に通う者もいるし、連れ立ってカラオケに行く者もいる。

 教室には、もう二人の女子生徒しか残っていない。

 上町紗綾は、ホームルームの時間からずっと眠っている。

 その前の席では、八田杏奈がぼんやりとスマホをいじっていた。

 突然、寝ているはずの上町の身体が、びくん、と跳ねた。

「うわ……。びっくりした……」

「びっくりしたのはこっちよ。なんなの、もう」

「夢で事故ったら、ガクッ、ってなった」

 上町はそう言ってから、しまった、と言いたげにくしゃくしゃと短い髪を弄った。

 上町が事故にあったのは、もう一年前のことだ。

 八田と組んだダブルスで、全国大会出場を決めた試合の帰り道だった。

 幸い、命に関わりはしなかったが、上町は足首を骨折した。

 もちろん、全国大会には出場出来なかった。

 上町はしばらく部活を休んで、やがて退部届を出した。

 八田は「辞める事ないじゃない」なんて事は言わなかった。

 その代わりに、というかなんというか。

 八田も部活を辞めた。

 その時、上町は「辞める事ないだろ」と言った。

 八田は「もう退部届出したし」とだけ答えた。

 その後は特に説得など、しなかった。

 上町が退部届を出したあの日。

 たとえ八田に「辞めることないじゃない」と言われたとしても。

 自分が辞めるのをやめることはなかっただろうと、上町は思った。

 それでようやく気付いた。

「辞めることないだろ」なんて言葉は、そもそも必要なかったのだと。

「お前、なんかしたろ?」

 上町が八田の肩を指で突っつきながら言う。

「なんか、って何よ」

「こうやって揺すったりさ」

 そう言って、八田の肩を掴んで、軽く揺すった。

「しないわよ。ヒマじゃないんだから」

「よく言うよ。ヒマだろ。こんな時間まで残ってさ」

 上町は大口を開けてあくびを漏らすと、机の中の教科書を鞄に突っ込んだ。

「置いとけば? 家で勉強しないでしょ?」

 立ち上がって鞄を肩に掛けた八田がそう言う。

「わかんないだろ、そんなの」

「わかるわよ」

 歩き出した八田の後に、上町が続く。

 校舎を出るまでの間、特に会話はなかった。

 今更、無言の間を居心地悪く思うような間柄でもない。

 グラウンド横を通る時に、同じクラスのサッカー部の男子生徒が二人に手を振った。

 二人は同時に軽く手を上げて応えた。

 見るからに適当な素振りだった。

「毎日。よくやるよな。うちのサッカー部、クソ弱いのにさ」

 いつも通りの通学路を辿りながら、上町が言う。

「いいんじゃない。何もしてないよりは」

 悪気はないんだろうが、上町には胸をちくりと刺されたように思えた。

 自分が何もしてないのは、全然いい。

 ただ、付き合って辞めた八田の事は、やはり気にかかる。

 八田はまだテニスが出来るのに。

 ただ家に帰るだけの毎日に付き合わせているのは、胸が痛い。

 八田にしてみれば、お付き合いのつもりなどない、とわかっていても、だ。

「やりゃあいいじゃん。なんか……」

 なんか。

 ……なんか、ってなんだ。

 またテニスやれよ。

 そう言えない自分が、上町には腹立たしい。

 もし八田が部に戻ったら、この道を一人で帰ることになるだろう。

 それは想像するだけで退屈だ。

 八田は黙ったままだ。

 何か言えよ、と上町は思った。

「やってるわよ。知らないの? エースよ、私」

 不意の言葉に、上町は咄嗟に振り返る。

 何を? とは聞かない。

 聞きたいとしたら。

 何処で?

 何時から?

 上町は言葉を探った。

 口が半開きになって間が抜けた顔をしているのに、本人は気付かない。

 八田は悪戯っぽく笑ってみせた。

「帰宅部。全国クラスなの」

 肩の力が抜ける思いがした上町は、呆れ返って溜息を漏らした。

 足早に歩を進める上町に、八田が小走りで追いつく。

「貴女はだめね。居眠りをして帰宅時間を遅らせるような人。全国じゃ通用しないわ」

 八田はくすくすと笑ったが、上町には全然笑えなかった。

 あの日、事故にあったせいで、自分が全国で通用したのか、しなかったのか。

 それすらもわからない。

 八田が隣に並ぶと、上町はまた少し歩調を早めて前に出る。

「一列で歩けよ。帰宅部のマナーだろ」

「女子高生は横一列になって歩くのが公式ルールよ」

「迷惑すぎる。クソみたいなスポーツだな」

 スポーツかどうか知らんけど、と上町はぶつぶつ独り言をこぼした。

「ルール、おさえとく?」

「……一応、聞いておこうかな」

 正直、全く興味はなかったろうが、上町はそう答えた。

「それでは……」

 八田は、こほん、と咳払いをして声の調子を整える。

「その一。帰宅はご安全に」

「じゃあ、横一列になって歩くなよ。その一から破綻してる」

「その二。前向きに、真っ直ぐ自宅を目指すこと」

「そりゃあ、帰宅だからな」

「その三。楽しそうな事があった場合。ちょっとした寄り道は加点対象とする」

「加点? ポイント制だったのかよ。タイムを競うのかと思ってた」

「そうよ。減点もあるから気をつけて」

「帰宅中の事故は減点だろうな」

 上町の言葉に、八田は応えなかった。

 余計なこと、言わなきゃよかったな。

 上町がそう思った頃、八田が口を開いた。

「減点になるのはね。忘れ物よ」

「……ああ。取りに戻らなきゃいけないからな」

 思い付きだけで喋ってるのかと思ったが、意外としっかりしたルールだ。

 上町は妙に納得した。

「取りに戻るのは、いいのよ」

 喋りながら、今度は八田が歩調を早めて上町の前に出た。

「でもね。忘れ物に気付いているのに、取りに戻りもしないで、帰宅するのはだめ」

 上町はぼんやりと八田の背中を眺めながら耳を傾ける。

 練習の時も、試合の時も、よく見た背中だ。

「後ろをちらちら気にしながら帰るのは、帰宅道に反するわ」

 八田は「おわかり?」と言って振り向いた。

「なんだよ。帰宅道って」

「果てのない家路よ」

 わけわかんない、と上町は笑った。

「それよりお前。さっきから振り向いてんじゃん。減点だろ、それ」

「ああ……」

 そう言えばそうね、と八田も笑った。

「ったく。しょうがないな。帰るまでにポイント取り返さなくっちゃな」

 上町は八田の隣に並ぶと、その背中をぽんと叩いた。

「ラウワン寄ってこうぜ」

 そう言って隣を歩く八田に目をやる。

「テニスしよう。久しぶりにさ」

 どちらからともなく足を止めた。

 八田が静かに上町を見つめ返す。

 しばしの間、二人はただ見つめ合っていた。

 こうして真っ直ぐに八田と目を合わせるのは、上町には本当に久しぶりの事と思えた。

 やがて八田が、小さく口を開いた。

「……ナイス帰宅」

「その声掛け、クソださい。もっと設定考えとけよ」

 上町は笑って、掌を差し出した。

「行こうぜ。全国」

 その掌を八田が叩いて、ぱん、と小気味良い音が通学路に響いた。

 テニスで全国行きを決めたあの日、あの試合の事を上町は思い出した。

 あの時交わしたハイタッチと同じ音だった。

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全国クラスの帰宅部 蟻喰淚雪 @haty1031

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