皇太子エリアキム

笑顔で手をふるのは王族のつとめ。

皇太子エリアキムは疲れ切っていたけれど馬車の窓は閉めなかった。


沿道には多くの人が詰めかけている。

この馬車行は、18歳になった今年から正式に皇帝補佐の地位につくエリアキムを、国民に“見せる”ためのお披露目旅行だった。

主役の自分が音を上げるわけにはいかない。


(それにしても)


人々の反応に、この二、三日でエリアキムは慣れてしまった。

エリアキムが笑顔で手をふれば笑顔が返ってくる。

けれども馬車が行き過ぎたあとで、連れと言葉をかわす人々の声や表情に、感激とか称賛は感じないことが多かった。


「へえ……あれが本物の皇太子か」

「絵姿だと輝くような金髪だけど」

「金というより黄土色かな」


「なんて言うか、わりと普通っぽい?」

「そういう言い方はよくないよ。優しそうな方だし」

「ところでさ──」


注意していれば耳のよいエリアキムにはそのあたりの会話まで聞こえてくる。

言い方はさまざまだったが、要はエリアキムの実像に人々は軽く幻滅しているのだ。

それは出発前から覚悟していたことでもあった。


(絵姿の自分はとんでもないイケメンだし)

(王都はもちろん、巷にはそんな絵姿ばかり出回っているわけで)

(がっかりされるのは初めからわかってたけど)

(この状態でずっと笑顔っていうのは……わりと拷問だな)


さっさと窓をしめて寝てしまいたかったがそれでは職務放棄。

エリアキムが体調不良と言えば周囲は従うだろうが、それは臣下の仕事を増やすだけ。

そもそも主役のエリアキムが引っ込んでしまえば、この馬車行は意味がない。

がっかりされようが見くびられようが、公職につく18歳の皇太子をより多くの民に見せておくこと──それがバルト王国の伝統行事だった。


「……ったく、皇太子がイケメンで剣の達人とか、どこのバカが決めたんだよ」

「民の願望、ですね。どこのバカとか言ってはいけません」


「愚痴に正論返すのって楽しい?」

「仕事ですから」


側付きのウェンリーと言葉をかわしながら、エリアキムは窓から手をふりつづける。

もう五十代のウェンリーは、エリアキムが幼い頃から側付きの騎士兼教育係で、今日も軽装ながら腰にはさりげなく帯剣している。

直近の護衛もかねているのだ。


「畏れながら、殿下はご婦人方が騒ぐ美丈夫……ではないかもしれませんが」

「畏れなくても知ってる」

「初対面でも、人に好感を抱かれることが多い方です」

「………」


「あえて庶民言葉でいえば“優しそうなお兄さん”とでも申しますか」

「あえて庶民言葉でいう意図は詮索しない。……てかさ、美形なら、冷たそうでもクールで素敵!になるんだろうけど、見た目そこらの兄ちゃんが無愛想じゃ、ただの嫌なヤツだろ」

「然り」


「手が疲れた……」

「まもなく休憩地です」


馬車は休憩地の地元伯爵邸に入った。

ここは休憩地として広い庭を借りるだけで、屋敷に入って面倒な儀礼をこなす必要はない。

エリアキムはこれ幸いとばかり、馬車の窓をしめてドサリと座席に身を倒した。


「あと四日もつづくのか」

「皇帝補佐として最初の試練、でございますな」

「舞踏会よりはいいけどさ」

「………」


聞きなれたエリアキムの愚痴をウェンリーは聞き流す。

エリアキムは昔から舞踏会が苦手だった。

踊りが苦手というよりもドレス、宝石、豪華な料理といった舞踏会にひしめく調度と空気、それらをめぐる“ハイソ”な話題がどうしても好きになれない。


例えばドレス。

一着いくらするのかと値段も気にはなったが、それ以上にそういうドレスを美しいと感じたことがない。

目の肥えた者がみれば仕立てのよい上質のドレスとされる一着も、流行を追っただけの安っぽい一着も、エリアキムの目には同じ“豪華なドレス”でしかなかった。


あるいはお茶。

茶葉の種類や淹れ方をあれこれ語るのは、貴族だけでなく中流以上の市民にも共通する嗜みというか、好まれる話題となっているのだが、エリアキムは南国産の珈琲と呼ばれる飲料を砂糖を入れずにがぶ飲みするのが常。

