第2話 惣稽古




 3月14日 13時半。

 14時からの〈惣稽古〉に向けて悟堂道場に入る。

 道着についての決まりは無いけど 古流の〈着物に袴〉の道着を身につける。


 愛海めぐみさんは 空手の道着でくるかもしれない。

 正直 空手道着の方が動きやすい。

 着物道着 特に袴は どうしても蹴り技の初動が遅くなる。

 打撃技有利のオレにとっては ハンデ。

 ただ フィジカルのアドバンテージを考えたら それ位は 当然のハンデ。

 

 まぁ 足構えが隠せるから 愛海めぐみさんみたいな上級者相手には 色々とフェイクやブラフが使える。

 技量と経験の差は歴然なワケだし 弱点部分を補うという意味では 悪くない選択肢とも言える。


 着物の袖を襷で留め 東藤とオレンジ色で刺繍された黒帯をギュッと締めて 道場へ。


 まだ 愛海めぐみさんの姿は見えない。

 5分ほどして 姉弟子が 道場へと現れる。


 純白の空手道着に オープンフィンガーグローブ。

 小脇にフェイスガードを抱えた フルコンタクト空手の組手スタイル。



「……ああ。響クンは 着物袴か」


「一応〈惣稽古〉なんで 古式のスタイルにしてみたっす」


「グローブも無しか?」


「お望みなら着けるっすけど?」


「……いや。私の覚悟が足りなかった。私もグローブは外そう」



 そう言うと 愛美めぐみさんは フェイスガードを置き 手と足の防具を取り外す。

 グローブ フェイスガード無しの組手も 18歳以上だけに許されている。

 本物のフルコンタクト。

 

 愛海めぐみさんの仕度が済むと 互いに道場に礼をして 内陣へ。

 開始線に立ち 神棚へ礼。

 続いて 互いに礼。


 サッと 間合いを取り互いに 構え。



「いつ開始にします?」


「〈惣稽古〉だ。礼の時点で もう始まっている」


「……了解っす」



 愛海めぐみさんは 左半身を前にし 握った右拳を右脇に構えたオーソドックス右利き構え

 立花流で言うところの〈虎足〉の構え。

 一気に間合いを詰め 懐への飛び込みを狙った 攻め主体の構え。

 いつも通り 艶やかな黒髪を高く一つ括りにした 凛とした出で立ち。


 対するオレも もう少し正対気味ながら 左半身を前にしたオーソドックス右利き構え

 前に出した両手を 少し上下に開き構える〈龍髭〉と呼ばれる構え。

 飛び込んで放たれる打撃を パリイでいなし 右蹴りのカウンターで仕留める段取り。

 右足を見られて 立ち位置を悟られぬように 少しだけ身を屈め 袴の裾で足下を隠す。



 獲物を狙う虎が ゆっくりと尻尾を揺蕩たゆたわせるように 身体を僅かに揺蕩わせ 間合いとタイミングを測る姉弟子。

 ほんの些細な集中力の乱れをも見逃さずに飛び込んでくるであろう緊迫した空気感。

 その緊張感に呑み込まれぬように 少しずつ 立ち位置や重心の位置を変え 腕の開き方や指の握りを調整し 相手の出方を伺う。


 〈龍髭〉は 守り主体の構えとはいえ 攻めへと繋ぐ派生型も多数ある。

 相対するアーモンド型の二重瞼に 一瞬でも隙が見えれば こちらから仕掛ける。

 その覚悟も持っての 互いの我慢比べ。

 開いて構えている掌にすら うっすらと汗をかく重い空気。


 先に 動いたのは 愛海めぐみさんだった。

 影のように音もなく始動し オレの制空圏内へと侵入。

 顎先を狙った 左の速突き。

 もちろん 本命は 右鈎突きでの左脇腹。


 最短距離を飛んでくる左突きを右手でいなし 右の鈎突きを左の手刀で叩き落とす。

 体勢が崩れた愛海めぐみさんの左胴を狙い カウンターの右蹴りを放つ……のを 寸でのところでこらえる。


 今の一連の攻撃自体がオレの右蹴りへの


 速突きをいなされた後の左手が オレの右蹴りの軌道に用意されてる。

 右脚で床板を蹴り 推進力に変え 小具足狙いで半歩引いた 姉弟子への間合いを一気に詰める。


 オレもセオリー通り左の速突き…からの右鈎突き。

 左突きは いなされるが 鈎突きに対応する手刀の始動が遅い。

 必倒の気迫を込めたオレの右拳が愛海めぐみさんの柔らかな左脇腹を抉る……寸前 かろうじて間に合ったガードがクリーンヒットを妨げる。

 ダメージは通ったろうけど 一撃必倒には 程遠い。

 さらなる追撃を…と思った刹那 姉弟子の右蹴りの始動に気づく。


 かろうじて 間合いを外し 左脇腹は守るけど 左大腿へ強烈な蹴りが入る。

 筋肉に力を入れ弾く。

 だけど オレの前進 オレの追撃を止めるには 充分な一撃。


 後ろへと跳び 間合いを取る。

 小さく息を吐き 呼吸を整え直す。

 

 愛海めぐみさんの美しい二重瞼には 微かな喜びの色。


 脇に一撃を入れたけど 太ももに一発。

 軸脚へのダメージは 蓄積するとマズい。

 打撃メインのオレとしては 短期戦で決めたい。

 そのオレの思惑が外れ始めていることへの喜びか?


