第3話

朝から体がだるい。寝床と呼べる場所すら確保できない、倉庫同然の部屋での眠りは浅く、疲れが蓄積している。それでも父や継母の前ではそんな素振りを見せないようにしないと、すぐに鞭や杖が飛んでくるのだ。

 起こされてすぐ裏庭へ回され、藪の草を根こそぎ抜けと命じられた。昨日、一昨日と同じように、俺は冷たい朝露に濡れた草を必死でつかみ取る。腰を伸ばす暇すらない。息を吐くたび、肺の奥が軋むように痛んだ。

「ちょっと、あんた! 手が止まってるじゃないの!」

 継母の甲高い声が突き刺さる。彼女は今日も豪華なドレスを着て、俺を見下ろすように立っていた。

「申し訳…ありません」

「ふん。役に立たないわね、全く。さっさと片づけないと昼食も抜きよ?」

 彼女は嫌悪感をあらわにして吐き捨てる。俺にはどんな反論も許されない。屋敷の中では、彼女と父が絶対の支配者だ。

 それにしても、最近やたらと雑用が増えている気がする。客人が来ているからこそ取り繕うのは分かるが、俺をこき使う理由が明らかにエスカレートしている。まるで、“ある計画”のために屋敷の隅々を整えさせているようにも感じた。

 そう思っていると、遠くから父とアンシャイネス伯爵らしき人物の姿が見えた。俺は慌てて背を低くし、存在を消すように草をむしり続ける。下手に目立てばまた殴られる。

「では、今夜の件は改めてお話ししましょう。お嬢様にも快適にお過ごしいただけるよう、私どもも準備いたしますので…」

 父は伯爵に卑屈な笑みを浮かべ、ペコペコと頭を下げていた。いつもの横柄な態度とはまるで違う。

(何を企んでるんだ…)

 伯爵がこちらに軽く視線を投げたが、すぐに興味なさそうに背を向ける。父も俺に気づいたようだが、伯爵の前だからか何も言ってこない。

 その後、父が伯爵とともに屋敷の正面へ歩き去るのを、継母は悔しそうな目で見送った。父が伯爵と話をする場に自分が呼ばれなかったのが気に入らないのだろう。すると彼女は苛立ちをこちらへ向けてきた。

「いい? もし邪魔をするような真似をしたら、容赦しないから」

 返事をする暇もなく、継母はドレスを翻して消えていく。その背中には不穏な空気がまとわりついている。

 午後になっても庭仕事は終わらず、今度は古びた倉庫の整理を命じられた。大きなタルや道具が山積みで、大人でもしんどい作業だ。汗が目に染みるたび、視界が霞む。

 ほんの少し休憩しようと腰を下ろした瞬間、倉庫の扉がバタンと開く。そこにいたのはメイドのサリー。彼女は俺と同じくらいの年だが、継母に怯えているのか、いつもおどおどしている。

「れ、レオン様…これ、継母様には内緒ですよ」

 そう言うと、小さなパンと水の入った袋を差し出す。

「ありがとう…サリー。でも大丈夫か?」

「はい。見つからないように気をつけます。…あんまり無理しないでくださいね」

 彼女は怯えながらも微笑んでくれた。俺はその心遣いに救われる思いだった。両親から暴力を受けても、こうして気にかけてくれる人がいるだけで、世界が少しだけ優しく見える。

 結局、そのパンをかじりながらなんとか倉庫整理を終わらせ、外に出るともうすっかり夕方だ。空は赤く染まり、風が冷え始めている。

(このまま、ずっとこうなんだろうか…)

 希望がないわけではない。でも、父と継母の支配から抜け出す術も思いつかない。夜になれば父が酒に酔って苛立ちをぶつけてくるだろうし、継母は継母で新たな雑用を見つけてくるに違いない。

 だけど、屋敷の中でひっそりと姿を見せるエレオノールという少女――あの“ラスボス令嬢”と呼ばれる子は、俺と同じように孤独を抱えているように見えた。彼女がこの屋敷に来たのも、何かの巡り合わせかもしれない。

 ここで辛酸をなめるだけで終わるなら、俺がこの世界に転生した意味は何もない。

「…絶対に、打開してみせる」

 呟いた声は弱々しいが、胸の奥で小さな火が灯った気がした。今夜、屋敷では伯爵を迎えた夕食会が開かれるはず。そこに何が待っているのか、俺にはまだ分からない。ただ、継母の不穏な視線や父の必死な媚びへつらいを見る限り、良からぬことが起きそうな予感だけはしていた。

 夕暮れの空を見上げ、俺は荒い息を整える。闇が覆う前に、やれることはやっておくしかない。

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