第3話
現代の路地裏に戻った颯太の眼前で、クロノアが紅茶用の銀瓶を逆さに振っていた。琥珀色の液体が重力に逆らい螺旋を描き、空中で砂時計へと変形する。
「ほら、報酬よ」
差し出された砂時計の中では、先ほど戦った1888年の風景がミニチュアのように再現されていた。馬車の轍音や霧笛まで鮮明に聞こえてくるのに、手のひらに収まる大きさだ。
「これって……タイムマシン?」
「お土産用のスナップショットよ」クロノアが煙管で砂時計を軽く叩くと、中から三毛猫が飛び出して颯太の肩に乗った。「歴史修正の証拠品を預かるのが『珈琲 時計台』の本業なの」
カウンター裏の隠し扉を開けると、そこは宇宙図書館のような空間が広がっていた。無数の砂時計が星座のように配置され、各々が異なる時代の光景を映している。チョーク肌の青年が梯子に乗り、ヴィクトリア朝の時計に墨を塗り込んでいた。
「あの騎士は?」颯太が尋ねると、着物の女性が苦笑いしながら煙管をふかした。
「あれは16世紀の傭兵よ。三十年戦争で死んだはずの男が、時空の歪みで覚醒しちまってね」彼女の刀の鍔には小さな日時計が埋め込まれている。「私は暁(あかつき)。この店の『時刻管理者』兼毒見役よ」
突然、天井のシャンデリアが狂ったように回転し始めた。本棚の本が一斉に羽ばたき、砂時計たちが警告音を発する。クロノアの単眼鏡が真紅に輝いた。
「また特異点発生よ! 今回は──」彼女が空中に描いた文字列を見て目を見張る。「1999年の渋谷センター街!?」
暁が颯太の制服の襟をつかむ。「お前、タイムリープの適性あるだろ? クロノアをバックアップしろ」投げ出された懐中時計を無意識にキャッチした瞬間、1999年の街中の匂いが鼻腔を襲った。
クロノアの腕に抱かれながらタイムトンネルを落下する颯太。耳元で囁く声が痒い。「今回の敵は『千年虫』よ。デジタルとアナログの狭間で暴れてる時空ウィルスね」
着地した先はピクセル画のような粗い世界。ガラケーを持った若者たちの影がカクつきながら歩き、ビルの壁面が突然8bitのドット絵に変化する。路地裏から這い出てきたのは、無数のフロッピーディスクを鱗にした大蛇だった。
「新入り! あんたのスマホ!」クロノアの指示で取り出した端末が突然変形し、光の鞭へと変化する。1999年の街を駆け抜けながら、颯太は思った──このバイト代、いったいいくらもらえるんだろうって。
光の鞭がフロッピーディスクの鱗に触れるたび、1980年代の電子音が爆発する。颯太のスマホから謎の女性音声が流れだした。「警告。タイムパラドックス発生率82%」
「そのアナウンス消す方法教えてよ!」颯太がビルの壁に背中を預けながら叫ぶと、クロノアが空中で華麗に回転しつつ答えた。「1999年のウィンドウズMEで再起動かければ?」
大蛇の頭部から突然レトロなブラウン管モニターが出現し、青い画面に白文字が浮かび上がる。「エラーコード0x00A4B3F 時間軸書式が不正です」
「今だ!」クロノアの合図で颯太が鞭を投げつける。光の先端がモニターに突き刺さり、渋谷全体が巨大なデフラグ画面のように光の奔流に包まれた。カラオケボックスの看板がパズルピースのように組み変わり、歩行者たちの影が1999年から2023年の服装へと変化していく。
崩れ落ちる大蛇の残骸から、石英時計の心臓部のようなクリスタルが転がり出た。クロノアがそれを拾い上げると、周囲の景色が老写真の退色のように元に戻っていく。
「これが千年虫の核よ」彼女の手のひらでクリスタルが溶け、砂時計の砂になる。「デジタルとアナログの境界って案外脆いでしょ?」
突然、颯太のポケットが震えた。取り出したスマホの画面に、見知らぬアプリが追加されていた。アイコンは砂時計のマークで、名称欄に「ChronoCafé Ver.0.99」と表示されている。
「あんたの適性レベルが上がったみたいね」クロノアが覗き込んできた吐息が薄荷の香り。「次は古代ローマか近未来かしら? それとも──」
暁の声が時空を超えて響いた。「新人! すぐ戻って掃除手伝え! 16世紀の傭兵がワイン樽で暴れてるぞ!」
クロノアが舌打ちしながら銀のスプーンを振るう。「楽しい時間はいつも短いわね」。その瞬間、颯太は自室のベッドで飛び起きていた。枕元の砂時計が逆さまになっており、窓の外にはいつもの朝日が昇っている。
登校中、ふとコンビニのテレビニュースが目に入った。「昨夜未明、渋谷の老舗家電店で大量のフロッピーディスクが発見される奇現象が──」
鞄の中から微かに電子音が鳴る。スマホの謎アプリが、新たなミッションを示すピンマークを渋谷駅周辺に点滅させていた。颯太が苦笑いしながら自転車をこぎだすと、肩に三毛猫の体温のような重みを感じた。
クロノカフェの特異点はハチミツ色 _2974 @stick1128
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