といっても豆にそれほどこだわりはなく、茶に至っては飲めればそれこそ何でもよかった。


「そういう違いが分からない男、分かろうとしない男って、女には敬遠されるんだよな」

「かもしれませんね」


「あと甘いもの。別に嫌いってほどじゃないけど興味ない。ケーキと肉なら絶対、肉に行くし」

「バルト王国でも、昔にくらべて甘いものが好きな男性、自分でも作る男性が増えていますね。やはりその方が女性とは会話が弾むようです」

「甘いものは果物があれば充分。丸かじりが一番」


閉め切った馬車は音がほとんど洩れないので、側付きのウェンリーと好きに会話ができる。

エリアキムの場合、人の耳目がある場所で出来る会話、口にしてよい言葉は、一般市民よりもはるかに少なかった。

法令による制限はないけれど、王族が王族であるために守らなければならない不文律は実際いくらでもあった。

休憩は一時間。

少し仮眠しようと目をとじたときに馬車の扉がノックされた。


「失礼致します」


ウェンリーが扉を開けると護衛の騎士団長だった。

何か草花のようなものを手にしている。


「先ほど騎士の一人が沿道の少女からこれを預かりました。畏れながら皇太子殿下にお渡ししたいとのことです。危険がないことは確認致しました。如何いかが致しましょう」

「それは……何ですか?」


エリアキムは業務用の丁寧口調にもどして騎士団長にたずねた。

白い小さな花と緑の葉、緑の茎。それをいくつも編み重ねて輪にしてある。

室内装飾品で似たようなものを見たことはあるが、もっと色鮮やかな花が並んでいたような気がする。

騎士団長の手にある花はどう見ても野の花、要はそこらに生えている雑草だった。

傍らのウェンリーが言った。


白詰草クローバー花冠リースですね。庶民の子女がよく手作りします」

「へえ、これが……」


花冠リースなら知っている。

王妃が被るバラの花冠。

貴族令嬢が被る色とりどりの花冠。

花の名前をこれまたよく知らないエリアキムには、どれも似たように見えたし、宝石やドレスと同じように興味を抱いたことはない。

けれども騎士団長が手にしている花冠は、見た目が素朴なせいか、エリアキムには好ましく思えた。

騎士団長から花冠を受け取るとエリアキムは自分の手で頭に乗せてみた。


「私には一番似合う冠かもしれませんね」


ふとそんな本音を口にしていた。

絵姿のような美丈夫でもなく、ドレスや宝石やお茶の価値も分からず、“そこらに居そうな兄ちゃん”でしかない自分に被れる冠があるとしたら、この素朴な花冠が一番相応しいのではないか──そんなふうに思えたからだが、ウェンリーと騎士団長はどうにも困った顔。

二人のそんな反応も面白くて、エリアキムは楽しい気分になった。

休憩時間はまだあるしこの際──とばかり、エリアキムは勢いづいて騎士団長に声をかけた。


「この花冠をくれた少女と、少女からこれを受け取ってくれた騎士に、ここで会えますか?」

「それは……。受け取った騎士は庭の外にいます。少女は……まだ近くにはいると思いますが」


「可能ならで構いません。その少女を目立たないようこの庭に連れてきてもらえるなら、一言お礼を言いたいと思います」

かしこまりました」


沿道で馬車を降りて声をかけたりすれば、いくらなんでも目立ちすぎるし、あからさまな人気取りだ。

後々、不公平という批判も出てくるだろう。

けれどもこの休憩所は関係者以外立入禁止。

ここでなら、一言礼をいうくらいは許されるかもしれない。

らしくないスタンドプレーだと内心苦笑しながら、エリアキムは足早に庭を出てゆく騎士団長の背中を見送っていた。

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