きみを書く

羽守七つ

第1話 ノート

女子トイレの個室の中、黒縁の眼鏡を曇らせるほど興奮していた。

ばくばくと高鳴る胸に一冊の大学ノートを抱いて。


「めみーどーしたー?お腹痛いー?」


扉の向こうからさほど心配する様子でも無さそうな七星が呼びかけてくる。


「ななせさん」

他に誰もいないのを確認し、その後ろ姿に声をかけた。

「なに」

怪訝そうにゆっくりこちらを向く。


「ワタクシ、恋というものをしたのだと思います」


「はあ。そう」

くるりと鏡に向き直ってしまったので慌てて肩に掴みかかる。


「ちょっと親友の恋愛が気になりませんか!?女子高生になって初めての浮いた話が気になりませんかって!」


「あー!うざい!あんたがそういう喋り方する時大体めんどくさいんだよー!眼鏡曇ってんだよ!わかったって!聞くって!」


「えー、しょうがないなー聞かせてやるよ。ことの発端は5時間目の音楽の時間でありました」


相変わらずめんどくさそうな七星の表情を無視して話し出す。


私たち1年2組は長岡という女性教師に音楽を教わっている。毎回パートでざっくり分けられるくらいで座る席は決まっていない。

今日は最前列の一番端に座ってみた。

授業が終わる頃、いつもそうするように忘れ物がないか机の中に手を突っ込んでざっと撫でる。


「?」


右手に当たったものを引き出してみた。

どこにでも売っている、誰もが持っている、水色のキャンパスノート。

記名はない。


パラパラとページを送ってみると沢山の文字がノートの3分の1ほどを埋めている。

ひらがな、カタカナ、漢字。

英語の綴り?たまに記号のようなもの。

授業ノートではなさそうなそれを、なんとなく先生に預けずにこっそり持ってきてしまった。

6時間目の暇つぶしに読んじゃおーっと。


ノートの1ページ目って書き始めるのどきどきするよねーなんて思いながら表紙を開く。


文字、読み進める。

そのページだけ。

たった1ページだけを読み切って表紙を閉じた。

机に頭を沈めて、チャイムがなった瞬間七星を急いでトイレに誘った。



「そうなのです!私はこのノートの持ち主に恋をしてしまったのです」


「いやもう普通に喋ってってば」


「だってこんなことってある?ノートだよ?文字だよ?文章っていうか詞みたいなのがぶわーって書いてあるんだけどさ、それにさ、心を奪われちゃったわけさ!」


「詩ぃ〜?なんか、自分の世界入っちゃってる系じゃん。キモくない?」


「き、も、く、ない!刺さった!」


「歌手とかならまあ分かる。同じ学校の高校生だよ?絶対ナルシスト」


「ナルシスト万歳」


「何よどんなこと書いてんの?」


よこしな、という七星の手をパチンと叩いた。

「そんな邪悪な心の七星にはまだ早い」


「なんじゃそれ」


「それでよリアリスト七星。ワタシはいま私が興奮で頭がどうかしているとわかっている」


「おぉ、それはよかった」


「その上で君にこのノートの持ち主を探し出すのを手伝って欲しいんだ!」


「んーそれはおもしろそうかも。そんなロマンティックナルシスト高校生がどんな奴か気になるし」


「やたー!さっすが七星ちゃん!君の働きに期待している!」


片手にノート、片手に七星を抱き、ここに高校生探偵コンビが結成された。



 放課後のファミレスでドリンクバーを頼む。

「初会議だね、えっとーどうしようか、コンビ名」


「要らないよ」


「えぇー」

来る途中で買った同じブランドの色違いのノート。

この薄ピンクの探偵ノートに始めに書きたかったのに。

「じゃあ追々ってことで」


私の言葉を無視して七星が進める。


「まあ、一番は1年2組の前にどの学年のどのクラスがあの教室を使ったかじゃない?」


「意外と犯人まですぐ辿り着けそうだね」


「犯人っていっちゃうんだ。でも気づかれないままあの机にしばらくあったかもしれないし、昼休みに誰かがあの教室使ったかもしれないし」


「意外と犯人まで遠い道のりになりそうだね」


「はいはいそうですね。……んー」


七星が何か考え込むようにじっと見つめてきた。


「芽実が盛り上がってるとこ悪いんだけどさ、その持ち主って、男なの?」


「「……」」


厨房の奥でガシャーン!と音がして、薄く「しつれいしましたー」と聞こえてきた。


「今のあんたの心の音じゃない?」


「違います。ちがうの、いいの!男の人に恋したいけど!あわよくばどきどきハラハラきゅんきゅんとかしたいけど、したいけど!」


「めっちゃしたいじゃん」


「女でもいい」


「え」


「ちがう!そういうんじゃなくて。こんなにも心が動いたんだもん。まだたった1ページで。勿体無くて、大事にしたくて。すごくない?そんな人が同じ学校にいるかもしれなくて。あいたいに決まってるじゃん!」


七星がグラスのカルピスをひとくち飲んだ。

「……いつか私にもノート見せてよね」


私の言葉や思いを真剣に捉えてくれた。嬉しくなって茶化して返す。


「七星がロマンチックを受け入れる覚悟があるならね」


「見ないと考察できないじゃん」


「へへへ。確かにそうだね。とりあえず1ページ目だけね、私もそこしかちゃんと見てないから」


水色のノートを手渡す。

七星の瞳が左右に動く度にどきどきする。

どんどん七星に入っていく彼、もしくは彼女の言葉は七星に何を与えるのだろう。

きっと、このノートの持ち主も同じ状況になった時同じ思いをするのだろう。


そっと閉じて七星が言った。


「これは裸見られるより恥ずかしいわ」




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