2―2 マイネ・ハイマート ふるさと
あるかどうかも分からない出口を求めて、波月と大崎は歩き始めた。僅かに下っているようだ。前へ前へと足を引かれる感覚がある。
最初に感じた通り、洞窟内は極めて人工的だった。地面、壁、天井、すべての面が、岩肌ではあるけれども綺麗に整っている。しかも、どこまで行っても変化がない。
テレビの探検もので見る洞窟は、もっと激しく凹凸があって乱れている。通過するのが不可能に思える程に狭い所を無理やり這ったり、決死の覚悟で水溜まりに潜ったりもする。それなのに、これではまるで……。
「人が移動に使う事を想定して作られた通路のようだね」
波月は同意見だった。
前方に向けられたケータイの光は、何かに突き当たる事なく闇に呑まれている。終わりがある気がしなかった。靴底が砂利を踏む足音だけが、ひやりと涼しい洞窟内に延々と響き続けた。
「昔、この山にね」沈黙に絶えられなくなったのか、大崎は唐突に話し始めた。「火球が落ちた、という記録があるんだ。およそ1600年ぐらい前の事らしい」
「カキュウ?」
「火の球だよ。流れ星の中で、特に大きく明るいものをそう呼ぶ」
「それがどうしたんですか」
またなんだか変な事を言い出した。暴走しないでくれるといいんだけど。波月は、小さく息をついた。
「火球クラスだと、燃え尽きないで地表に落ちる事がある。つまり、隕石だね」
「だから?」
「記録によると、かなりの轟音を上げながら激しく光っていたらしい。それなのに何の痕跡も見つかっていない。もちろん、隕石本体もだ」
「はあ、そうなんですね」
何が言いたいのだ、この人は。
「宇宙船だとしたら、どうだろう」
あまりにも突拍子もない。適当に相手をしておこう。
「そうかもしれませんね」
気のない返事をした波月の心情を汲む事もなく、大崎は興奮気味に自分の空想を語り続けた。
「飛来した宇宙船が地表に激突せずに静かに着陸したのだとしたら、ほとんど痕跡は残らないはずだ。そして、そのまま地下に潜った。そう、この洞窟は、異星人の舟が地中に隠れた時にできたんだよ」
「そうですか。よかったですね」
「星のロマンだなあ」
「私たちがお星様にならなければいいんですけど」
「もしかしたら、なんらかの事情で地表に出られなくて助けを待っているのかもしれない」
波月は思わず薄闇の中の大崎の顔を見た。
「だったら、助けてあげたいですね」
その言葉は無意味な相づちではなかった。
遠い宇宙の彼方からわざわざ地球に来てくれたのに困っているのだとしたら、手を差し伸べるべきではないだろうか。
「でも、異星人を助けた結果、彼らによって地球が征服されちゃったりなんかしたら、地球の人類にとって僕らは大罪人だね」
「無闇に手を出すべきではない、と」
「そんな事になったら、孫子の代まで呪われるかもしれないな」
「嫌ですよ。自分の子供には幸せになって欲しいです」
あなたには関係ない話だけど、と波月は心の中で笑った。
「子供と言えば、少子高齢化が問題になってるね」
黙っていると不安が募るのだろうか、大崎の話は続いた。
「出生数の減少と共に、老齢人口の比率が高まっていますよね」ちょうど普段から気になっているテーマだった事もあり、波月は会話に応じた。「このままでは若年層への年金の負担が重くなり過ぎて、システムそのものが破綻するのは間違いないんじゃないでしょうか」
「そうだね。それなのに政府は有効な施策を打てないでいる。このままずるずると事態が悪化すれば、国家そのものが持ちこたえられなくなって崩壊しかねないのに」
「かといって、対策に予算をつぎ込めば増税に繋がる。いずれにせよ市民は苦痛を味わう事になる。それは将来への不安に直結する。不安は結婚や出産を控える動きを生み出し……。絵に描いたような悪循環のできあがりです」
「少子化は、安心して子を産み育てられる社会を作り出さない限り解決しない問題だと思う。市民の不安を取り除いて生活を豊かなものにしなければ改善は見込めない」
