第7話「酸っぱくて甘い梅干し」
海ほたるから木更津アウトレットモールまでは15分もあれば着く。問題は駐車場への入場だ。6000台もの車を停めることが出来るのだが、P1からP11までの11箇所にも及ぶパーキング。どの駐車場が空いていて、どこに停めれば目的地に近いかなどネットでマップを見ても全くわからない。それは、初めてここを訪れる直樹たちだけではない。小さいお子さんを連れてやってきている人もいるだろう。長く歩くことが辛い人もいるだろう。皆、適切な駐車場所を図りかねて自然とこの近辺では渋滞が発生してしまうのである。
「渋滞かあ、お昼ご飯にありつけるまでもう少しかかりそうだね。」と直樹は凛に話しかける。
「大丈夫よ、ゆっくり行きましょう」とキョロキョロ駐車場の入り口を探す凛。
「音楽でも聴く?普段どんな音楽を聴いているの?」
「クラシックかな、ショパンとか好き。」
「へえ、そうかあ。ニコライ・ルガンスキーが弾くショパンのピアノ曲とかいいよね。」
「え?ルガちゃん知ってるの?」
「ルガちゃん?」と凛の顔を怪訝な目で見た後、直樹はナビの画面の下に設置しておいたiPadに手を伸ばす。
「あ、前見ていないと置いてかれちゃう。」と前を指差し慌てる凛。
「大丈夫、ACC入れたから」
「ACC?」
「アダプティブ・クルーズ・コントロール。自動追従装置だよ。」
「へえ、すごいな。そう言う機能があるんだ。だからいっぱいボタンがあるんだね。」
なんだかハイテクな車に乗っているんだと車内を見渡す凛。
「スポティファイを起動して、クラシック音楽のチャンネルを再生して!」と命令口調で直樹が突然喋り出す。
「はい、すみません。えっと、でもどうやるの?機械がごちゃごちゃしててどこがラジオのボタンだかわからないのですけれど・・・」とパネルに目を凝らしていた。
すぐさま、忙しなくショパンの子犬のワルツが流れ始めた。
「あははは、ごめん、ごめん。今のは凛ちゃんに言ったんじゃなくて、AIに命令したんだよ。iPadを音声で操作できるようにAIとショートカットを連携してあるんだ。」
「ああ、そうなんだ。私役に立たないですね。」
「そうじゃなくて、基本的に一人で運転していても疲れないようにこの車は作ってあるんだよ。」
「なるほどー。本当に彼女さんいないんですね。」
「え?どう言う意味?」
「いああ、隣に彼女さんが座っていたら、そう言うのって必要ないかなって」
『カマをかけて見たけれど響かないな』とちょっと不満げに口を尖らせた。
「まあ、そうなのかもね。でもこれ社用車だからね。ごめんね、こんな車でドライブにさそっっちゃって。」
『なんだか彼女とか言っているので、遠回しにこんな車はデート車じゃないと言いたいのかなあ』と直樹は思った。
「うーうん。この車すごく乗り心地いいですよ。静かだし、広いし。」と凛は手を広げてシートを見渡した。
「うん、トヨタのノアって言うんだ。厳密には商用車ではないんだ。一応、家族で出かけるのに最適なミニバンと言うジャンルの車なんだよ。」
「ふーん。じゃあ隣の席は彼女さんではなくて奥さんなのですね。」チラッと直樹の顔を覗き込むように凛はそういった。
「いやいや、奥さんは後ろ席でしょ。子供の隣」親指を立てて後部座席の方を指差した。
「そうなんですか?うちのお母さん、いつも助手席に座っていましたよ。」凛は顎に指を当てて直樹の考えを否定するように言った。
「でも、こう言う車って後ろの席の方が座り心地いいんだよ。オットマンもついてて楽々で足を伸ばせたりして」
「やだー、そんなだらしないお嫁さんなら私、もらいたくないです。」
「あははは、そりゃそうだ。」と言いながら少し体を前に伸ばし辺りを見渡す。
