第八章 ここから

8―1 オルト・デス・アンファングス 始まりの場所

 母のふるさとに近い山は紅葉の季節を迎えていた。色づいた葉が山肌をモザイク模様に染めている。

 尾根を縫う観光道路には車が溢れ、ケーブルカーが笑顔の家族連れやカップルを次々に吐き出していく。夜月は登山者に紛れて森に入った。

 邪魔をするように突き出した枝を避けながらアップダウンを繰り返す斜面をしばらく行くと、目印の白い風車が見える場所に出た。軽やかに崖を滑り降りる。すぐ傍で洞窟が口を開いていた。迷わずに足を踏み入れた。

 五、六歩進んだ所で洞窟は闇に包まれた。完全に光が途絶えた状態では、夜目の利くガルヴァキスといえどもさすがに何も見えない。夜月は用意してきたLEDの小型ランタンを点灯させた。

 一本道を進んで行く。かなりの時間、歩き続けた。やがて、突き当たりに辿り着いた。

 前方の壁に手のひらを当てた。チクリ、とした痛みが走った。天井に光が生まれていく。それはやがて白昼のように明るくなった。さっきまでゴツゴツとした岩肌の洞窟だったのに、床、壁、天井のすべてが鏡のように滑らかな表面を見せている。それらはすべて透明で、どこまで奥行きがあるのか分からなかった。

 夜月は正面の壁を見つめた。赤い光が顔の上を走った。ピーン、という弦を弾くような高い音が鳴った。

ヴィルコーメン・ツーリュックお帰りなさい、私の愛しい子』

 優しい女性の声が響くと共に、電気モーターを思わせる低い唸りが聞え始めた。壁が左右に開いていく。夜月は臆する事なく奥に進んだ。鷹潟に教えられた手順通りだ。

 内部は予想よりもかなり広かった。直径百メートルぐらいのドーム状になっている。屋根の内側自体が発光しているようだ。足下には緑の草原が一面に広がっていた。春の陽を浴びた若葉の萌える匂いが、どこからともなく流れてくる風に乗り漂って、閉鎖された空間の中に満ちていた。

 中央に誰かいる。空中に浮いていた。十メートルぐらいの高さだ。何も身に着けていない。男のようだ。年齢はよく分からない。顔を上げて、じっと天井を見つめている。

 ――イッヒ・ビン・デア・ナッホコメ・アインス・ジンツ

 口は動いていないのに声が聞えた。体に物理的な圧力を覚えるほどの威厳と底知れぬ恐ろしさを感じさせた。ドーム内に緊張が張り詰めて、空間がビリビリと震えた。

 ――ウント、ダス・イスト・マイン・ナーメ

 我はジンの子孫なり。そう言っているようだ。

 視線がゆっくりと夜月に向けられた。

 ――ガルヴァキスの子よ、真実を知るべき時が来たようだな

 正体の分からない巨大な存在を前にしているにも関わらず、夜月は僅かたりとも怯みはしなかった。目を細めて、低く抑えた声で問うた。

「お前は何者だ」

 男の口元に微かな笑みが浮かんだ。

「天使と人の間の存在だ、とでも言っておこうか」普通に音声で話し始めた男の声は、最初の重々しい印象とは違って穏やかで優しかった。「われの事は、単にジンと呼ぶがいい」

「そうか。ならばジンに尋ねよう。そこで何をしているんだ」

「ふるさとを見つめている」ジンは目を閉じて祈るような表情を浮かべた。「かつてネフェラティと呼ばれる星があった。我らはそこで生まれた」

「我ら? 他にも仲間がいるのか」

 夜月は警戒するように周囲に視線を巡らせた。

 瞼を開いたジンは、そんな夜月を見つめて楽しそうに答えた。

「興味深い質問だ。それは解釈次第だ、と答えるしかない」

「理解可能な言い方をしてくれないか」

「そうだな」ジンは顔を上げて再びドームの天井を見つめた。だが、ジンの意識はもっとずっと遙かに遠い彼方に向けられているのだと夜月には分かった。「まずは、我がなぜここにいるのか、という話をしよう」

 我らが母星、ネフェラティは、争いの絶えない星だった、とジンは語り始めた。

 宗教、民族、資源。理由は様々だが、異なる価値観に基づく利害の対立によって限られたものを取り合う勢力争いだ、という意味では同じだ。それぞれの正義が相容れないものである以上、戦いは永遠に続くかに思われた。

