8―2 ファルシェ・イデンティテート 偽りの

 震えが止まらなかった。

 今まで信じていた事が足元から崩れていくのを感じて、夜月は立っているのも難しい状態だった。

 ガルヴァキスの策略により波月と誠司は恋をした。そして夜月が生まれた。九院に引き取られた夜月は、自分はアルテ・メンシェンを幸せに導くべき存在なのだと疑わずに育った。だが本当は、地球を侵略するべく意図的に産み出された異星人だった。

 地球人類は約三万人にも上る異星人の侵入を、知らない間に許してしまった事になる。

 夜月はジンを睨みつけた。

「ガルヴァキスの子よ。ネフェラティを破滅に追い込んだ異星人は、やがて地球にも侵略の手を伸ばすだろう。その時の為に備えなければならない。幸い地球には、バカげていると言わざるを得ないほどに強力な武器が有り余っている。そして地球の人類は闘争心が強い。おおいに利用価値がある。畏怖させて従わせよ。不要な者は切り捨てて無駄なくリソースを活用するのだ。戦闘力を極限まで磨き上げろ。そして迎え撃て。我らの新しいネフェラティの為に」

 ――ジーク・フォン・ネフェラティ!ネフェラティの勝利だ!

「ガルヴァキスのケーニギンよ。まずは我らが聖域を汚す侵入者共を排除せよ」

「侵入者? ジンよ、それはいったい……」

 ふいに、肩に手を置かれた。背後に接近されたのに、全く危険を感じなかった。鋭敏な夜月には考えられない事だ。真実を知った衝撃が勘を鈍らせたのだろうか。それとも。

「お前、立てるのか」

 夜月に見つめられながら、愛鐘は立っていた。自分の足で。

「ごく短時間ならね。歩けはしないけど」傍らにある車椅子に愛鐘は腰を下ろした。「この状況なら、なぜここにいる、と訊くのが先じゃないのか、夜月」

 愛鐘の様子は、いつもと変わらず穏やかだった。

「そうだな。お前はここで、いったい何をしているんだ」

「夢に向かって邁進中、さ」

「私のあとをつけるのが夢なのか」

「そうじゃない。君たちの言うところのアルテ・メンシェンが、何もしないで手をこまねいているとでも思ったのか。水面下で、反ガルヴァキスの準備は進められていたんだよ」

 夜月の頬が、ぴくり、と震えた。

「私を騙したのか」

 低く抑えられているが、夜月の声は冷たく研ぎ澄まされていた。

「その通りだ」愛鐘は夜月と出会って以来、初めての、厳しい顔を見せた。「我々の名はCRセー・エール。『革命の騎士』を意味するシュヴァリエ・ドゥ・ラ・レヴォリュシオンを略したものだ。CRは『報告書』を表す略号でもある。革新を遂げた未来へのメッセージという意味も込められているんだ」

 愛鐘の周囲に数十人の男女が集まり始めた。動きに無駄がない。それなりに戦闘訓練を受けているのが分かる。みなラッパーのようなダブついた服を着てニット帽を被っていた。色は紫で統一されている。夜月は毒毛虫の集団に取り囲まれたような気分になった。

「君が母親の波月が通った港嶺こうれい音楽大学の隣にある幸楽こうごう公園に時折現われる事は調査済みだった。接近して僕の家族に会わせた。君たちが標的にして殺してきた障害者に触れさせて動揺を誘い、仲間に引き込むつもりだったんだ」

「愛菜さんたちもメンバーか」

「違うよ。姉さんの家族は何も知らない。ガルヴァキスのせいで事故に遭ったのも事実だ。僕の障害もその時に負った。まあ、色ボケのお巡りさんをひっくり返すぐらいの事はなんとかなるけどね。これでも、元、国衛軍特殊部隊所属の医官だから」

「私を救ったのはなぜだ」

「ゾンダーゾルダートが何やら企んでいる様子なのを察知して見張っていたんだ。すると、君が蹂躙されている現場に出くわした。僕らにとってはちょうどよかったと言えるだろう。おかげで君の体内に発信器を仕込む事ができたんだからね」

「治療のついでに、というわけだ」

「でもまさか、こんな大当たりを引けるとは思わなかった」

 愛鐘は両手を広げてジンを仰ぎ見た。

「何をする気だ」

「ここにある君たちの母星の知識と技術を使って、我々が人類を導く」

 希望に満ちた目で笑みを浮かべた愛鐘から視線を外して、夜月は寂しげに俯いた。

「そんな事がお前の夢だったのか、愛鐘」

「一緒に来てもらうよ、ケーニギン・フォン・ガルヴァキスガルヴァキスの女王陛下。君には利用価値がある」

「私の作った料理を食べてくれたのも、策略の一部だったというのか」

 愛鐘は車椅子を動かして夜月に背を向けた。

「君は戦闘力は高いが、人を疑うという事を知らないんだな」

「私と、あんな事をしたのも」

 夜月は腹を撫でた。愛鐘はそれには答えなかった。

「愛鐘」夜月は目を細めて愛鐘の背中を見つめた。「私がその気なら、一瞬でお前を殺せる間合いだぞ」

「君に僕は殺せない」

「なんだと」

「いや、そうじゃない。君はもう、誰一人殺せない」

「試してみるか」

 夜月はゲシュペンスト・デス・モンデスを構えた。切っ先が震えている。

「無理だ。君は真実を知ってしまった。みんなの幸せのために。そう念じて心を押さえつけ、老人や障害者などを殺してきた。でもそれは異星人による侵略計画だった。人を殺す意義を失った今、その戦闘用ナイフはただの飾りだよ。君は本来、優しい子だ」

