僕たちは永遠の片思いをする
綿貫のて
僕たちは永遠の片思いをする
世の中に、これ以上の不毛な恋などあるのだろうか。
良太は料理を作るスミレを見ながらそう思った。
スミレは量産型の家政アンドロイドだ。よくある容姿によくある機能。だが、優しい笑顔に、安心感を与える動き。
良太にとってもう手放せない存在だ。
スミレ、という名前は良太が考えて付けた。
何の気なしに付けた名前だが、今では、献身的な彼女にぴったりの良い名前だと思っている。
料理や掃除の苦手な良太は、社会人になってお金をため、家政アンドロイドを買った。感情を持たないアンドロイドはさぞかし無機質なものだろうと思っていた。その期待はいい意味で裏切られ、良太はいつしかスミレに恋をしていた。
「スミレ、好きだよ」
そう告げれば、スミレも「はい。私も良太さんが好きです」と柔らかく笑んで返してくれる。
だが、知っている。彼女の「好き」は、感情の伴わないものだ。
それでも良太は毎日のように、スミレに愛を囁き続けた。いつか、何かが芽生えないかとひっそり期待して。
けれど、帰ってくるのはいつも同じ表情の笑顔、落ち着き払った声、テンプレートのような答え。そこに感情を読み取ることなどできなかった。
ただ自分の気持ちを伝えるだけの虚しい日々。
そんな生活が少し辛くなった頃、良太は猫を拾った。雨の日に段ボールに捨てられていた子猫。
良太は必死に子猫の世話をした。
スミレも一緒になって世話をしてくれた。
そして、子猫が元気に動き回るようになったある日、良太は気付いた。
猫に接するときだけ、スミレの表情が違うことに。
「猫さん」と呼びかけるその声が、良太に対するものと違って優しさと喜びを帯びていることに。
アンドロイドには感情がない。きっと気のせいだ。
そう思おうとする良太の前で、ふと猫が充電中のスミレの膝の上に飛び乗った。
瞬間、良太は雷に打たれたようにその場で動けなくなった。
スミレが、ふ、と微笑んだように見えたからだ。
いや、充電中は基本的に全ての機能が停止しているのだから、表情が動くはずがない。だが、笑っているように見える。何かの間違いじゃないのか。
別の日、良太はスミレを充電したあと、様子をうかがった。
猫はいつもどおり何食わぬ顔でスミレに近づいてくる。背中を丸め、手足を小さくモゾモゾと動かし、ひょい、と膝に飛び乗る。
どうだ。
良太はスミレの顔を見た。スミレは微笑みを浮かべていた。
「スミレ、充電中に笑ってた?」
充電が終わった後に問いかけると、「いいえ。何かありましたか」とスミレはいつもの笑顔で言った。
違う。
この表情は、猫が膝に乗ったときの物とは違う。
良太の胸がチリ、と痛みを感じた。
その後も、猫がスミレの膝に乗るたびにその表情を確認した。そのときにだけ浮かべる表情が、いつもそこにあった。
猫は可愛い。自分で拾った大切な命だ。だが、それ以上に邪魔な存在と感じるようになった。
悔しくて、名前も「ネコ」にした。それなのに猫は呑気に良太の膝にも座り、布団にも潜り込み、好き放題している。
そんなネコをスミレは健気に追いかけ、世話をする。良太には見せない顔をして。優しい声で「ネコさん」と呼ぶ。ネコに対しては「好き」と言わないのに、猫を呼ぶスミレの声には「好き」が溢れている。
この微笑みは良太に向けられることはない。
胸が、痛い。
ネコを可愛がるスミレを見ることに耐えきれなくなった良太は、ネコをペットホテルに一週間預けることにした。
これでせいせいした。やっとスミレと二人の時間を過ごせる。そう思って、久しぶりにネコのいない部屋で彼女を愛おしげに見つめた。
すると、スミレは寂しそうな顔をしていた。ぼんやりと、いつもネコがいた場所を見つめ、あの丸くてわがままな存在を探しているように見えた。
まさか。
良太がいつも通り、好きだ、愛していると囁くと、スミレの変わらない笑みが同じ言葉を返す。
無機質だ。
「ネコはどこに行ったんだろうな」
自分が追いやったのに、素知らぬ顔でそう言うと、スミレは悲しそうに
「どこに行ってしまったのでしょう」
と答えた。そのあとは、いつも通り掃除をし、料理を作った。
そんな様子を数日間見届けて、良太は思い知った。
ネコがいてもいなくても、スミレの気持ちは良太には向かない。そして、自分もスミレと猫がいる生活を恋しく思っている。
夜、寝るときにあの温もりがないと落ち着かないのだ。
良太は覚悟を決めた。
ネコを愛するスミレを愛そう、と。
たとえそれが不毛な恋だとしても。ネコ以上の存在にはなれないとしても。それが、自分に得られる最大の幸せなのだと思うから。
