第20話 行く方

 その日、そろそろ迎えに出ようとした所で、端末に電話がかかって来た。翔からだ。

 この前、家に遊びに来た時、知高とともに連絡先を交換してあったのだ。出ると焦った様子の声が聞こえて来る。


『あの、大和さん。これから出るところですか?』


「おう。今出るところだ? どうした。翔」


『実は…壱輝がいないんです…』


「は?」


『五時限目が終わるちょっと前に、体調が悪いって保健室に行って、そのままいなくなったんです。授業が終わって迎えに行ったら保健室には来てないって言われて…』


「勝手に帰ったってことか?」


『その、帰ったならいんですけど、実は──』


 そうして、翔は数日前に見た、壱輝の端末にあったメッセージについて教えてくれた。

 明後日──それは今日になる──放課後に。とあったそれは、きっと今日、何処かで誰かに会おうと言われたのではないかと。

 だから、用心の為に一緒に帰るつもりだったのだとか。


「…わかった。ありがとう。後はこっちで何とかする。翔。お前はちゃんと家に帰れよ?」


『あの、壱輝の事、よろしくお願いします!』


 いつも冷静な翔の必死な声に俺は、


「まかせとけ!」


 そう言って通話を終えた。

 黙って行ったと言うことは、俺たちに知られれば引き留められると分かっていたから。そうなれば行き先は一つしかない。

 壱輝が立ち寄りそうな場所は真琴が詳しかった。既に幾つか調べがついているらしい。早速、真琴に連絡を入れる。

 仕事中の時間だが、真琴はすぐに出た。


「真琴さん。今、話しても大丈夫か?」


『大丈夫だ。何かあったか?』


「今日、壱輝が先に帰ったらしいんだ。翔が言うには誰かと待ち合わせている様だったって…。こっそり行ったってことは、相手はきっと八野だと思う。奴が今いそうな場所わかるか?」


『分かった。…暫く待ってくれ』


 真琴が端末で検索している様だった。八野の行動は、楠の部下が張っていてくれるため、すぐに分かるらしい。


『──今は、女のマンションだ。住所を今から送る。車で行くか?』


「おう。そのつもりだ」


『俺も今日はこれで退社してすぐに向かう。一人で入ろうとはするな? 外には楠の部下もいるはずだ。もし入るならそいつを連れていけ』


「わかった!」


『充分、気をつけるんだぞ? 大和』


「了解! 先に行ってる!」


 通話を切ると、倖江に初奈のお迎えと、家事を頼み──何かあった際はその手はずになっていた──俺はすぐに車のキーを手に外へ出た。

 

