第33話 報告

 真琴は分厚い雲に覆われた空を眺め、深いため息をついた。

 天候は幾分回復したが、この状態でヘリは飛ばせず。地上から探索が行われたが、行ける範囲はどこも行きつくし、結局同じ場所を見て帰ってくるだけとなった。

 時間は刻一刻と過ぎ、朝から昼、昼から夕暮れへと向かっていく。

 捜索に向かうスタッフたちにも疲労の色が隠せなかった。現地で雇った人々も同じ。手がかりのひとつでも見つかれば、気持ちも晴れるだろうが、最初にテント場で発見したもの以外、何も見つけられてはいない。

 テント場付近にあったのは、半分吹き飛ばされたテントに、途中で外れたビレイの後、ザイルのみ。滑落の後だ。

 状況から、どうやら雪崩に遭い、互いに分断されたらしい。その後、一方が助けるため、ロープを張り救助に向かい、そのまま二人滑落したのだろうと。

 滑落現場は新しい雪崩の後があり、そこから捜索するのは、二次遭難を誘い、危険だという判断だった。急斜面だ。しかも雪崩が発生した後。うかつに手を出せないのは仕方ない。

 二人とも、自身の状況は理解しているだろう。救助が来るのを期待しているとは思えない。自力で打開できないのであれば、きっと覚悟を決めるはず。


 それでも、岳は諦めはしないだろう。


 どうあっても、生き残れる選択をするはずだ。あの頑丈そうな円堂も、早々、へばるような人物ではないだろう。


 二人ならきっと、自力で打開して、戻ってくる。


 真琴はそう信じた。自分の知る岳は、諦めるような人間ではないのだ。

 それに、岳には大和がいる。今の岳に、命さえあるなら、帰って来ないという、選択肢はないはず。

 真琴は空を見上げた。それまで雲に覆われていた空の片隅に青い空が見え始めている。

 天候が回復の兆しを見せていた。しかし山頂付近の上空は相変わらず分厚い雲に覆われている。


 あれが晴れさえすれば──。


 真琴は天候の回復を願った。


 しかし、地上は良くとも、どうしても山頂付近の雲が晴れず。結局、ヘリは飛ばせずにその日の捜索も終わりを迎えた。

 夕闇も迫るころ。すべてのスタッフ、捜索に関わった人々が小屋の一つに集められ、リーダーとしてまとめてきた撮影スタッフのひとりが、同行していた登山、撮影スタッフと何事か話しあったあと皆に告げた。

 これで捜索を打ち切ると。その表情には苦悩が現れていたし、声音にも苦いものが含まれていた。苦渋の選択だ。

 真琴は全体への説明の後、詳しい話を聞く。

 滑落して既に四日。もし、どこかでビバークしていたとしても、動けずにいれば生きて居られる状況ではない。

 まして、動けない状態であるなら尚更。一晩でも外気に晒されたままでは、生存の確率はないに等しい。

 このまま捜索を続けても、いたずらに皆を危険にさらすだけだ。二次遭難は、本人たちもよしとしないだろう。そして、この選択となったのだと。

 一通りの話しを聞き終え、真琴は小屋の外に出ると嘆息する。


 岳。本当なのか?


 真琴でさえ、信じることはできなかった。涙を流したくとも、実感がなく。

 今にも道の向こうから顔を覗かせ、心配させて済まなかったと笑いながら出てきそうだった。

 雪をかぶった山々が、昇ったばかりの月に照らし出される。岳たちの生存に関わらず、一日はいつものように終わろうとしている。

 岳が死亡したと実感はない。亡骸を見たわけではないのだ。ただ、状況がそう告げていて。


 大和達に、伝えないとな…。


 気が重い。なぜ、こんな重い話を、大和に亜貴に伝えるのが自分なのだろう。

 ことに大和の落胆は想像に難くない。側にいれば支えてやる事も出来るのに、ここは遠い。


 大和には、幸せであって欲しいのに。


 こんな辛い報告などしたくなかった。


 岳。恨むぞ。


 真琴は唇を噛みしめると、大和たちへの連絡のため、部屋へと戻った。


+++


 大和は家の傍の海岸に来ていた。

 夜の為、人影はない。しかも冬の海岸など、寒くていられるものではなかった。

 空には月と星が輝く。月は三日月だ。細い糸のようなそれに、うっすらと残りの月の影が見える。月明りの影響が少ないおかげで星も見ることができた。

 真琴から連絡をもらい、その後電話を亜貴と壱輝に替わり。覚悟していたとは言え、伝えられた内容に皆一様に落胆する。

 もう遅い時刻だ。初奈には明日、伝えることにして、それぞれ部屋に戻った。

 壱輝は何も言わず、部屋に戻って行った。亜貴もすっかり疲れ切った顔で、それでも俺の心配をしてくれた。

 嬉しい心遣いだった。亜貴とてショックだと言うのに。

 大丈夫だと答えると、亜貴は唇を噛み締めたあと、何かあればすぐに呼んで欲しいと言い、部屋に戻っていった。

 俺も部屋に戻ろうとしたが、足が部屋に向かわず、ここへと来ていた。

 混乱する頭を冷やして冷静になりたかったのかもしれない。

 パジャマの上にパーカーをひっかけてきただけだ。寒くてそこに丸まる様に膝を抱えて砂浜に座っていた。


 岳が──いない。


 そんな世界、想像もつかなかった。

 数日後、撮影を無事終えて帰ってくるはずだった。あまりにも実感がなくて、真琴の報告も耳を素通りしていく。

 そうなることが分かっていたとはいえ、ショックを受けるなと言う方が無理だった。

 だって、岳はまだ三十一年しか生きていない。これからもっと長い時間、俺たちと過ごすはずで。


 岳、嘘だろ? 本当は、生きているんだろ?


 滑落しても、きっと無事で、怪我もなく戻ってくる。岳は奇跡を起こせる奴だ。それを信じたかった。


 俺を一人にしないって、言っただろ?


 夜空が滲んで見えた。

 何もかも、信じたくなかった。


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