「木更津アウトレットモールのフードコートへ行く効率的な駐車場の位置をブログ記事から探し出しパーキング番号を教えて」と直樹はまた命令口調で言った。
「はい、ちょっと待ってください、今スマホを取り出して調べますから・・・」と凛が言かけたところで
「P5、P6駐車場がサウスゲートの近くにあります。そのゲートがフードコートへ行くのに最も近いゲートです。」とアナウンスされた。
「あ、優秀な奥さんが喋った。」と凛が言って二人は声をあげて笑った。
結局、P5、P6駐車場は二つとも満車、やっとの思いで駐車することができたのがP11だったがサウスゲートまでだいぶ距離のある場所だった。確かにアウトレットモールに到着しているはずなのだが、広すぎて近くのゲートさえ見つからない。
「こんなに広いと思わなかった。」とアウトレットモールへと続く道を早歩きしながら、凛の方に振り返る直樹。
「ちょっと待ってよ。」と走り寄る凛。
「あ、ゴメンごめん。」凛と足並みを揃えながら「渋滞していたから嫌な予感はしていたんだけれどかなりの人出だね。」と直樹
「うーん。お昼時だからね。みんな考えることは一緒なんだと思う。」
「あ、あっちが入り口だ。」やっとイースト3ゲートを見つけた。
「相当大きいよここ」イースト3ゲートにやっとたどり着いたが、まだ先は長そうだとヘキヘキとした顔で直樹はつぶやいた。凛は異世界に続くような巨大なゲートに次々と吸い込まれていく人々を目で追っていた。モノトーンの大きなタイルに囲まれた通路の奥に現代的な門が聳え立っていた。その門を潜る前に大きな立て看板があり、紙の地図が貼ってある。二人はその前に立ち止まり、館内の構造を把握しようと努めていた。
そして地図に指を滑らせながら「えっと、フードコートはこっちだ。」直樹はそういった。その側で凛はモジモジしていた。
「あのね、良かったらでいいんだけれど私の作ったお弁当を食べない?」と躊躇しながら凛は言う。
「え?お弁当を作ってきてくれたの?」嬉しい誤算に直樹は喜びを隠せなかった。
「うん、私外食って苦手だから・・・。ごめんね、ダメかなあ。」必死でフードコートを探していた直樹に申し訳ないかなと言う感じで凛は言った。
「え!良いに決まってるじゃん。最高だよ。どうせフードコートに行ってもすごい行列だよ。」嫌気がさしていた直樹は豪快なクリーンヒットを浴びせられた気分だった。
「あははは、良かった。手作りとか気持ち悪いとか思って心配だった。」
「え?なんで、なんで。そんなことあるわけないじゃん。AIの嫁より優秀だよ。」
「フフフフ」凛は嬉しそうに笑った。
二人はフードコートへ行くのをやめて「オーシャンビューテラス」を目指した。モールの中はおもちゃの蒸気機関車のような乗り物が走り、基本的に箱型の建物が並んでした。ところどころ椰子の木が植えてあり、ゆるキャラのオブジェや噴水などがゆったりとした通路にアクセントを付けていた。外の駐車場の殺伐とした景色が嘘のように中は近未来的でありワクワクさせられるものだった。
混雑していたので直樹は凛と離れないようにペースを合わせるように歩いた。ちょっと気になる店舗の中を覗き込むようにしていると、凛が全然違う方向へ向かって歩いていってしまう。「待って、待って、はぐれちゃうよ」そう言いながら凛を追いかけるが人混みでぶつかりそうになり、なかなか捕まえられない。意を決して凛の手を握り、歩くことにした。「え?」と凛は驚いていたが、凛もまた手を握り返してきた。
ガラス張りのエレベーターを登り、到着したオーシャンビューテラスには誰もいなかった。渋滞の中苦労してたどり着いた人々は皆、お目当てのお店の味を求めて行列をなしているからだ。
ゆっくりお弁当を広げられる場所に腰掛けた。凛はそそくさと、肩掛けカバンの中からチェックのナプキンに包まれたお弁当を一つ取り出した。『大丈夫かな?』とお弁当を見つめ、瞬きを一つして、「はい」と直樹に差し出した。直樹は『これが女子の作った手作り弁当?』と照れくさそうに受け取り「ありがとう」と礼を言った。