 だが まだ一発。

 たいしたダメージじゃあない。

 どっちかって言うと「自分のペースを崩されてる」って思わせようとする心理戦。

 相手のペースに 巻き込まれるのが一番危険。

 歳上のたなごころで踊るワケには いかない……平常心だ。


 

 2合目は オレから仕掛ける。

 左脚払いから入り 突きと手刀のコンビネーション。

 力押しするけど ガードを叩いただけ。

 撤収際に 軸足にローキックをもらう。



 間合いを取り 呼吸を整える……また 軸足にもらった。

 一発目に比べれば 軽い打撃だけど 相手の思惑に乗せられてる気がする。

 厭な感じの汗が 背中を流れ 襦袢代わりのキャミを背中に張りつかせる。

 重い空気を払い除けるように 気迫を込めて 腹から声を出し吠える。



「オォォーーーーッッッ」


 

 オレの叫びに応えるように 愛海めぐみさんも裂帛の気合い。


 

「ヤァァーーーーッッッ」



 ……3合目 4合目。

 ガードの上から体重の乗った打撃を当て愛海めぐみさんの体力を削る。

 ダメージは 与えてるけど 決めきれない。

 小兵の拳士は ガードを固めて オレの軸足をひたすら狙ってくる。


 お互いの 手の内を知り尽くした者同士。

 立花流の理想とは 程遠い消耗戦。

 もう10分以上闘ってる?

 ……いや まだ 4合。

 3分経ったか どうかってとこのハズ。


 でも 既に10分以上闘い続けているかのような 疲労感。

 顎から滴る汗を拭いたいけど その僅かな動きすら つけこまれる隙になりそうな緊張感。

 愛海めぐみさんの顔も紅潮し 道着の襟元に見えるグレーのTシャツが暗灰色になって胸元に張りついている。

 息も荒い。

 相手も消耗している。

 踏ん張りどころ。


 

 もう一度 構えの隅々まで 気を巡らせ集中力を高め直す。

 愛海めぐみさんも 大きく息を吸い 静かに吐く。

 黒い睫毛の美しい目に 鋭い眼光が甦る。


 勝負処。


 こっちが苦しい時は 相手はもっと苦しい。

 愛美めぐみさんが 試合の時 いつも教えてくれたこと。

 尊敬する姉弟子の教えを胸に 姉弟子を乗り越える。

 


 先に動いたのは 今度も愛海めぐみさん。

 〈虎足〉の構えから 瞬速の動きで懐を狙っての飛び込み。

 今日 最速の突っ込み。

 身体の位置が低い。


 蹴り上げるか 手刀で上から潰すか 迷う絶妙の高さ。


 一瞬の迷いが 命取りになる。

 初動の遅れた 右の手刀。

 その振り下ろす腕に小兵の女拳士の左腕が絡みつく。

 小さく関節を決められ 身体の位置を コントロールされてしまう。


 このタイミングでの小具足!?

 

 背筋を戦慄が走る。

 がら空きになった顎下へ 姉弟子の右拳が迫る。

 ヘッドスリップでかわそうとするが たぶん間に合わない。

 敗北を覚悟する。


 だが 思ったタイミングで衝撃は来ない。

 その一瞬の間に 習い覚えた動きで オレは身体を沈め 絡められた右腕を相手の左腕に絡め直し 腰と肩で 小さな愛海めぐみさんの身体を跳ね上げる。

 宙を舞う姉弟子の白い道着。


 ズダァァアン


 愛海めぐみさんが床に叩きつけられる音が 板張りの道場に響き渡る。

 

 残心。


 仰向けの愛海めぐみさんの顔面に下段突きの構え。

 一瞬 目が合う。

 その美しい瞳には まだ 鮮やかな煌めき。

 だが 愛海めぐみさんは 大きく肩で息をして起き上がってはこない。

 拳を 鼻先で止め サッと周りを見回し 残る敵がいないか確認する……もちろん いない。


 組手終了。


 大きく息を吐く……。

 そして 仰向けで倒れたままの愛海めぐみさんの直ぐ横に ヘタリ込むようにして オレは腰を下ろした……。



 

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