第4話

 夕食会といっても、この荒れた屋敷で開く宴なんてたかが知れている。それでも父は見栄を張り、無理やり取り繕った部屋へ貴族たちを通していた。アンシャイネス伯爵と、その令嬢であるエレオノール。それに、あちこちから集められた下級貴族も何人か来ている。

 俺は裏方として給仕を命じられ、皆に水やワインを注ぐ役目を担わされた。使用人が足りないのか、あるいは単に俺を酷使したいだけかもしれない。

 いつもなら、父や継母から見えない場所で皿洗いをさせられる程度だが、今日は違う。彼らにとって、俺の存在は便利な“使い捨て”だ。客人の前で多少失敗しても「出来の悪い子」で済ませられるからだろう。

 息苦しいほどのプレッシャーの中、俺はぎこちなくグラスを持ってテーブルを回っていた。そんな折、グラスを持つ手が震え、ワインをこぼしそうになる。

「きゃっ…!」

 悲鳴を上げたのは、どこかの子女だろう。こちらを睨む目が冷たい。

「失礼しました…」

 頭を下げると、継母が目を光らせているのが見えた。後で責め立てられるのは確実だ。だが今は場を落ち着けることに必死で、何度も謝罪を繰り返す。

 そのとき、隣の席にいたエレオノールと視線が合った。黒いドレスに身を包み、どこか虚ろな瞳。けれど、前に見たときよりは少しだけ人間らしい感情が宿っている気がした。

「……大丈夫ですか」

 控えめに口を開く彼女。驚くほど小さな声だったが、俺は確かに耳にした。

「え…あ、ありがとうございます。ご迷惑を…」

「いいえ。私のドレスにかかったわけでもありませんから」

 そう言いながら、彼女は無表情のままグラスを手に取る。なんとも言えない雰囲気が漂っていた。まるで自分を壁で覆っているようにも見える。

 一方、ほかの貴族の子女たちは、エレオノールをちらちらと横目で見ながらひそひそと囁いていた。

「黒い魔力を持ってるんですって…」「忌まわしい子じゃない?」

 陰口は聞こえないようで聞こえる。彼女がそれを気にしていないように見えるのは、慣れてしまったからなのかもしれない。

 俺は自分の境遇と重ねてしまった。周囲に嫌われ、利用され、孤立する。痛ましいほどの孤独だ。

 そのせいか、どうしても放っておけなくて、もう一度だけ彼女に話しかける。

「もし何か、手伝えることがあれば…遠慮なく言ってください」

 自分でも何を言っているのか分からない。給仕係の俺がそんな言葉をかけるなんて、生意気と言われればそれまでだろう。

 しかしエレオノールはわずかにまつげを震わせ、ほんの少しだけ首をかしげた。

「あなた…変わってますね」

 短くそう言っただけで、彼女はまた無表情に戻る。会話はそこで途切れたが、なぜか胸がじわりと熱くなった。

 宴はその後もぎこちなく続く。父は伯爵へ媚びるように笑みを浮かべ、継母は他の貴族夫人に上辺だけの世辞を飛ばしている。華やかな場を装いつつも、そこにあるのは利害と打算ばかりだ。

 俺は給仕をしながら、再びエレオノールへ視線を向けた。彼女は周囲からの中傷を浴びても表情を変えず、ただ孤独に耐えているように見える。

(あの子が“ラスボス令嬢”なんだよな。でも、本当はこんなにも…)

 脆く、傷ついている気がする。その直感が正しいかどうかは分からない。けれど、俺がこの世界に来た理由の一端は、もしかすると目の前の少女を救うことにあるのかもしれない。

 宴の終盤、父がこちらに鋭い目を向けると、手招きして「下がれ」と口の動きだけで命じてきた。

 俺は素直に引き下がり、重い扉を閉める。すると背後から、そっと足音が聞こえた。振り返るとエレオノールが立っていた。

「……あなたの名前は?」

 まっすぐ見つめられて胸が高鳴る。

「レオン…フォートです」

「そう。私はエレオノール・アンシャイネス。…また、話しましょう」

 それだけを告げると、彼女は去っていった。その一瞬、初めて彼女が人形ではなく、一人の少女として笑ったように思えたのは、きっと俺の見間違いではないだろう。

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