『推し』と『推し』

 いつものようにゆるっと仕事していると。


「ちょっと二ノ宮くん。資料のここ間違ってるわよ」


 いつものように、同僚の加賀美かがみひなから指摘されてしまった。

 彼女はマーケティング部のエース。

 のらりくらりしている俺、二ノ宮にのみや雄二ゆうじとは対照的な、バリバリのキャリアウーマンだ。


「ちょっと。聞いてる?」

「聞いてるよ」


 他の人にはそうでもないらしいが……

 俺にはこんな感じでことあるごとに突っかかってくる。


「すぐに直してよね。次の会議で使うんだから」

「はいはい」

「はいは一回」

「うす」


 俺の応答に彼女は、やれやれと肩をすくめる。


「あいつらまたやってるよ」

「犬猿の仲って感じ」

「いや、どっちかっていうと夫婦?」


 周囲からのひそひそ話に、加賀美がぎろりとひとにらみ。

 まあ、意識高そうな彼女のこと。

 俺なんかと近しい仲だと思われるのは不愉快なのかもしれない。


「まったく。じゃあ、頼んだわよ——ん?」


 彼女は一瞬立ち去ろうとしたが、何かに気付いたらしく足を止める。


「あなた、そのキーホルダー……」


 彼女の視線が俺のカバンに注がれる。

 俺はしまった、と思いながらも答える。


「あー、えっと。推しのキャラクターなんだ」


 それは、俺の愛しの推し……

 とあるアイドル育成ゲームのキャラクターのグッズだ。


 通販で購入したものが昨夜届き、感激のあまりカバンにつけてみた。

 そしてそのまま、会社に来てしまった。


「……」


 彼女は何やら、驚いたような表情をしている。


「どうだ。かわいいだろ?」

「……」


 返事がない。

 もしかして、引かれてる?


「ご、ごめん。ちょっとアレだよな。気を付けるよ」


 俺が言うと、彼女はハッと我に返った様子。


「アレってなによ。あなたにもそういう趣味あるんだなーって思っただけ」


 彼女はそう言い残し、「それじゃ」と自分の席に戻って行った。

 立ち去る寸前の横顔は、心なしか嬉しそうに見えた。


 それが気のせいでは無かったと分かったのは数時間後のこと。

 なんと、加賀美からランチに誘われたのだ。


「どういう風の吹き回しなんだ?」


 会社近くの食堂にて。

 俺は対面に座る彼女にたずねる。


「どうもこうも無いわ」


 あれ、なんか怒ってる?


「二ノ宮くん。あなた……咲九Pだったの!?」

「え……」


 桜ヶ浜咲九。

 それは、アイドル育成ゲーム『きらりん☆アイドルレボリューション!!』に登場する、アイドルキャラクターの一人。

 そしてPというのは、プロデューサー……つまり、ゲームプレイヤーを指す言葉である。


 それゆえに咲九Pというのは、咲九のプロデューサーを担当するプレイヤーの俗称である。


 しかしその呼称を用いるものは、少なくは無いものの多くもない。

 つまり、限定的ということだ。

 

 そこから導き出される結論。

 それは——


「まさか、加賀美も?」

「ええ、そうよ。私もきら☆レボのプロデューサーよ!」


 加賀美は胸を張って答えた。

 優等生ポジションの彼女にゲーム趣味があったとは。

 なんだか意外だ。


「私は友香Pなの」


 そう言うと彼女は、カバンの中から小さなぬいぐるみを取り出した。

 それは朝山友香——咲九と同じく☆レボに登場するアイドル——の、ぬいぐるみだった。


「そ、それはっ、大人気で品切れ続出の!?」

「ええ、そうよ。これを手に入れるために、いくつものゲームセンターを周ったわ……」


 彼女は見せつけるように、友香推しのぬいぐるみに頬を寄せた。

 その様子から彼女が友香をこよなく愛していることが見て取れる。


「そういうあなたこそ、咲九のことをよっぽど推しているみたいね」

「まあな」


 俺たちはそんな感じで、互いの担当の推しポイントをこれでもかと語り合った。

 気づけば、あっという間に昼休みも終わりだ。


「もうこんな時間ね」

「あ、マジだ」

「ごめんなさい、つき合わせちゃって」

「なんでだよ。こうやって話すの、楽しかったぞ」


 俺がそう言うと、加賀美はきょとんとした顔になる。


「どうした?」

「いえ。意外な反応だったから」


 彼女は嬉しさと困惑が入り混じった、複雑な表情で俺を見る。


「ほら、私って普段ああだから」

「ああ……」


 まあ確かに、クールないつもの感じからすると意外だったけど。


「いや、いつもは見せないところを見せてくれて、嬉しかったが?」

「——!」


 加賀美の顔がぱーっと明るくなる。

 かと思えば、途端に腕を組み、そっぽを向いた。


「何よそのいい方。変態!」

「ええ……」


 あれ、ちょっといい雰囲気だったよな、今。


「なーんて、冗談よ。さっ、会社戻るわよ」


 彼女は俺の背中を叩くと、さっそうと店の外に出ていった。


「おい、会計は?」

「さっきまとめて払ったわ」

「はぁ!? ちょっと待ってくれ」

「なによ、迷惑だった?」


 加賀美は立ち止まり、俺を振り向く。


「いや、そんなわけねえけどさ……」


 実は俺が加賀美の分も払うつもりだった、何て言うと……より一層かっこうがつかない。


「じゃあ、遠慮なくおごられなさい」

「なんか、申し訳ないな」

「そう? じゃあ、次はあなたがごちそうしてよ」


 加賀美はふふ、と笑った。


「……分かった。必ず、借りは返す」


 俺は前を歩く加賀美に追いつくよう、歩き出した。


 ——次、か


 不思議と、午後からの仕事をがんばろうという気になっていた。

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