第17話 第四犠牲者(2)

「………………………………………………」


 過去を思い出しながら、十数分。

 居心地が、悪い。そうエーラは感じていた。

 内心はダイソンも同様だ。おそらくは、イグナスも同じように感じているのだろう。明らかに息を潜めている。

 会話が無くなった。それだけのはずであるのに、

 しゅう、しゅうと。クチナが鼻で静かにする息が、言葉ひとつ無い地下室に響いている。


(くそ、なんだってんだ。今度はまるで――)


 じっ、と。

 心に忍び込む言葉を封じた今の方が、むしろ得体の知れなさが増したかのような。


 言葉の通じない怪物に、睨まれているような――。


 そんな気さえしてくるのだった。

 そう。睨まれている。クチナの頭はダイソンの方へ向けられている。ダイソンが少しだけ、椅子を横へと動かした。


「――――」


 クチナの顔も、そちらを向く。エーラは息を呑んだ。小声で囁く。


「ねえ、もしかしてあの子、見えてるんじゃ……」

「そんな訳はねえ。目隠しのシーツ、かなり厚く折り重ねたんだぞ」


 言い返して、ダイソンはクチナを見る。彼女の顔はこちらを向いている。ダイソンの方を。


(くそ……落ち着け! 口も塞いだんだ。もうあいつは何も出来ねえんだ!)


 自分に言い聞かせる。挑戦的に睨み付ける。

 それでも。クチナは強いられた沈黙のまま。

 ダイソンの方へ、静かに顔を向けている。

 しゅう、すうと。吐息の音を僅かにさせて。



 一階。ロビー。


「静かだな……」


 ホランドが時計を見る。現在は十時十五分。一時間以上、ダイソンとエーラはクチナを見張っている事になる。


「まだ早いとは思うけど……交代はどうする?」


 PC内の電子書籍を読んでいたファズが、不安げに言う。ホランドは少し考えて答えた。


「二時間交代ってとこか……。十一時までダイソンとエーラが無事にこなせたら、何か変わった事が無かったか聞いて交代しよう。睡眠も交代でとる」


 ホランドが紙にタイムテーブルを書き込んでいく。『ストラ』からの迎えが来るのは朝の七時半。それまではまだ九時間もある。持ち回りでやる他無い。


「ねえ。クチナ=ホオズキ、解放してしまうってのは、どうかな……」

「俺も少しは考えたがな。そうすりゃ『ストラ』には何て言うんだ」


 ホランドは予想していたとばかりに答える。


「仲間を三人もやったのはあの女って証拠も無しに。下手すりゃ俺らは切り捨てられる」


 ただでさえ誘拐の際に二件の殺人をしている。ゴードンも無言で肯定する。ファズはうんざりとしたように息を吐いた。


「……ま~さか、あんなとんでもないのが街にいたなんてね」

「同感だ。オカルトなんぞ信じちゃいなかったが、ケリーの死に様を見たらな」


 彼等はケリー達が並べられている一角へ視線を向ける。

 ケリーの頭からは、結局弾らしきものは見つからなかった。アンディの目を刺した何かも、ブルースの股を抉った凶器も。

 何か見えない力が、虚空から発生して彼等を害した――としか考えられないのだ。


「世にそういうモノがいる、という話は聞いた事がある」


 ぽつりとこぼしたのは、ゴードンだ。十字を切ってから彼は続けた。


「大いなる主の光が届かぬ場所が世にはある。地の底、海の闇。山の陰。そういった場所には、そこに住む者には、時折異様なモノが生まれる」


 壮年期と老年期の間にある彼の顔に刻まれた年輪には、戯言と笑い飛ばせない迫力がある。


「……悪魔憑きって事か?」

「そんな歴史の浅いもんじゃない。彼女は日本の出なんだろ? 怪異ってやつだよ。シャレコワだ」


 そこへ、勢い込んでファズが割り込んだ。彼の顔の説得力はゴードンと正反対だ。


「お前が好きなやつか? ありゃネットの創作だろう」


 胡散臭げな表情を増したホランドに、彼は指を左右に振る。


「九九%はそうだろうね。でも中には、地域の伝承や民間信仰に繋がるものもあるんだ。そういうのは『実例』を元にしてる可能性がある。それこそ」


 そこまで言って、太った男は視線を地下室への扉へ向けた。


「あの子がその『実例』なんじゃないの」


 普段なら――それこそ半日前のホランドなら、鼻で笑ってファズを馬鹿にしていただろう。しかし今、どう考えても尋常の存在では無いモノが地下にいる。


「まだ十時半、か……」


 時計を見たホランドの呟きでロビーに再び沈黙が落ちた。その、直後だ。



「やだ! やだ! やだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、やめでえっぇえええええあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 地下から。甲高い絶叫が響いてきた。


「!」

「エーラの声か!」

「ひいいっ」


 がた、とホランドとゴードンが立ち上がる。ファズは耳を塞ぎ、恐怖に身を屈めた。


「ダイソンはどうしたんだ、おい!」

「彼の叫びは聞こえていない」


 警戒とわずかな期待が、二人の足をしばしの間止めた。

 だがその、数瞬後。



「ああああああああああああああああああああああああああああひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」



