第2話
翌朝、いつものように倉庫代わりの部屋から叩き起こされ、裏庭の整備を命じられた。貴族の屋敷とは思えないほど荒れ放題だが、こんな庭でも見栄だけは張りたいらしい。父や継母にしたら、俺を無料の労働力としか見ていないのだろう。
古びた熊手を握りしめて草をかき集めながら、ふと、昨日の夜に考えた“ゲームのラスボス令嬢”のことを思い出す。このままじゃ会うどころか、俺は餓死か過労死が先なんじゃないか? 自嘲気味に苦笑する。
そのとき、正門のほうから馬車が通る音が聞こえてきた。普段、こんな僻地にはほとんど客など来ないのに、かなり立派な馬車が止まるらしい。慌ただしく駆け寄る使用人たちに混じり、俺も背伸びして様子をうかがった。
漆黒のドレスをまとい、やや幼さの残る少女。どこか人形じみた無表情に、ダークグレーの髪。俺はその姿を見た瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。
(まさか…本当に“あの子”なのか…?)
ゲームで何度も見たイラストの面影がある。名前は確か、エレオノール・アンシャイネス――その名こそ、この世界の“ラスボス令嬢”と呼ばれる存在だった。
だがどうしてこんな辺境に? 疑問が頭を過ぎるが、とりあえず遠巻きに様子を見守っていると、彼女の父親とおぼしき貴族が降り立ち、うちの父と挨拶を交わし始めた。
「ふん、ようこそ、わがフォート家へ」
傍らにいる継母も、偽りの笑顔でぺこぺこと頭を下げている。俺からすれば絶対にあり得ない態度だが、高位貴族が相手となると手のひら返しをするらしい。
彼女の父――アンシャイネス伯爵は、鋭い目つきで屋敷を一瞥し、少し鼻を鳴らした。こんな荒れた家など見る価値もないと思っているのだろう。
一方、エレオノールはほとんど表情を動かさず、どこか世間に興味がないようにも見える。その瞳の奥には、うっすらと影のようなものが宿っている気がした。
(この子が、いずれ闇堕ちして世界を混乱に陥れる可能性がある――なんて、信じられないけど…)
だが、ゲームのルート次第では彼女は味方にもなる。優秀な治癒魔法を秘め、仲間を救うキーパーソンでもあったはずだ。
そんなことを思っていると、父の怒鳴り声がこちらまで飛んできた。
「おい、そこでボサッとしているのは誰だ! 行儀が悪いぞ、恥をさらすな!」
見ると、父が俺に視線を向けている。アンシャイネス伯爵の前では無礼だと言わんばかりに、手を振り上げて睨みつけてきた。そのまま皆の前で殴られそうな雰囲気に、背筋が凍る。
すると、不意にエレオノールが父の裾を引いた。小さな仕草だが、それだけで場の空気がピタリと止まる。
「父上。……その子は、なんですか」
まるで壊れかけの人形を見つけたかのような、冷淡な声。でも、その瞳にはどこか揺らぎがあった。
「……下働きの使用人のようなものよ。気にするな」
父が投げやりに答えると、伯爵は苦い顔をして俺をちらりと見やる。そこにある疑問を口にしようとはしないが、その沈黙が逆に重くのしかかった。
彼女の目をまっすぐ見ることができず、俺は下を向く。せめて、この場では騒ぎを大きくしないほうがいい。何か余計なことを言えば、あとで父と継母の暴力が待っているからだ。
馬車で来た高位貴族たちは、どうやら数日ほどこの屋敷に滞在するらしい。父が見栄を張って開く小さな懇親会が目的だと聞いた。
「……ついに、“彼女”が俺の家に来た。これも何かの縁だろうか」
俺は荒れ果てた庭の隅で、そっと自問する。ゲームでは一切関わらないはずのモブ貴族の家と、物語のキーキャラクターが交差するなんて、どう考えても奇妙だ。
けれど、もし彼女を闇堕ちから救えれば、この世界は破滅から遠ざけられるかもしれない。同時に、俺自身も今の絶望から抜け出す糸口を得られるかもしれない。
視線を感じて振り向くと、少し離れた先でエレオノールがこちらを見ていた。すぐに逸らしたようだが、その一瞬には確かに小さな感情のきらめきがあった気がする。
この出会いは、偶然か必然か。それを確かめるには、まず自分の現状を変えなければならない。
荒れ果てた庭には冷たい風が吹いている。その中で固まったままの俺は、どうしようもない焦燥感に包まれながらも、一筋の光を求めるように小さく息を吐いた。
「……まだ、終わりじゃない。絶対に」
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