「ナントカ給付金、とか言って選挙対策のカネをバラ蒔いてごまかしてる場合じゃないですよね。あれって、莫大な経費がかかるんでしょ?」
「そうだな。たとえば」大崎は、給付金の一つを例に挙げた。「国民への支給総額がおよそ十三兆円。その為に使った経費はいくらだと思う?」
「五千万円ぐらい?」
「約、千四百億円だ」
「は? 集めた税金の中からわざわざ経費を使って国民に戻したんですよね。むちゃくちゃ無駄に減らしちゃってるじゃないですか」
「それが政府の考える、『有効な施策』だ」
「その経費、国会議員のお友だちの業者が懐に入れてたりしませんよね?」
「さあ、どうだろう」
「それだけのお金があれば、できることは沢山あるだろうに」
「それはそれとして。もし今、不測の事態が起きたら、さらにまずい事になる」
「戦争、とかですか? 最近の社会情勢を見ていると、有り得ない話ではないと思えますけど」
「そうなれば政府はいよいよ追い詰められて、老人や障害者などを切り捨てる政策を、現実味のあるプランとして検討するかもしれない。非生産的な者にかかる予算を削減して税金をより効率的に運用する、という理屈だね」
「恐い事言わないで下さい。そんなやり方はあまりにも短絡的過ぎるし、平和で幸せな市民生活とは
「その通りだ。いつ自分が処分対象になるか分からない、という不安を抱えて生きる毎日を、穏やかな気持ちですごせるわけがない」
「もし、自分が処分される対象になったら、どのような思いを抱くのか。ほんの少し想像力を働かせれば、いかにバカげた方策なのかが分かると思うんですけど」
だが、老人や障害者などは排除すべきだ、と本気で考えている若者が少なからずいるらしい。波月は何かの記事でそれを知った時、得体の知れない不気味さに身が震えるのを感じた。
そんな若者の中から、それなりの行動力や資金を保有する者が現れたら。
彼らの言うところの「不要な非生産者」の排除を組織的に実行する団体が生まれてもおかしくはない。飛び抜けた戦闘力を持つ者を集めて実行部隊を編成し、イデオロギーを掲げながら強引に対象者を処分するのだ。まるで、雑草を刈り取るかのように。
自分に子供ができたなら、と波月は想像してみた。狂信的で野蛮な思想に染まる事なく、支えを必要とする人たちに対して温かく手を差し伸べられる優しい人物に育って欲しい。まだ見ぬ我が子に、波月は願いを込めた。
その時、唐突に光が失われた。
ケータイのバッテリーが尽きたのだ。大崎のものに代わって波月のケータイを点灯させたが、それも永遠に、というわけにはいかなかった。
完全なる闇が二人を呑み込んだ。もう、どこにも光はない。
すすり泣きが聞こえ始めた。それが自分のものだと気づくまでに、しばらくかかった。
「本当はキャンプになんか来たくなかったのに。私、こんな所で死にたくない!」
波月の叫びは洞窟の中をどこまでも遠く響いて闇に溶けていった。
そっと手を握られた。波月は自分が少し落ち着いたのを感じた。なんだ、男らしい所もあるんだ。波月は大崎の事を少しだけ見直した。
手を繋いだまま手探り足探りをして、二人は進んだ。
数センチ先は断崖絶壁かもしれない。凶暴な生物が待ち構えている可能性だってある。毒ガスが吹き出したらどうなるのだろう。濁流に呑まれたら。溶岩が……。そんな不安を互いの手のひらの温もりで堪えた。
ふいに波月が立ち止まった。大崎も止まった。波月の髪飾りの鈴が、ちりーん、と鳴った。
「どうしたの? 冲走さん」
大崎が問うた。
「やっぱりそうだ」波月は何も見えない前方を見つめた。「残響が変化してる」
「どういう事?」
「私は音大で歌を勉強しました。部屋の状態によって響きが変わるという事を知っています。反射音が、床、壁、天井までの距離や材質に影響を受けるからです」
波月はもう一度、髪飾りの鈴を鳴らした。
「僕にはよく分からないけど」
「さっきから正面の反射音が次第に早く強くなっている」