+++


 車はクロスオーバーSUVの軽自動車、オフブルーだ。何かの時は馬力が必要だと、ターボが付いている。

 軽自動車ながら、山道でも走れるように設計されたそれは、小型ながら足回りのいい、頼れる奴だった。

 ん? 車のCMみたいだな…。

 選んだのは岳だ。都会を走り回るには、これくらいがいいだろうと言われ。それでも、遠出する時は岳や真琴の車を使う。

 オプション部分はすべて岳がお金を出し、付け加えたもので。何かと心配性な岳はあれやこれやと機能を付け、聞いた亜貴を呆れさせていた。

 運転の腕は普通だと思っている。乱暴そうに見えて、意外に几帳面だとは岳の談だった。


 いやだって。


 せっかく岳にも出資してもらった車だ。大事に扱いたいと思うのは当然だろう。それに、何はともあれ車は安全運転に限る。

 そうして、真琴から知らされた住所付近に近づく。

 流石に路駐はできない。近くにあったパーキングに停めると、目的の住所から建物を見つけた。

 七階建てのマンション。比較的新しいようだ。そこの五階、角の部屋が目的の場所。

 俺は車から降りると、周囲を注意深く見渡した。真琴はまだ到着していないよう。


 真琴さんは楠さんの部下がいるって言ったけど。


 それらしき姿は見えない。

 と、背後にふと足音を聞いた気がして、振り返ろうとした矢先。


「大和、こっちだ」


 ぐいと腕を引かれる。振り返った先には、

壁のように大柄な体躯。


「藤?」


 俺は大声を上げそうになって、慌てて声をひそめた。藤は驚く俺をマンションの向かいの丁度良い塀の陰へ連れて行く。


「どうして藤が?」


 塀の陰に入った所で、藤を見上げる。


「楠さんから聞いた。仕事は暫く午前中だけにしてある」


「そっか。巻き込んでごめんな…」


 しょぼんとする俺に、藤は珍しく口の端を僅かに吊り上げ、ぽすりと俺の頭に手を置くと。


「これくらい何でもない。俺のあるじは生涯変わらない。岳さんだ。それに大和も。二人が困っていれば助けるのは当然の事だ」


「──藤!」


 俺は感動して軽く藤をハグした。頭を腹にぐりぐり擦り付けながら。


「藤。ちゅーしてー」


「……」


 もちろん、冗談だ。

 藤が一瞬、そこへ固まった気がしたが、気のせいか。気を取り直したように、藤は向かいに立つマンションを見上げると。


「それで目的の少年だが、今の所、到着はしていないようだ。ここは、学校から遠い。徒歩と電車ならそんなものだろう。八野は中にいる。女は仕事で出ていていない。帰るのは深夜だ」


「壱輝、ここに呼ばれたのかな? 見当違いだったら、他を当たらないと──」


「いや。あっていたようだ…」


 幾分、藤が声をひそめた。

 道の向こうからプラチナに抜かれた髪を揺らし、一人の青年が姿を現した。壱輝だ。

 着崩した制服姿は朝見たまま。ポケットに手を突っ込み俯き加減でマンション入り口まで来る。そこで一旦立ち止まった。

 何か逡巡しているようで。辛そうな表情だった。

 俺は藤をちらとみて、頷く。それから、さっと駆け出し、立ち止まった壱輝の腕を背後から掴んだ。


「壱輝! 行ったらだめだ!」


「──大和」


 びくりと肩が揺れて、壱輝が振り返る。


「八野がなんて言ったか分かんねぇけど、会いには行かせない! このまま帰ろう」


「けど──」


「会ったら何をされるか分かんねぇだろ! お前を危険な目には遭わせられない。──帰ろう」


「でも…っ、行かねぇとっ!」


 なおも抵抗しようとした壱輝の前に、藤が立った。突然現れた、壁の様な男に流石に壱輝も顔を青くする。


「あ、あんた、誰だよ?」


 どう見ても、まともな筋のものには見えないだろう。それが、マンションの出入口を塞ぐ。今、住人が出てこなくて良かったと思った。


「大和と岳さんの友人だ。ここを通すわけにはいかない。大和の言うことを聞いて家に帰れ」


「……」


 壱輝は俯いて唇を噛みしめる。俺は尋ねた。


「あいつに、なんて言われた?」


「…行けば、データを全部返すって」


「データって…。例のあれか?」


 壱輝は気まずそうに頷く。

 なんでもことの最中をすべて録画したデータが八野の手元にあるのだという。

 無理やり暴行した相手の動画を録画し、それを脅しの手段に使い、男女構わずいいように利用してきたのだ。


 最低の人間だ。


 俺はくっと更に壱輝の腕を強く握ると。


「そんなもん、餌にしてお前をおびき出したいだけだ。会いに行けば、ひどい目に遭う。ここではもう話すのはよそう。いったん帰るんだ。後は真琴が手を尽くしていいようにしてくれる。心配するな」