「私が侵略を続けないとは限らないぞ」

 愛鐘は振り返らずに、静かに語りかけた。

「夜月、君は知らぬ間に花の命を奪った事に後悔を覚えた。摘んだ花がもう元には戻らないように、君が殺した人たちが生き返ることはない。偽りの信念に基づいて犯してしまった過ちに、君は耐えられないはずだ。だから、それを君に強いた者に与えられた使命など、もう、けっして果たそうとはしない」

 多くの血を貪ってきた相棒を握り締めた夜月の手が、だらりと下がった。

「何でもお見通しなんだな、愛鐘」

「君の事は徹底的に研究したからね。両親の事、幼少期の生い立ち。音楽と本が好きで風呂に入るのは面倒で煮魚が苦手でトマトジュースが好物。お気に入りは、デパートで両親と一緒に選んで買ってもらったオレンジ色のリュックと傘だ。それが親子三人そろっての、最後の買い物だった」

「すべて九院に引き取られる前の話だな」

「そりゃそうさ。簡単に情報を得られる組織じゃないからね、九院は。せいぜい、アオフガーベのあとの現場検証や個人的な外出の尾行ぐらいしかできる事はない。でも、一緒に暮らした事で情報をアップデートできた」

「そんなくだらない事をしてまで私を騙したわけだ。ご苦労な事だ」

「そのおかげで、こうして絶対的な力を手に入れた」

 瞼を閉じた愛鐘は、拳に力を込めて俯いた。

「それを使って何をするつもりだ」

「金儲けが上手いだけで心を持たない奴が大きな顔をする社会。支配欲を満たす為に領土拡大を企て、国の軍隊を動かして悲劇を撒き散らすような奴が国家元首になれる世界。そんな歪んだ現実をぶち壊す。その為には、圧倒的な武力が必要なんだ」

「戦いが上手いだけで心を持たない奴を生むぞ」

 愛鐘は振り返り、冷たい笑みを見せた。

「誰の事を言っている」

 悲痛な表情を浮かべて、夜月は震える唇を強く結んだ。

「老人や障害者などを雑草と決めつけて刈る君たちガルヴァキス。富や権力を独占する者を潰そうとしている僕らCR」

「最近、金持ちの資産が消滅したりしているのは、お前らの仕業だな」

「下を切るか、上を叩くか。僕らは、実は同じ事をしているんだよ。絶対多数の幸せのために、障害となる者を排除する。方法論の違いだ。夜月、僕らと共に来い。もう弱者を殺さなくていいんだ。強者に立ち向かえ。新しい世界を一緒に作ろう」

「ネフェラティの力でか」

「そうだ。ここには、その可能性が眠っている」

 夜月は俯いて目を閉じた。

 アルテ・メンシェンを導き、誰もが幸せな新しい世界を作る為に。そう信じて人を殺してきた。だがそれは、巧妙に仕組まれた地球侵略プログラムの一部だった。偽りの目的の為に鍛え上げた戦闘力を、そして目の前にあるネフェラティの英知を、どう扱えばいいのだろう。これから自分は何をするべきなのか。

「夜月。君が声をかければ、ついてくる者は少なからずいるはずだ」

「ガルヴァキス同士を争わせるつもりか」

「止めたいとは思わないのか、異星人による地球への侵略を。放っておけば、まだまだ殺すぞ、君の元、仲間たちは」

「異星人の侵略を止める為に異星人の力を利用すると言うんだな」

「そうだ。利用できるものは利用する。夢の実現のために」

「そして、使えないものは捨てる」

「なんの話だ」

「隠れて私を狙っている銃口に気づかないとでも思っているのか。断ったら撃つんだろ」

「……念のためだよ。万一、君に分かってもらえなかった場合、我々は全滅してしまうからね」愛鐘は車椅子の向きを変えて夜月のすぐ傍に移動した。「さあ、僕の手を取って。共に行こう。理想の世界を創るんだ」

「その為になら騙すんだな」

 俯いたまま夜月は口を閉ざした。

「君のためだよ、夜月。殺伐としたガルヴァキスの呪縛から解き放つためだ。さあ、おいで」

 愛鐘は満面の笑顔を浮かべて両手を夜月に向けて差し出した。

「たぶらかされるな! 夜月」

 男の鋭い声がドーム内に響いた。夜月と愛鐘はドームの入り口に顔を向けた。

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