 再度の絶叫が響いた。ホランドとゴードンが地下室へと足を進めた。



 エーラの絶叫よりおよそ、十分前。

 ダイソン達が部屋に入り、クチナの目と口を封じて一時間を経過した頃だ。


「…………………………くそが、見るな!」


 イグナスの目には、ダイソンは明らかに、精神の平衡を乱しているように見えた。

 厚い目隠しと猿轡をされた、黒髪の少女。彼女の視線が、どこに動いても彼へ向けられる。

 口に猿轡を回されていながら、クチナの口からは唾液のひとつも垂れていない。


 イグナスにも聞こえるほどに、エーラの呼吸が荒く、早くなっている。かくいうイグナスも、奇妙な居心地の悪さを感じていた。ダイソン達がいるから、という訳では無い。物理的な暴力への恐怖ではなかった。

 無形のプレッシャーが、クチナから部屋に発せられていた。

 舌打ちしたダイソンが、気合を入れるようにスキンヘッドを手で叩く。


「お前に俺が見えてる訳ねえ。音だ。音で見当を付けてんだろう」


 そう問うても、クチナには彼がつけた口枷がある。返事は無い。彼女の視線と言葉から逃れるためにした事が、逆に圧力を強めているかのようだった。

 布の下の瞳は、真円の瞳孔でダイソンを見つめている――

 そんな妄想がイグナスに浮かんだ。とはいえそれは、彼だけのものでは無いように思えた。


「見られてねえ。見られてねえ。見られてねえ……」


 ぶつぶつと口の中でそういった呟きをしている事を、おそらくダイソン自身意識していない。

 一時間以上、目を離してはならない。

 このルールを守るため、ダイソンはクチナを見るのだが、真っ向から向けられる彼女の顔。瞳を隠したそれは、言いようのない重圧を対面者に与えていた。


(一時間、ってあいつは言ってた。ここには僕もいる。だから、あいつがトイレに行っても目はつぶれなかった)


 ただ、その間見張りを任されたエーラは、クチナと顔を合わせていたそのたった数分で過呼吸寸前にまで陥っていた。だから、ダイソンはもうこの場を離れないのだ。


(なにが……起きてるんだろう。おねえちゃんは、なにもしてないのに)


 刻一刻と平静を失っていくダイソンが、顔をスマートフォンへ下ろした。時間を確認している。一時間など、そうそう過ぎるものでは無いのに、神経質に時間を見て呟いている。


「大丈夫、まだ大丈夫だ……」

「ん――」


 珍しく。本当に珍しく。クチナから声がした。猿轡のために言葉にはならない。しかし何かを呼びかける声。

 ダイソンは無視する。今や彼にとって、彼女の言葉は心を惑わす毒でしかないとでも言うように、イグナスには見えた。

 イグナスには知り得ない事だが――ホランドはダイソン達を送り出す時、こう言った。


「何かまた別のおかしな事が起こったらすぐに知らせろ」


 と。

 それは当然で、彼等はジロウ=ホオズキとの通話を途中で切った。

 イグナスもまた、クチナの力が人を襲う条件は、歌で朧げに把握しているだけだ。

 つまり――他に何かルールがあるとしても、何もおかしくはないのだ。


「朝が来ればテメエは終わりだ……『ストラ』の奴らがここから連れて行く! そこまでこうして見張ってりゃいいんだ!」


 今の声を荒げ、スマートフォンを見ながら必要以上に強気に振る舞うダイソンは、それについて意識的に気付かない振りをしているようだった。


(こわがってるんだ……あいつは。目かくしと口かせまでしたおねえちゃんを。それを認めたくないから、あいつはああしてる)