「つまり?」
「この先に、何かある」
僅かな希望とも不安ともつかないものを胸に、二人は慎重に歩を進めた。
やがて、前に伸ばした指先が硬いものに触れた。
「行き止まり、かな」大崎の声は失望に近かった。「何か光があれば確かめられるんだけど」
「ありませんよ、そんなもの」
波月は前方の壁に手のひらを当てた。
「痛っ」
ちくり、とした痛みを感じた。血が出ているかもしれない。
「何? 大丈夫?」
「この壁、なんかおかしいです」
衣擦れの音が聞こえた。となりで大崎が動いているのだろう。
「痛っ」
だから言ったのに。大崎は波月と同じ事をしたようだ。
その時、ピーン、と弦を弾くような高い音が聞こえた。そして天井全体が、すーっと明るくなり始めた。洞窟の中が照らされていく。暗闇に慣れた目には明る過ぎて瞼を開いていられない。
波月は少しずつ光りに慣らしながら、ゆっくりと目を開いた。
洞窟の中はほとんど平面だったが、表面はゴツゴツザラザラとした岩肌だった。それなのに、今二人が立っている部屋は、そう、部屋としか言いようのないこの空間は、見紛う事のない人工物で囲まれていた。
すべての面はつるつるに平らで、どこまでも透き通っている。それなのに、困惑している波月と大崎が鏡のようにくっきりと映し出されていた。広さはおよそ三メートル四方ほどだ。振り返ると、たった今、歩いてきたはずの通路が存在しなかった。
「冲走さん」
「はい」
「僕ら、やっちまったかもしれない」
「何をですか」
「これ、地球の文明だと思う?」
波月は眉を寄せて大崎の方を見た。
『イーア・ザイト・アオゼアヴェールト』
唐突に女性の声が聞こえて、二人はビクリ、と肩を震わせた。声自体は穏やかで優しいものだったけれど。
「あなたたちは選ばれた」
波月が呟くと、大崎は目を見開いた。
「宇宙人の言葉が分かるのか?」
「いいえ。でも、音大でクラシック音楽の本場である欧州の言語をいくつか習った中に、似たものがありました」
ぽたり。
波月の手の甲を水滴らしきものが打った。天井を見上げた。すると、水道管が破裂したかのような激しい音と共に何かが滝のように降り注いできた。あっという間に、透明で生温かい液体で全身がずぶ濡れになった。
「何? なんなの?」
液体は地面には落ちずに、ゆらりゆらりと波打ちながら波月の体を包み込んでいる。
「やめ、やめて! 入って来ないで、私の中に、入って来ないで!」
すべての穴という穴から何者かが侵入してくる感覚に、波月は身をすくめた。
突然、見た事もない景色がアルバムを捲るように次々に脳裏に浮かび、パノラマとなってぐるぐると駆け巡ぐった。大勢の人間が周囲で話している。知らない言葉なのに、なぜか意味が分かった。空気の匂いが慣れ親しんだものとは微妙に違う。気温が高くて汗が滲むのを感じた。
続いて、わけの分からないデータが怒濤のように流れ込んできた。デジタルではないが、アナログとも違う。
波月は目を上転させて白目を剥きながら、ビクン、ビクン、と身を震わせた。どうする事もできなかった。でも、不快ではない。むしろ恍惚とした悦楽に包まれて、雲の上を漂うような心地よさがあった。ふいに、音ではない声が頭の中に聞こえてきた。
なぜこんなにも悲しいのだろう
すべてを失った絶望に涙が止まらない
けれども希望に溢れてもいるというのに
ああ、行く 行ってしまう 新天地を目指して
私の 私たちの明日 私たちの未来を乗せた
子らよ あなたたちに託します
ネフェラティの運命を 未来を
その時、波月には、はっきりと見えていた。感じていた。優しく降り注ぐ暖かな光、頬を撫でる爽やかな風、そして、徐々に遠ざかっていく広大な大地。
それは私が生まれ育ったふるさと。私たちが暮らし、笑い合った、愛おしい世界。
やがて波月の意識は遠くなり、闇に落ちた。
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