凛は自分の分のお弁当も直樹との間のスペースに起き、ナプキンを解き、蓋を開けた。お弁当箱は直樹のものより小振りで、その中には小さ過ぎるんじゃないか、と思われるようなおにぎりが二つと唐揚げが2つ、くるっとロールした卵焼きの真ん中にマヨネーズが注ぎ込まれ、観葉植物のようにブロッコリーが生えていた。直樹のお弁当の中身も同じだが、唐揚げは4つ、凛と同じ数のおにぎりとブロッコリーの観葉植物が入っているが、どれも一回り大きい。
そして凛は「はい」と割り箸を差し出す。しかし、直樹はこのお弁当を見て
「すべて手で持って食べられるものばかりだから、手で食べてもいい?」
と聞き返す。それを聞いて凛は照れくさそうに「お父さんみたい」と言いながらカバンの中から濡れティッシュを取り出す。
「じゃあ、よく手を拭いてね。」とクスクス笑いながら1枚差し出す。
「え?何かおかしい?」と聞き返す直樹。『手で食べる事を意識して作った構成に見えるんだけれどなあ』と凛の笑う理由がわからなかった。
「ううん、何でもない」首を振る。そして、「は!」っと慌てて手を口に当てる。
「おにぎりは梅しか入れなかったの。食中毒が心配だから。食べられなかったら食べなくてもいいよ」と、本当は食べてほしいのだけれど、と言うような顔で眉をひそめ直樹の顔を覗き込みそう言った。
「なんでも食べられるよ。」と直樹は言って、少し緊張しながら、おにぎりを手づかみで取り出した。そしてパクリと口に入れた瞬間、強烈に酸っぱい梅干しの味が口の中に広がった。「…これって…」脳裏に小さい頃食べた、母親が作ってくれた梅干しおにぎりの味が蘇る。『…母さんの味だ…』
気づくと、直樹の目から涙がこぼれ落ちていた。 『…こんな、しょっぱい梅干し、好きじゃなかったのに…なんで、涙が…』 直樹は、込み上げてくる感情を抑えきれず、視線を落とす。
それを見て凛は慌ててポットから白湯を取り出し直樹に差し出した。「ごめんね。うちの梅干しお母さんが漬けたものだからすっごく酸っぱいんだった。」と失敗しちゃったと言う顔で言った。
直樹は「違う違う、すっごく美味しいよ。美味しすぎて涙が出てきちゃったんだよ」と戯けて見せた。さっき話した母のことを思い出したとは言えずに梅干しの酸っぱさのせいにした。
凛は笑いながら「良かったぁ」と自分も小さなおにぎりを頬張り「ふふ、酸っぱい」と美味しそうに笑顔で呟いた。
「そうだそうだ。すっかり忘れていた。」と直樹はスマホを取り出しアプリを開いた。課題がそこに浮かび上がった。「女子が『アーン』をして食べさせてあげる。」と書いてあった。
「ゲームの続きやる?」と凛に聞いてみた。さっきまで険悪な雰囲気だったが、今は凛もすっかり直樹と打ち解けていた。
「何するの?」と凛は明るく聞いてきた。直樹はスマホの画面を凛に見せた。
凛は「やる!やる!」とかなり乗り気である。直樹は額に手を置いて「うーん」頷きながら録画ボタンを押して左手を伸ばし自撮りのための距離をとり、首を持ち上げて「アーン」と口を開けた。
「きゃー! 直樹、デレデレじゃん!」
「もしかして、もう恋しちゃった!?」
「おいおい、直樹、お前、演技下手すぎだろ」
「もっと自然にやれよ、www」
「…相変わらず、無駄な時間を過ごしているな」
「…データ収集は順調だろうか?」
「わー、楽しそう! 私も早くLARPしたいなー!」
「お弁当、美味しそう! 凛ちゃん、すごいね!」
と再び動画に流れるコメントが盛り上がりを見せた。
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