 そして――クチナは。イグナスやダイソン達には伺い知れぬ、クチナの視界が現在どうなっているのかは。

 今。布の下のクチナの瞳は、開いている。

 そして、と真円の瞳孔が、赤と緑と黒の、温かさと冷たさの視界を見ている。

 ダイソンとクチナの視線は、彼の強迫観念から来る錯覚では無く、確かに合っていた。

 その状態から、彼はスマートフォンへと視線を外した。

 それを契機として――何かが、始まろうとしている。


 ダイソンが、自分の足を不審気に見た。


「あん?」


 彼はスマートフォンから目を離し、足を見る。イグナスも釣られて、そこを見た。


「なんだ……あれ?」


 何も無い。無いが――彼のジーンズパンツが、不自然な形に歪んだ。


「? な、これ――――熱ッ!?」


 まるで、踏み出した素足が思わぬ高熱を踏んだような。そんなダイソンの叫びが、彼の感じたものを表わしていた。

 スマートフォンが彼の手から落ちる。足が。手が。即座に彼の体から、自由が消えた。


「ダイソンッ!?」


 エーラの恐怖に染まった声がする。しかしダイソンは、彼女へ振り向く事が出来なかった。


「ご――かっ……?」


 奇妙な声が発せられた。彼にかかっている力のせいだ。

 今のダイソンは、腕は体に押し付けられた形で伸び、椅子から離れ、つま先は床から離れ――詰まるところ、浮いていた。


「な、んで……ナんデだっ!?」


 呼吸が不自由なのか、叫ぶ声の抑揚が奇妙な調子になっている。


「ぎ……ぃイづっ」


 彼の服から伺える不可視の力は、ダイソンの体へ螺旋に巻き付くようにしている。


「ダイソン、ダイソンッ!」

「なんだ、あれ」


 エーラの絶叫が響く中、呆然とイグナスはそれを見ている。――螺旋。まるで、何かに締め付けられているような。


「ァづイっ!」


 熱い。彼はそう言っているのだと、イグナスは咄嗟に思った。今はもういない孤児仲間から、路面に雑魚寝しながらの雑談で聞いた事があった。


 ――数年前の東南アジアで、大蛇に絞め殺されそうになった少年が生還した例がある。被害者はこう言った。


「ものすごく、熱かった」


 普段、蛇というものの肌は触れてみればつるつると滑らかで、ひんやりとしている。

 だが。太い縄の如き筋肉で密着し、それを急激に収縮させて締め上げられる際には、強烈な熱を発するのだ……と。


 もしその話が本当であれば、ダイソンは今、下半身から登るような高熱を感じている。

 本当のところはダイソンにしか分からない。それでも、彼のぱくぱくと開く口は。漏れ聞こえる掠れた呼吸と声は、こう言っているように聞こえた。


『熱い。熱い。ふざけんな。俺は、俺はもう、殴られない。奪われねえ! クソ親父はもういないんだ』

「いやああああ! なにこれ! なにこれえ! ダイソンッ!」


 混乱したエーラが縋り付くが――ダイソンの体は、とてつもない力で動かない。空中に固定されていた。


(み、見えない、大蛇がいる、みたいな……)

「ご、ボッ。ゲッ!」


 ダイソンから声――否、音が漏れる。意図したものでは無い。限界まで圧力を受けた喉が異音を発しているのだ。肋骨が折れ、加わる力の位置がずれて、偶発的に気道が確保された。

 痛みと、酸欠。その状態のダイソンは、急速にせん妄状態へと移行していた。ここにはいない、誰かを見ている。


「ぼや、ぉやじぃ、んだぉ、んでいるぉぉゴッ! おやっ、やじぃぃ! こころ、ぉじたっのぎぃぃい! ぉえがぁ、ぉんとぎぃ」


 何を言っているのか、イグナスにはまるで訳が分からない。


「ダイソン! しっかりしてぇぇ!」

「んふぅ――はぁ」


 だが。目と口の戒めをほどいたクチナが、目前の惨劇に愉しそうに笑った。


「ふふ――そうなのですね、ダイソン様。貴方は、お父様を。あぁ……」


 クチナには、ダイソンの叫びの意味が分かっているようだった。


(お、おねえちゃん……? これも、おねえちゃんがしている……?)

「それで、後戻りできなくなって、誘拐などを生業にされるようになったのですね、それは、まあ。御可哀想な事――でも」


 言葉とは裏腹に、嬲るような。そしてクチナは、とどめのように言葉を結ぶ。


「まるで、御嫌いになっていたお父様のような生き様ですわね、ダイソン様」


 それが、刑の執行を命じたかの如く。


 ごきん、と。太い筋肉に包まれた腕の骨が折れる。



「ォァァァ……」

「ダイソン! ダイソォン! 何!? 何が起きてるのこれ!?」


 恐慌するエーラの声に、ダイソンの意志で動くわずかな部位――眼球が反応する。彼の視線が恋人に向く。それはまるで、


(逃げろ)


 と言っているようだったが、声にするための酸素は、既に体の中から失せていた。


 ごぎり。ぼきゅっ。


 致命的に変形する人体。不快な音。イグナスは耳を塞ぐ。


「ひっ……!」


 さらに肋骨が折れ、肺が潰れた音だ。


「やだ! やだ! やだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、やめでえっぇえええええあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 涙を垂れ流すエーラが絶望の叫びを上げる。今やダイソンの顔は青紫に染まり、瞳は裏返って吐血している。


「ああっ、――えふっ、ひぎ、けほげほっ」


 エーラの叫びが彼女の喉の肉体的限界を超え、咳き込んだちょうど時。


「あら――御力尽きになられましたね」


 

 驚くほど細く、血に赤く染まって。くにゃりと関節を増やしたかのようなダイソンの変わり果てた姿が地面に落ちた。

 ――完全に、死亡していた。


「あ……ひっ、い」 


 エーラは腰が抜けて座り込む。痩せた頬を、両掌が覆う。意識が遠くなるその時、差し込まれる声がする。


「とても――残念な事ですね」


 ぎょろりと。大きく見開かれ、裏返る直前だったエーラの瞳がそちらを向く。

 ベッド。そこには、自由の身となったクチナの姿がある。

 形だけは悲しげな表情で。金色の目で。ダイソンの残骸を見ている。

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