第6話「告白」
再び東京アクアラインに乗り千葉県木更津方面へ車を走らせていた。凛はドアに肘を乗せキラキラと輝く海を眺めていた。カモメが車の速度に合わせて飛んでいる。ここでスポティファイからドライブにピッタリなBGMが流れてくればデートの盛り上がりも最高潮のはずだった。しかし聞こえてくるのはアスファルトを擦り付けるタイヤのノイズ。そして、直樹も何も言わず無言だった。
直樹は既にこのゲームを完遂する気は無くなっていた。ただ、凛を傷つけてしまったことだけが気になって仕方がなかった。理屈じゃない、理論じゃない、何故か自分が近寄った人間は傷ついてしまう。まるで自分はハリネズミのようだ。何度も、何度もそう言う感情に苛まれていた過去が蘇ってしまった。
「俺の家、町医者でさ」ボソリとした言葉が空虚な室内の静寂を破った。
「うん」凛はそっけなく直樹の話の続きを促した。
「俺が中学の時に母親が他界したんだよ。」
「うん」凛は直樹の方に向き直った。
「俺が母親の買い物につきあって、繁華街に出かけた時にさ。急に胸を押さえてうずくまっちゃたんだ。その時に俺はさ、何が何だか何もわからなくてさ。」
そう語る直樹の顔は無表情だった。遠い、遠い記憶を他人事のように語る目をしていた。
「周りの人に助けてくださいって頼んでも誰も助けてくれなかったんだよ。でも、誰かが救急車を呼んでくれて病院に運んでくれたんだけれどさ。」
そう言って直樹は中学生の頃の話を話し始めた。
母親に連れられ小さくなった学生服を新調するために新宿・伊勢丹デパートに向かっていた。新宿の歩道はいつものように人で溢れかえっていた。その中で急に母親は胸を押さえ、倒れこんだ。その体調の急変に幼い直樹は周囲の人に「助けてください」と訴えた。周囲の人々は後ずさり、呆然と見守る。関わりたくないと踵を返すものもいる。「母さん、母さん」と意識を失っている母親に必死に直樹は呼びかけた。程なくして直樹の背後から救急隊員が現れ病院に運ばれた。
「心臓発作だったんだ。すでに病院に着いた時はもう天国にいっちゃたんだよね。」
ETC出口レーンに入るためにウインカーを出しながら直樹はそう言った。
病院では合流した直樹の父親と共に何も言わず、手術が終わるのを待っていた。しばらくして手術室の自動扉が開き医師が現れた。父親が立ち上がり、出てきた医師としばらく話していた。直樹は座りながら首を持ち上げ、それを断腸の思いで見つめていた。そして、直樹の方に父親が静かに歩いてくる。
「間に合わなかった。心臓発作だ。」
そう直樹に伝えた後、隣に座り顔を手で覆って塞ぎ込んだ。
「俺はやだったんだよね。わからないものをわからないままにしてく事が。」
再びアクセルを踏み、車を加速させた。
誰もいない家の中で食卓の上にラップに包まれた夕食が置かれている。『部屋の掃除と夕食を用意しました。スープは温めてからお召し上がりください。』との家政婦さんのメモ紙が添えられていた。
学校から帰り、メモに一瞥を加えたのち、いつものように夕食には手をつけず、暗い自室に直樹は向かった。机の上には医学書が散乱している。父親の書籍を持ち出し、わからないながらも英語、ドイツ語、ラテン語の辞書を必死になってめくって勉強をしている。
ノートにスラスラとペンを走らせていたが、やがて一粒の涙
が落ち、インクを滲ませた。
午後9時も過ぎようとしていた時、玄関のドアの開く音がして直樹の父親が帰宅した。直樹は家政婦さんが用意してくれた夕食を温めるためにキッチンに向かい父親に話しかけた。
「やっぱり母さんの心臓発作、原因はワクチンじゃないの?」
「くだらない、そんなのはただの陰謀論だ」
父親は冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。
「じゃあ、なんで心臓発作の原因を追及しないんだよ。医師会にでも脅されているの?」
「バカなこう言うな。そんなことで脅されるわけないだろ、昔からのルールだ。」
「おかしいだろ、そんなの。心臓発作になる前に患者の症状から注意を促すのが医者だろ。」
「そんなことはやっている。でも、医院にくる前に誰がその症状を医者に伝えるんだ?父さんだってお前だって母さんの症状を見抜けなかったろ?ここでいつも3人で夕食を囲んでいたんだ。母さんは、明日お前の学生服を新調する時に自分の服も買っていいか聞いていただろ?」
