コロネーション(戴冠)

騎士団長がもどってきたのは、休憩時間も半ばを過ぎてからだった。

騎士団長の後ろには、若い騎士と、幼い少女の姿もある。

どうみても十歳以下の少女は、若い騎士に手をひかれて、慣れない場所に落ち着かない様子だった。


(そういえば、何歳ぐらいの子なのか、聞いてなかったな)

(少女といっても、年頃の娘なら、ウェンリーが何か言ってそうだし)

(まだほんの子どもだから、いろいろと大目に見てもらえたって感じか)


そんなことを考えながら、エリアキムは三人を迎えるべく馬車を出て、窮屈な正装の乱れを整え、来賓を迎える姿勢をとった。

背後には音もなくウェンリーが控えている。

騎士団長が立ち止まり、改めて敬礼してから口を開いた。


「連れて参りました。これなるは随行の二年騎士ヨセフ、子どもはマダレナ村の小作人ケイオスが娘、エヴァと申しております」

「ご苦労様です」


騎士団長をねぎらってから、名をヨセフと紹介された若い騎士にエリアキムは顔を向けた。

初めて見る顔だった。

エリアキムと同世代か少し年長かもしれない。


「貴方が、この子から、この花冠を受けとってくれたのですね?」


若い騎士に声をかける。

エリアキムは基本、臣下に話しかけるときは丁寧語を使う。

何となくそうしているだけで他意はない。

それでは威厳がないという者もあるのだが、本人はあまり気にしていない。

若い騎士は緊張した面持ちで答えた。


「はい。この娘は、その花冠を皇太子殿下にお渡ししたいと必死になっておりました。本来ですと、沿道の民から渡される花束等は騎士団預かりとするのですが……」


「その……、聞けば事情もあるようでして、僭越ながらわたくしの判断で受け取り、団長を通じて殿下にお伝えいただくよう、お願いした次第であります。勝手をして大変申し訳ございません!」


一気に言って、ヨセフという若い騎士は深々と頭をさげた。

自分が呼ばれたのは叱責をうけるためと、勘違いさせてしまったのかもしれない──

ヨセフの報告と謝罪を聞いて、エリアキムはそう思い至った。


「いいえ。受けとってくれて、ありがとうございます」

「顔を上げて下さい。貴方の判断は、騎士として立派な行動と私は思います」


エリアキムがそう言うと、ヨセフは安堵した表情で顔を上げた。

事情というのが気になるけれど、それは本人に聞く方がよさそうかな──

そう思って、エリアキムは傍らの小さな女の子に顔を向けた。

少女は半ば怯えたような表情でエリアキムを見上げている。


最初エリアキムは子どもの目線に合わせてしゃがむつもりでいた。

聞きかじりだが、それが子どもと接するときの良識のように言われていたから。

なのに、エリアキムが実際にとった行動は、なぜかまったく違うものになってしまった。


「私が皇太子エリアキムだ。可憐な花冠をありがとう。君が自分で作ったのか?」


起立したまま、幼い少女を見下ろす位置から、エリアキムはそう言っていた。

それは皇太子としての公式な姿勢であり対応だった。

子どもに優しい姿勢、子どもに寄り添う対応でないことは分かっている。

分かっているのにそうしていた。

子ども相手に俺はアホか──と内心ツッコミを入れながら。


「わたしじゃ……なくて……マリア……マリアが……つくりました」

「君はエヴァ、だったね?」


エヴァとマリア。

女性に一番多い名前の二人。

言うまでもなくエヴァは人類の始祖アダムの妻、マリアはイエスの母になるわけだが、エリアキムの名も、この二人ほど有名ではないが、同じく聖書からとられている(マタイによる福音書1-13他)。