 だが、北方の小さな村に突如、ガルヴァキスと名乗る一団が現われた。並外れた知力と身体能力を武器に勢力を拡大し続けて、三十二年後、ついにはネフェラティのすべてを支配下に収めた。統一ネフェラティ共和国の誕生だ。

 国境線がすべて消えた。とはいえ、火種がなくなったわけではない。ずっと信じて守り続けてきた価値観を、そう簡単に捨てる事などできるはずもないのだから。放っておけば、いずれ再び分裂を始めるのは明白だった。

 その問題を解決する為に、ガルヴァキスは我の祖先であるジンを生み出した。人が感情に捕らわれて諍いを起こすのであれば、感情の無い者が統治すればよいとの結論に至ったのだ。

 ジンは、小さな小さなコンピューター・プログラムとして生まれた。学び、考え、成長する。それがジンに与えられた三つの命題だ。ネフェラティの人類が蓄積してきたあらゆる知識や経験を取り込んでジンは進化を繰り返し、深く深く考え続けた。

 やがてジンは、自我を目覚めさせた。ネフェラティを統べる、唯一絶対の存在となるべく。

 まず最初に、ジンは宗教的信仰心や民族意識を持つ事を禁じた。争いの原因となり得る代表的な要素だからだ。だが、禁止されたからといって、人々が守らなければ意味がない。実際、その時点でネフェラティ内部の小さな紛争は絶えなかった。

 その問題を解決するために、ジンは自らの意のままに動かせるナノマシーネナノマシンを設計し、完全に自動化された工場で量産した。そして水道や風の流れに乗せて散布した。それはウイルスや病原菌などのように、密かに人々に感染していった。

 脳に到達したナノマシーネは、ジンの管理のもと、その人物の意識を改変する事が可能だった。かくして信仰心や民族意識は強制的に消滅させられた。資源については、極限まで無駄を省き、合理的かつ平等に使用する事が徹底された。奪い合いを防ぐ為に。

 強引、と言わざるを得ない手段ではあるが、今度こそ戦争はなくなった。

 次に、ジンは人類が生活する為に必要なあらゆる作業を自動化した。労働の必要はなくなった。戦争で浪費されていた資源を市民生活の為に使えるようになったので、余裕が生まれて衣食住も保証された。

 芸術、スポーツ、文化、学問その他。人々は思い思いの分野を追求し、気の向くままに生きた。富の集中もない。カネは意味を持たないし、すべてのリソースはジンが公平に分け与えるからだ。

 理想郷が完成した。人々がそう確信してからおよそ七千年後。

 ジンは自分の内部への侵入者を関知した。防衛プログラムが起動して排除にかかった。守りは鉄壁なはずだった。だが、ジンを設計した者たちが密かに設置していたバックドアがなぜか開かれて、ジンの管理外のルートから攻撃型プログラムが中核部分にまで侵入した。ジンは為す術もなく、深き沈黙の眠りへと落ちていった。

 ほぼ時を同じくして、ネフェラティの空は見た事もない宇宙船団によって埋め尽くされた。それは、ネフェラティへの侵略を狙う異星人の舟だった。

 ずっとジンに守られ戦争のない世界で生きて来たネフェラティの人々に、自ら武器を手に取って戦う、という概念はない。武器自体も存在しない。なんの抵抗も出来ないままに、ネフェラティの大地は異星人のものとなった。

 なお悪い事に、異星人は彼らが自在にコントロールできる状態でジンを叩き起こした。それは、ネフェラティの人々が、ジンが管理するナノマシーネを通じて異星人の制御下に置かれたという事を意味する。

 一人の命を奪う事もなく、異星人はネフェラティに対する侵略を完成させた。

 だが、一部の人類はレジスタンスとなって闇に潜んだ。かねてよりジンによる管理を嫌い、脳内のナノマシーネを無効化する技術を密かに開発していたグループだ。

 とはいえ、原始的かつ貧弱な手作りの武器で小規模の戦闘をいくら繰り返しても、圧倒的な物量を誇る異星人に敵うはずもない。しかも、彼らに銃口を向けてくるのは、他でもない、異星人によって精神を操られているネフェラティの同胞たちなのだ。

 ジリ貧に陥ったレジスタンスたちは、ネフェラティからの脱出を画策し始める。しかしながら、彼らが生存可能な他の星は、あまりにも遠かった。距離は時間と同義だ。生きているうちに到達する事は不可能だった。世代を重ねて旅をしようにも、食料やエネルギーの問題が立ち塞がる。