直樹の母が亡くなって初めて父が母の思い出を語った。弱々しく、寂しそうに。
「だから、もっと、もっと研究して・・・。」
「研究は教授連中に任せておけばいい。父さんは父さんの仕事をするまでだ。」
「悔しくないのかよ、父さんは・・・。」
そう言った直樹に父親は寂しそうな目を向けて黙り込んだ。そして一口ビールを飲むと
「お前が悔しいなら勉強して医者になるだけだ。これ以上の話はお前が医者になってからだ。」そう言い放った。
「でも、ダメだったんだ。漫画だったら奮起して医学部に入って・・・なんて展開なんだろうけれどね。ただですらなるのが大変な医者になって、そのうえ出世競争に勝って教授になるなんて・・。ね。」
国道をに抜けると両脇に田畑が広がった。都心を抜けて一変、穏やかな田園地帯の中を車は走っていた。
「高校に入って力尽きちゃったんだ。でも、その時に会ったのが仁なんだ。」
高校受験こそ医者になるという勢いで進学校に無事合格できたが、進学校の友達はみんな優秀だ。だんだん直樹は劣等感に苛まれていくことになる。そんな中で出会ったのが仁だった。
仁は母親は元女優、父親は物理学教授。仁は眉目秀麗、文武両道のサラブレッドだ。そしてその実力からクラスのカリスマ的存在だった。しかし、仁は母親のいる華やかな世界よりも、父親が熱心に研究している物理学の世界に興味を持っていた。母親のような
美しい女性でも全てを計算尽くして手に入れられると言うような、下世話なロマンスを抱いていたのだった。
その父親にどこか似た直樹が仁は気になっていた。斜に構え、特に女子に目もくれることなく、何かをノートに書き込み一人の世界に浸りきっている。仁は直樹に父親の影を重ねていた。
直樹が休みがちになって学校の勉強もおろそかになり始めていた頃、仁は自分の母親のオフィスに直樹を連れて行った。
「こいつ、クラスメイトの直樹。いいスタイルしてんだろ?この間、言っていたウェブショップのモデルに使えないかなと思ってさ」
「初めまして、仁くんにはいつもお世話になっています・・。」と直樹は小さく頭を下げた。
「へえぇ。確かに見た目は良いもの持っているわね。」と仁の母親は品定めするような目で直樹を見ていた。仁は父親に似ている直樹を母親が気に入らないはずがないと思っていた。それが、たとえビジネスでも。
「でも、あなた、何か重いモノを持っているわね。モデルはね、器なのよ。あなたはその器に入っている重いモノを捨てることができるのかしら?」
「え?重いモノですか?」
「そう、モデルはね、その器にファンのたくさんの思いを入れなくちゃいけないの。あなたの荷物があなたの器の中に入っていたらファンの思いが入らなくなっちゃうでしょ?」
「ああ、ごめんごめん直樹。この人元女優だからいきなり変なこと言っちゃって」
事前にちゃんと直樹のことを説明していたのに何変なことを言い出すんだと仁は慌てて話に割り込んだ。
「いや、鋭いところ突かれてビックリした。ああ、でもこの重いモノを捨てられるかどうかはわかりません。母の思い出ですから・・・。」直樹はしっかりした目で仁の母親にそう返した。
「ふーん、じゃあ、私があなたのお母さんになってあげるわ。私は女優だからね。」と言ってウインクをした。
直樹はこの時の衝撃が忘れられなかった。自分の体の芯から沸々と元気が湧いてくる気がした。一気に心が軽くなって、救われる思いがした。ファンがアイドルに熱狂する気持ちを思い知らされた。
病気を治せるのは医者だけだと思っていた直樹に違う世界が広がった。
「僕、モデルになれる自信はありませんがサイトを作ったり、AIを使ったりすることはできます。ぜひ、ここで働かせてください。」
「こう言うのできる?」そう言って仁は自分がモデルをしているサイトをスマホに表示してみせた。
「ああ、この程度のサイトならすぐに作れるよ。」と呟く。直樹は心臓発作の早期発見のためにAIを活用できないかと勉強もおろそかに研究に夢中になっていたのだ。AIを使ったサイト作りなど、おてもののだったのだ。
そして、その後、仁と直樹はAIを使って自分たちの「E-コマースサイト作り」に熱中するようになっていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます