第3話 告白



 

「……響クン 完敗だ。見事な組手だった」



 しばらくの沈黙の時間の後 仰向けに寝転んだままの愛海めぐみさんが声を掛けてくれる。



「……いや。オレの負けだったと思います。最後 顎 狙えたのに なんで 打たなかったんすか?」

 

 

 愛海めぐみさんに素朴な疑問をぶつける。

 あそこで 顎に打撃が入っていれば 床に這いつくばってたのは オレの方だった。

 

 

「ああ。それだ。それこそが完敗の理由だ」


「??」


「私には あそこで キミの顎を打ち抜く覚悟が持てなかった。……結局 私は 武人には なりきれないと痛感させられた」


「武人の覚悟っすか?」



 ゆっくりと起き上がった愛海めぐみさんが 座り込んだままのオレに近づいてくる。



「隣に座っても構わないか?」



 小さく頷くオレ。

 汗で全身を濡らし 艶やかな黒髪も少し乱れた しどけない姿の姉弟子が オレの直ぐ傍に腰を下ろす。



「結局 私は女だな。武人だ なんだと肩肘張ったところで キミの綺麗な顔に拳を打ち込むなんて そんな覚悟は 持てなかった」


「……愛海めぐみさん?」



 しばらくの沈黙の後 もう一度 愛海めぐみさんが ゆっくりと口を開く……オレの目を見上げた後 少し不安げに視線を前に戻しながら。

 


「18歳のお誕生日 おめでとう。……ずいぶん前から 伝えよう 伝えようと思っていたんだが ズルズルと先延ばしにしてしまっていたことが あるんだ。キミの18歳の誕生日に伝えると決めて 今日の〈惣稽古〉に臨んだ。申し訳ないが もう少し 時間をもらえるだろうか?」


「……なんでしょうか?」



 いつもと違う 愛海めぐみさんの雰囲気に 心臓が痛くなる。

 ほんの数分前まで 拳を交わして闘っていたとはいえ このひとは オレが ずっと憧れ続けている女性。

 ……なんとなく なんとなくだけど 空手を辞めるとか そんな感じの聞きたくない告白を聞かされる予感。



「もう ずいぶん前から 響クン『キミに負けたくない』ということが 私が立花流を続ける理由になっていた。鍛練も 覚悟も キミに負けたくない キミの前では素敵な先輩でいたいという 浅はかな虚栄心を支えに取り繕った紛い物。……笑ってくれ」


 

 自嘲気味に そう笑うと オレの目をもう一度 覗き込むように 見上げてくる。



「今日 全力で相手をしてくれて ありがとう。私も全力を出し切れたし その上で負けて 少しスッキリした。響クン。キミの方が 強い」


「……あ あのっ 空手辞めるなんて 言わないで下さいねっ? オレ 愛海めぐみさんに追い付きたくて立花流 続けてきたんっす。愛海めぐみさんが辞めるなら オレも辞めるっすから」


 

 愛海めぐみさんの 重い告白に耐えれなくなって オレは 思わず口を挟む。


 

「そう言ってくれるのは 嬉しいが 実力も覚悟も 響クンの方が 上だ。前々から思っていたんだが 今の〈惣稽古〉で得心したよ。素晴らしい残心。素晴らしい覚悟だった」


「今日も 試合の流れコントロールしてたのは 愛海めぐみさんだったじゃないっすか。オレ まだ あんな風に試合組み立てたりできないっす。愛海めぐみさんは ずっとオレの憧れの先輩なんす。ホント 教えて欲しいことが まだまだ あるんで 傍にいて欲しいっす」


「……ありがとう。でも 格好いい先輩でいるのに 正直 疲れたんだ。そんな実力もないしな」



 いつも凛とした歳上の女性の 気弱な言葉に動転し 本音がポロリと洩れる。



「格好いい先輩なんかじゃなくて いいです。オレ 愛海めぐみさんに傍にいて欲しいんっす」



 ヤバい。

 言ってしまってから気づく……ほとんど 告白まがいのセリフだって。

 顔が 赤くなってるのが自分でも分かる。

 全力で 闘ってた時より 心拍数が上がってる実感。



「格好のいい先輩じゃなくても いいのか?」


「いいんっす。愛海めぐみさんが愛海めぐみさんでいてくれるだけで オレには十分なんすから」


「……そうか。少し安心した。私とキミを繋ぐものは 空手しかないのかと思っていた」



 そう言って オレの目を見て微笑む 愛海めぐみさんは 儚くて か弱げで 守ってあげたくて……。

 思わず 肩を抱きそうになるけど かろうじて自重する。

 


「なぁ 情けない先輩だって バレたついでに 1つ謝りたいことがあるんだが 聞いてもらえるかな?」


「謝りたいことっすか?」


「ああ。……随分 昔の話だし たぶん 響クンは覚えていないと思うんだが ずっと謝りたいと思ってた」


「なんなんすか?」



 出会ってから もう十数年経ってる 何の話か見当もつかない。

 愛海めぐみさんは 少し はにかんだ笑顔を オレに向けると 恥ずかしそうに告白する。



「キミと初めて出会った小学生の頃 私は ひびきちゃんのことを本気でだと勘違いしてたんだ。だから『婿』なんて 失礼なこと言ってしまった。こんなに綺麗で美しいなのに。すまなかった」


 

 そして オレから 目を逸らし 下を向いて 呟くように 更なる告白。



「……ただ 私の気持ちは あの頃と変わらない。響クンに 私のお嫁さんになって欲しいって思ってる。ずっと 思っていた」



 そこまで言い終わると もう一度 顔を上げて オレの目を真っ直ぐ見て言った……その美しい二重瞼の端には 大粒の涙。



「……ははは。やっぱり 傍にいて欲しいなんて 思わないだろう? 私は こんな人間なんだ。キミの傍にいる訳には いかないんだ。これまで 本当によくしてくれて 本当にありがとう。でも 今日で キミの前を去る。もう2度とキミの目の前には 現れない。約束する。……だから サヨナラだ」



 そう言って立ち上がろうとする 愛海めぐみさんの腕を掴んで引っ張り 半分 無理やり肩を抱く。

 初めて抱き締める お姉ちゃんは 思ったより ずっと小さくて 柔らかくて そして 温かかった。



「そんなの ダメっすよ。オレだって約束覚えてたっす。……オレだって 今日まで 愛海めぐみさんの『お婿さん』になるって約束のためだけに 空手続けて 〈オレ〉って言うようにして カッコつけて生きてきたんす。そんなオレ置いてどっか行くなんて 絶対 許さないっす」


「……響クン? 私達は 女同士なんだぞ?」


「関係ないっす。オレの好きなのは 今も 昔も これからも 愛海めぐみさん ただ1人っす。オレ 愛海めぐみさんに オレのお嫁さんになって欲しいんっす」



 オレの最愛の女性の美しい顔に広がる驚きの表情。

 愛海めぐみさんが 何か言いかけたが オレは我慢できずに その麗しい形良い唇を自分の唇で塞いでしまう。


 

「……んんっ」



 彼女の返事が何だったのかは 分からなかったけど 彼女の唇を塞ぐオレの首に 彼女の2本の腕が巻きついてきた……オレには それで十分だった。


 


 

 

 

  

 

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