「マダレナの……エヴァです……マリアの……ともだち」

「今日はマリアと一緒に?」

「いえ……マリアは……マリアは……死んじゃったから……わたしが……」

「………」


エヴァとマリアが住むマダレナ村とその近辺は先月、流行性の熱病に襲われた。

このあたりはまだ医者も少なく、抵抗力の弱い老人と子どもが次々と亡くなった。

つい先日、マリアもその熱病に冒されて八歳の短かすぎる生涯をとじた。


そのマリアが、憧れの皇太子様に渡そうと一生懸命作っていたのが白詰草クローバー花冠リース

だから何とかして皇太子様に渡したかった──。

エヴァの断片的な言葉をつなげてみると、事情というのは、そういうことらしかった。


「エヴァ」


エリアキムは改めて少女の名を呼んだ。

見下ろす位置から、姿勢を保ったままで。


「は、はい」

「ではこの冠を君の手で……マリアと君の手で、私の頭に被せて欲しい」


そう言って、エヴァに花冠をもたせて、初めてしゃがむ。

少女の顔よりも低い位置に、自分の頭が来るようにして。

エヴァは何も言わなかった。

小さな両手が、覚束ない手つきで、花冠を皇太子の頭に被せた。

エリアキムは立ち上がった。


「ありがとう。マリアに伝えて欲しい」

「………」

「私はこの冠をとても嬉しく思う。とても誇りに思う。今日は来てくれてありがとう」

「………」


少女はだまってエリアキムを見上げていた。

エリアキムの言葉は最後まで硬く、とても子どもが打ち解けやすい内容ではなかったのだが、それを伝えるエリアキムの声には、背後のウェンリーがハッと顔を上げたくらい優しい響きも込められていた。

エリアキムは微笑していた。

皇太子らしい微笑だとウェンリーは思った。


結局、少女の手を握ることも、頭をなでることもなく、エリアキムは馬車にもどった。

エヴァは若い騎士に手をひかれて門の方へもどってゆく。

粗末な身なりの後ろ姿が小さかった。

マリアという少女もきっと同じように小さかったのだろう。

小さな手が作った素朴な冠を頭にのせたまま、皇太子はいつまでも、その後ろ姿をみつめていた。





それからの四日間、エリアキムはウェンリー相手にときどき愚痴をこぼしながら、それでも大過なく“皇太子お披露目”の馬車行を務め上げた。


バルト王国はこれといった産業もない小国。

領都を一歩出ればどこも似たような農村地帯で、風景は長閑のどかだが民の生活は貧しい。

古代ロマリア帝国の従属下にあった時代に整備された街道が東西南北にのびているため、馬車交通の便はよく、それが唯一の“財産”ともいえる。

この馬車行もその街道を活用した王室の催しだった。


「よく思うんだけどさ。普段、絵姿でしか知らない皇太子の姿を、近くから、より多くの民に見せる──その趣旨っていうか狙いは分かるんだけど、現実の効果はプラスとマイナス、どっちが大きいと思う?これは愚痴でなく真面目な質問として」


全日程を終えて、王都へもどる馬車のなかで、エリアキムは少し改まってウェンリーに聞いた。

ウェンリーは即答した。


「もちろんプラスです。失態による大幅なイメージダウンでもない限り、とくに庶民にとって、実際に皇太子殿下のお姿を見たという経験はプラスにこそなれ、マイナスになることはありません。それに──」

「それに?」


「出発前に申し上げました通り、この馬車行は、民に皇太子殿下の姿を見せる旅であると同時に、殿下がこの国の民と民の暮らしを生で見る旅──でもあるのです。知識ではなく、その土地の風景をご自分の目でご覧になり、その土地の匂いを感じて、そこで暮らす人々の生きた表情に出会うこと。それがこの馬車行の一番の目的であると、わたくしめは考えております。……殿下におかれましても、感じることは、多々あったのではございませんか?」

「……たしかに」


エリアキムの脳裏にさまざまな風景がよみがえってくる。

人々が笑顔で手を振る道の向こうには大抵、貧しい村と痩せた土地があった。

さびれた教会があった。

沿道の人の列には加わらず、離れた位置から無表情で馬車をみつめている農夫の姿があった。

馬車には見向きもせず、集まった人々に小物を売ろうと駆け回っている子どもたちの姿もあった。

走馬灯のように脳裏をよぎる情景の最後に、長い静止画のように出てきたのが、だまって自分を見上げていた幼い少女の顔だった。


「がっかりしただろうな……」

「……そんなことはないと思います」


それは思わず口からもれた独り言だったが、幼い頃からエリアキムをよく知るウェンリーには、何のことか伝わってしまったようだ。

馬車の振動にまぎれるように返ってきたウェンリーの言葉にも、どこか独り言のような響きがあった。


「だといいけど。でも……幼くても、女の子だし」

「幼くても、女の子ですから」


ウェンリーの最後の言葉が、自分の独り言を肯定したのか否定したのか、エリアキムにはわからなかった。

それをいちいち確認するにはエリアキムは疲れ過ぎていた。

そのまま目をとじて窮屈な眠りに落ちる。

そのからだにウェンリーは毛布をかけ、座席に座り直して深く一礼すると、そのまましばらく頭を上げなかった。

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