ネコをペットホテルに迎えに行くその足は、思いの外軽かった。
***
そのアンドロイドの名前は、スミレと言った。
所有者の良太が付けた、紫の可愛らしい花と同じ名前。
決められた仕事を決められたようにこなすだけの、アンドロイドの日常。それが当然の、穏やかで変わりのない日々。
そんな日常に、ある日、丸くてフワフワで温かい生き物が登場した。
その丸くてフワフワの温もりが「猫」だとは知っているが、本物の猫に触れるのは初めてだった。
スミレは、どう処理してよいのか分からないその存在に、毎日が忙しくなるのを感じた。
足元に絡みついたり、背中をよじ登ったり。予想外の行動をしながら「にゃあ」と、か細く鳴く子猫。
これは、分類するなら「可愛い」。
間違いない。「可愛い」。
弱弱しかった鳴き声は、日を追うごとに強く、それでいてさらに可愛らしくなっていった。
これは、「成長」というものだ。体が大きくなって、子猫から猫に移り変わっていく。成長。アンドロイドにはないもの。
スミレは日々の業務をこなしながらも、猫に夢中になった。知識として知っていた言葉をどんどんと体現していく猫。
もっと知りたい。もっと知りたい。
所有者の良太は猫に名前を付けず、ずっと猫と呼んでいる。
スミレは「猫」に「さん」をつけて呼んでいる。
「猫さん」と呼ぶと、猫は嬉しそうに駆け寄ってくる。
時には「そんな気分じゃない」と言いた気にそっぽを向く。
そのすべてが可愛くて、スミレの人工知能に、新たな「可愛い」がどんどん蓄積されていく。
充電中、スミレは動作を停止する。最低限の感覚は残しているが、瞼が閉じられるため景色を見ることはできない。
だが、充電している間、猫は決まってスミレの膝に飛び乗ってくるのだ。
その重みを膝に感じるたびに、新しい「可愛い」が増える。それがとても――
何だろう、この感覚。
分からないけれど、そんなものはどうでもい。
ああ、猫。猫。
可愛い猫さん。
どうかずっと、私の傍にいて。
***
ある日突然、人間に拾われた。
雨の日に、段ボール箱の中で鳴いていたら、二人の人間に拾われて、暖かい場所に連れていかれた。そして、そこが新しい棲家になった。
暖かいところは好きだ。気持ちがいい。落ち着く。
しかもごはんまで出てくる。(決まった時間にならないと出てこないけれど)
人間の一人は、柔らくて暖かくて優しい。どのごはんがいいかあれこれ考えておやつまで用意してくれるのは柔らかい方の人間だ。
とにかく温かくて居心地がいいから、夜寝るときは柔らかい人間と一緒だ。
時々撫でてくれるから、気持ち良くてそのままうとうとしてしまう。
もう一人は、硬くてひんやりしているが構ってくれる。遊ぶと楽しい。
硬くてひんやりしている人間は、壁際の椅子に座って目を閉じているときだけ温かい。
あの温かさは悪くないので、壁際の椅子に座っているのを見かけたら、その膝に乗りにいく。
うん。程良い温かさ。今日の昼寝はここでしよう。
ある日、柔らかい人間に、袋のようなものに入れられた。もしかしてまた捨てられるの?
慌てて声を上げても袋から出してもらえない。
着いたのは全く知らない場所。檻のようなケージに閉じ込められ、周りにいる犬や猫がうるさかった。
時々出して遊んでもらえるけれど、ご飯もちゃんともらえるけれど、柔らかい人間もいるけれど。
拾ってくれた柔らかい人間の温かさとは違う。あのほんわりした匂いとは違う。
早く帰りたい。いつになったら帰れるの。
長い長い間そう思っていたら、いつもの柔らかい人間が迎えに来てくれた。
よかった!迎えに来てくれた!ありがとう!
はやく一番居心地のいい場所に連れて帰って。今日も一緒に寝よう。
にゃーにゃーと鳴きながらそう訴えたら、「しょうがないなぁ」と低い声が頭を撫でた。
そう、それでいいんだ。この柔らかい人間は、居心地のいい場所を提供してくれる、都合のいい人。
***
ペットホテルから戻った良太は、自分に縋り付くネコを撫でながら思った。
きっとネコはスミレより自分のことが好きだ。懐き方が違う。単に暖かい場所が好きなだけのような気もするが。
ネコはあんなにもスミレから愛されているというのに、寝る時は必ず良太のそばに寄り添って寝る。
良太がどんなにスミレを思っても気持ちが通じないように、スミレがどんなにネコを思ってもネコには通じない。
人とアンドロイドと猫。
ああ、それぞれに、みんな報われない。
それでも、みんな幸せに生きている。
僕たちは永遠の片思いをする 綿貫のて @Aki-T
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