平凡な甘みを、どうぞ


 バレンタインデー。

 この国では女性が男性にチョコレートを渡して告白する日だったらしい。

 それがいつの間にか義理チョコや友チョコ、逆チョコ、義務チョコなんて言われる形に変化して、更にはチョコ以外のプレゼントも展開されて、現在はその強制感が問題視されたりするようになったとか。

 個人的には、経済面での負担は少なくないし、折角考えて買ったのにお節介だとか好みの物じゃなかったとか、そんな言葉をぶつけられた事もあるので、はっきり言えば面倒臭いと感じている。

 けれどもこんな文化廃れてしまえ、とまでは思えない。



 職場とは仕事をする場所だ。プライベートや余計な感情を持ち込まれるのは厄介だ。一方で、社会人となってしまえば大半の時間をそこで過ごす事になるのだから私生活や個人と完全に切り離す事は出来ない。

 仕事の割り振りに偏りが出るのは良くないけれど、子育てや介護、持病への配慮がなければ働けない。

 仕事が出来ても人間関係を構築出来なければ職場は回らない。

 注意やアドバイスがなければ学習も成長もないけれど、人間には向き不向きがあるし失敗を責め立てられるばかりでは委縮してしまう。

 他人とコミュニケーションを取るなら理性的であるべきだけど、何があっても感情に振り回されない人間なんていない。

 人間には相性があるけれど、職場ではそんな事を言ってられない。


 人間関係の正解とは何だろう。




 先輩が好きだ。


 仕事が出来るタイプではない。ミスは多いし、お節介な所もある。言動で砕け過ぎている、と感じる場面も正直ある。

 けれども明るくて誰にでも分け隔てなく接してくれるし、厄介な客の対応を率先して受けてくれる。上司と後輩の間に入るのも上手で相談を受けている姿をよく見かける。


 夏の繁忙期、私は大きなミスをして周りにフォローさせてしまった。それだけでも迷惑なのに自己嫌悪感で取り乱して、非常口の前から離れられなくなってしまった。

 そんな時に先輩が飲み物を持って慰めに来てくれた。本当に有難かった。それからずっと先輩の事が気になっていた。

 勤務中は忙しくて個人的に会話する時間はない。大勢でプライベートやプライバシーが重んじられる昨今、雑談内容はありきたりなものになりがちだ。同期は兎も角、先輩と親しくなるのは難しい。結婚していないのは流石に知っているけれど、恋人がいるかどうかまでは分からない。

 同僚が沢山居る中で目立った行動は取れないし、変な事をして嫌われたくない。

 ただ、大多数の中の一人からほんの少しで良いから抜け出したい。



「会社でチョコを配るのってさぁ、本当今時じゃないよね」

「まぁ会社がお金出してるし結局休憩時間に皆が食べてるんだから、そこまで言わなくても良いんじゃない?」

「いや、下手したらハラスメントでしょ。勤務時間内の事ではあるけどさ」

「新人がお使いに行かされる事多いしね、実質強制だよ」

「私は少し早めに休憩貰えたからラッキーって思ったけど」

「自分はやりたい仕事があるのに外出しなきゃいけなくてしんどかったよ」

 淡い感情を抱えたまま、気付けば迎えていた二月。

 ロッカールームの会話に曖昧な顔で参加していて、ふと思いつく。

 安直だけれど折角の機会なんだから、と残っていた同性の先輩に相談してみると親身になって話を聞いてくれた。勿論邪な思惑の方は口に出さない。


 仕事の終わった帰り道、バレンタインコーナーに寄ってチョコレートを買う。

 沢山入った物とそれ以外を一つ。どちらも高過ぎず、安過ぎない。平凡なチョコレート。けれども片方は事前に中身を調べていて味も知っている。


 当日、既に置かれていたチョコの横に買って来たお菓子を置いた。

「あれ、多くない?」

「あ。すみません。個人的に買って来た物です」

「え?何で?」

「以前ミスをしてしまったので、お詫びのつもりで」

「えー、大分前の話じゃない。ミスなんて誰にだってあるし、気にしなくて良かったのに」

「でも、自分がやりたかったんです」

「真面目なんだね」

 笑顔に対して僅かな罪悪感を抱く。けれど今はそれより、この先の事だ。

 いつ話しかけよう。どこで話しかけよう。突然外出の予定が入ったらどうしよう。

 休憩時間、何とかコーヒーを求めて移動する人の中に先輩を見つける事が出来た。

 目立たない様に声をかけ、人が少なくなったのを見計らってチョコレート入りの紙袋を差し出した。

「あの、これを」

「え、ん?どうしたどうした?」

「以前助けて頂いたのにお礼をしていなかったので。本当に有難うございました、これからもよろしくお願いします」

「お、ああ。成程、サンキュー。でも気を遣わなくていいからな、困った時はお互い様だ」

 自分なんてただの後輩でしかない。こんなチョコレートに変な意図があなんて思いはしないだろう、でも今はそれでいい。

「それでは、仕事に戻りますね」

「何かあったらまた頼っていいから」

「はい、有難うございます」


 先輩が笑ってくれた。それだけでいい。

 義理チョコだって悪くない。

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