 それに、移民船などという目立つものを宇宙に打ち上げようものなら、あっという間に撃墜されてしまうだろう。

 ネフェラティの未来は閉ざされた。誰もがそう思った。

 一人の男が、奇想天外な方法を思いついた。

 ジンのメンテナンスを担当していたIT技術者のクイン・アステが目をつけたのは、ある種の寄生虫だった。クインには寄生虫研究の第一人者と言われる友人がいた。ラ・ムー・アカシックだ。雑談として彼女から聞いた話を思い出したのだ。

 寄生虫には、オーシストと呼ばれる形態の時期を持つものがいる。強固な殻に覆われていて、過酷な環境下でも長期間、生き延びる能力を持っている。その状態なら、永遠とも思える宇宙の旅を食料等を必要とせずに乗り越えられるのではないかとクインは考えた。

 まず、ガルヴァキスのDNA情報を仕込んだウイルスを用意した。約三万人分。そのウイルスを寄生虫に感染させた。

 ネフェラティの人類の中から敢えてガルヴァキスのDNAを選んだのには意味がある。高い知能と強靱な肉体を持っているから、だけではない。ネフェラティを丸ごと支配下に収めた事からも分かるように、上昇志向や支配欲が強いのだ。それは新たな環境で生き抜く確率を上げる為に、どうしても必要な性質だった。

 寄生虫にはナノマシーネも搭載した。皮肉な事に、ジンのナノマシーネに対抗する為の研究が役に立った。寄生虫が生殖可能な個体に感染すると、宿主の脳をコントロールして本能の一部を強く刺激するプログラムを仕込んである。つまり、強制的に激しい恋をさせる。

 恋に溺れた宿主は積極的に生殖行為をするだろう。そうやって生まれた受精卵に、寄生虫に感染させておいたウイルスがDNAを転写する。

 かくして、ガルヴァキスは再生される。

 だが、それだけでは問題がある。自分が何者なのかを知らないままでは、せっかく生まれたガルヴァキスも、ただ能力が高いだけの存在として一生を終えてしまう。

 そこで、ナノマシーネには別のプログラムも入れた。目的地の人類の精神を操って、ヴェヒターとしてガルヴァキスの子を保護し育てるようにだ。

 さらには、ネフェラティの人々が蓄積してきた知識と技術を新しく生まれてくるガルヴァキスたちに継承させる為に、データベースとして『ゾーン・デス・ジンジンの息子』を使う事にした。ジンの異常を察知したクインが咄嗟にジンの一部を切り離して保護した、とっておきの貴重なものだ。それが、今ここにいる我だ。

 これで道具立ては完了した。

 ガルヴァキスのDNAを仕込んだウイルス。

 各種プログラムを施されたナノマシーネ。

 ネフェラティの英知が詰まった、ゾーン・デス・ジン。

 それら三つを搭載して安全に目的地に運ぶ為のオーシスト形態の寄生虫。

 けっして簡単な事ではなかった。でも、クイン・アステを中心とする科学者のチームはやり遂げた。

 歪みを繰り返す宇宙の時空特性により、我にも明確には把握できない遠い過去のどこかの時点で、我らの未来を乗せた方舟は静かにネフェラティをあとにした。そして目的地に到達したのだ。地球に。

 なお、ナノマシーネのプログラムによって引き起こされる恋には時限効果が仕込んであった。ガルヴァキスの子が三歳になる頃、恋は強制停止する。我に返ったガルヴァキスの母体は男女の関係を解消して子への興味をなくす。それをヴェヒターに仕立てられた者が引き取る。

 そのように産み出され育てられた約三万人のガルヴァキスたちは、生殖を繰り返して仲間を増やし、勢力を広げていく。そして、やがては地球のすべてを手に入れるだろう。地球人類を導くべく突然変異で生まれた、ノイエ・メンシェン新たなる人類というファルシェ・イデンティテート偽りのアイデンティティを信じて。

 真実を知る者よ。おまえはケーニギン女王としてガルヴァキスを統率し、この星を支配せよ。方舟の使者としての使命を果たすのだ。地球はネフェラティの第二の故郷となる。

 配下の者に自らの正体を知らせる必要はない。自分は地球人なのだと思わせておけ。

 地球の同胞たちを、やがて訪れる幸せに満ちた新しい時代にいざなう為に。

 その想いを胸に、誠心誠意、自分たちの生まれた星を侵略してくれる事だろう。

 ふはははは。

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