第2話

翌日の放課後、颯太は再び路地裏を訪れていた。コンビニで買ったエナジードリンクをがぶりと飲み干し、スマホの写真と現実を見比べる。確かに同じ場所だ。だが昨日のような薄気味悪さはなく、普通の廃墟にしか見えない。


「あのカフェは幻だったのか……」


ため息をついて振り向いた瞬間、三毛猫の鳴き声が耳に触れた。昨日と同じ猫がゴミ箱の上で毛づくろいをしている。首輪の砂時計が逆回転しているのに気付いたときは遅かった。


猫の瞳が翡翠色に光ると、周囲の空気が蜂蜜のように粘りはじめる。颯太の足が地面に吸い付き、呼吸が苦しくなる。砂時計の砂が宙に浮かび、昨日の女性の声が脳裏に直接響いた。


『好奇心は猫を殺すわよ、少年』


バッグの中から氷砂糖が勝手に飛び出し、虹色の炎をあげて蒸発した。その香りは焦げたカラメルのようで、颯太のまぶたが痙攣する。視界が戻ると、路地裏の風景が一変していた。


蔦に覆われた珈琲店の看板がくっきりと浮かび上がり、ドアの鳩時計が不気味な笑い声をあげている。躊躇いながらドアノブに触れると、中から怒鳴り声が聞こえてきた。


「てめぇらマジで止めねぇとぶっ殺すぞ!」


見覚えのある鎧騎士がカウンターを蹴り上げ、大剣を振り回している。着物の女性は煙管で刀を操り、火花を散らしながら応戦中だ。銀髪の女性が本棚の上から叫ぶ。


「新入り! 壁の第三棚『1984年』の赤い本を投げて!」


とっさに手を伸ばした颯太の指が触れた瞬間、分厚い本が蝙蝠に変身した。赤い革表紙が羽ばたき、騎士のヘルメットに糞を落とす。


「ギャアア! 汚ねえ真似しやがって!」


騎士が転んだ隙に、銀髪の女性が砂時計を床に叩きつけた。ガラスの割れる音と共に時計の砂が竜巻となり、騎士を飲み込んでいく。


「あんたも手伝いなさい!」女性に腕を掴まれ、颯太は渦の中へ引きずり込まれた。砂粒が歯に当たり、鉄の味が広がる。視界が真っ白になる直前、女性の囁きが聞こえた。


『覚えておきなさい。時間はねじれたレコードのように繰り返すの』





──砂嵐が収まった時、颯太が立っていたのは見知らぬ街角だった。レンガ造りの建物にヴィンテージ看板、馬車が通り過ぎる。自分が半透明で地面に影がないことに気づいて冷や汗が背中を伝う。


「これは1888年のロンドンだわ」


突然現れた銀髪の女性が、淑女帽のヴェールを翻しながら歩み寄る。彼女の姿は周囲から完全に実体として認識されているようだ。「時計泥棒が歴史の歯車を狂わせたの。あんたの『時間感受性』が修理に必要だから連れてきた」


女性=クロノアと名乗る彼女に引っ張られ、霧深い小路を進む。突如、鋭い金切り声が響く。路地裏でシルクハットの男が奇妙な機械を操作している。黄ばんだ新聞が宙に舞い、見出しが次々と書き換わっていく。


「ストップ! またタイムパラサイトか!」クロノアがエプロンから銀のハサミを取り出すと、男は不気味に笑いながら外套を広げた。内側に無数の懐中時計がびっしり縫い込まれている。


「お前らの『正規時間』なんてクソ食らえ! 俺は全てのifを現実にする!」


男が時計の針を乱暴に回すと、周囲の建物がミイラ化したり植物に覆われたりし始める。颯太の頭が割れるように痛み、掌に氷砂糖の痕がうっすら浮かび上がる。


「新入り! あんたの時間歪曲能力、今だけ解放するわ!」クロノアが叫びながらハサミを振るうと、颯太の視界が突然360度広がった。道路のひび割れから過去の映像が噴き出し、ガス燈の炎が未来の予兆を映し出す。


本能的に手を伸ばすと、1888年のレンガが2023年の自転車部品と融合し、タイムパラサイトの機械に直撃した。男が消滅する瞬間、クロノアの笑い声が耳元に残る。


「当たりじゃない! あんた、私の探してた『時計仕掛けの特異点』ね」


再び砂時計の渦に飲まれながら、颯太は奇妙な確信を得ていた。この出会いが偶然でないこと、そして卒業アルバムの写真に写るはずのない自分が、いつの日か歴史の教科書に載るような人物になることを──

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