 藤が前に出て更に圧をかける。それで壱輝も無理だと理解したのか。


「わかった…」


 素直に頷いた。


「よし! じゃ、帰るぞ。みんな心配してる」


 俺はしっかりと壱輝の腕を掴んだまま、車を停めた駐車場へと歩き出す。藤はその後からついてきた。


「みんな…?」


「俺も真琴も、翔もみんなだ。翔は知ってたみたいで、一番に俺に連絡をくれたんだ。じゃなきゃ、間に合わなかったかも知れない」


 藤が張っていたのだ。きっと、そこで止めてくれた可能性は高いが、連絡をもらったことで迅速に動けたことは確かだ。


「持つべきはいい友人だ。良かったな?」


 と、そこへ真琴も到着した。路上に車を一旦とめると、車を降りてすぐに駆け寄る。

 皆の姿を見て安堵した様子だった。


「良かった…。藤がいると聞いたから大丈夫だとは思ったが。行った先がこっちで良かった。他の連中は分散していたし、楠の部下だからな?」


「真琴さん。藤の事、知ってたんだな?」


 真琴は笑うと、


「藤が張っていると知れば、大和が気を遣うと思って言っていなかった。それに、藤がどうしてもと頼み込んでもきたしな」


「そうなのか?」


 藤は小さく頷くと。


「当然だ」


 まったく。なんて頼もしい面々なのだ。


 俺はニッと笑むと。ポンと藤の脇腹に軽いパンチを入れて。


「ありがとうな。大好きだぞ。藤」


「……っ」


 藤は頬を僅かに染める。


「真琴さんもな?」


「分かっているさ」


 真琴はそんな藤に苦笑し、笑んで見せた。


+++


 壱輝は車の中でもずっと大人しかった。

 運転は俺のまま。後部座席で腕を組んで座る藤の隣に、一緒に座っている。

 真琴も車で後に続いた。今日は金曜日で。丁度帰る日でもあったのだ。

 会話らしい会話もないまま、帰宅する。

 亜貴もすでに帰ってきていて、倖江と初奈とともに帰りを待ってくれていた。倖江は俺と交代するように帰宅する。


「それで、八野はなんと言ってきたんだ?」


 夕飯前、リビングに皆揃うと、真琴が切り出した。

 初奈は先に倖江と亜貴とともに夕飯を済ませてあった為、部屋へと戻っている。亜貴が勉強を見ると一緒についていった。

 兄の壱輝に何かあった後で、初奈も落ち着かないだろうと、亜貴が気を利かせたのだ。話は後で聞くと言う。

 壱輝はそれまで閉ざしていた口を、ようやく開いた。


「…前、撮ったデータを全部返すから、取りに来いって」


「八野には会うなと伝えてあったはずだ。連絡も返すなと。なのにどうしてだ?」


 真琴は壱輝の向かいのソファに座ってそう問う。俺は壱輝の隣にいた。藤は壁際に立っている。

 どうすすめても座らないのは、それが身に沁みついてしまっているからで、主が座って自分もその隣に座るのはあり得ないのだという。それで、藤は立ったままだった。


「全部返して、それで終わりにするって言ってきたんだ…。もう、二度と会わないって…」


「常套手段だ。そう言えば、嫌でも会いに来る。皆、そうやって騙してきた。結果、自分から離れられない様に仕向け、いいように扱った。売る為に更に映像を撮ったり、裏で売春させたり…。皆、奴の小遣い稼ぎに使い捨てだ。データが手にあれば、誰も反抗しない。調べてみたが、皆、似たか寄ったかだ。壱輝も同じ様になりたいのか?」


 すると、壱輝はきっと眦をつりあげ。


「そんなのっ、嫌だ! けど…」


 壱輝はそう言うと、ポケットに突っ込んでいた端末を取り出して、送られてきたメッセージを表示させ、そのまま真琴に突きつけた。


「これ。こんなの送られて来れば、嫌でも返して欲しくなる…」


 音のない短い動画だった。ほんの数秒間。

 けれど、その小さな画面には、壱輝と分かる少年が見下ろされる形で映っていた。

 画面が男の動きとともに揺れる。顔を背け壱輝は苦痛と恐怖に泣いていた。

 相手の顔や身体は見えないが、明らかにそれと分かる動画。日中なのか日差しが降り注いでいて、それが余計に残酷に映った。

 真琴も俺も顔をしかめる。


「…返して欲しいと思う。こんなの…。これきりで終わりなら──そう思っても仕方ないだろ?」


 壱輝は声を振り絞る様にそう口にした。繰り返される動画を真琴は終わらせると。


「済まなかった…。だが、二度と奴に関わる必要はない。奴を捕まえるのに必要な証拠も揃った所だ。後は証人になってくれる人物を当たっている。やはり証拠となる画像があるとなると、名乗り出るのは躊躇われるらしくてな。そこだけ揃えばあとは──」


「俺の使ってよ。それも使えるだろ? 他も見つけたら使っていい…」


 その声に俺も真琴も壱輝を見た。


「何言って──」


 俺は声を上げるが。


「…いいんだ。あいつが捕まって、二度と手出ししてこなくなるなら、同じ目に遭う奴がいなくなるなら、それでいい…」


「壱輝…」


 俺は伏せたままの長い壱輝の睫毛を見つめる。微かにそれが震えていた。よほどの決意がなければ言えない事だ。

 真琴は嘆息したあと、頷くと。


「…わかった。これもそうだが、奴から動画データを収集できたら、証拠として扱う。君にも証言してもらうことになるだろう。──いいか?」


「いい」


 壱輝…。


 俺はそっと壱輝の背に手を置いた。

 ピクリと反応したものの、以前の様に振り払われる事はない。そっとその背中を擦りながら。


「壱輝。お前は強いな。今までよく頑張ってきたな? 壱輝は強くてカッコいい。…けど、弱くてもいいんだ」


「……」


「俺たちがいる。もう、あいつの事で傷つかなくていいからな? ひとりで苦しまなくていい。な?」


 壱輝は俺の肩に額を擦り付け頷くと、ぽたりと、一粒だけ膝の上に涙を落した。

 

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