二日遅れのレインバレンタイン。

こよい はるか @PLEC所属

二日遅れだったけど。

「……はぁ」


 朝、周りの女子たちがこぞってチョコを渡し合っている、この日。

 聞けばすぐに分かるはず。


 ——そう、今日はバレンタイン。


 私の紙袋の中には、友達から貰った沢山のチョコ。

 そして、ひときわ大きな袋。

 これが、私が好きな人に渡すチョコ。


 私は、三井みついこころ。中学一年生。

 私が通っている子の学年は極めて生徒数が多くて、クラスは十を超える。


 そんな中で初めて同じクラスで隣の席になったのが……。


「志、おはよ」

「あっ……おはよっ」


 今挨拶してくれたこのクールな男子、松村まつむら雨斗あまと

 私の——好きな人。


 雨斗はいかにも告白とかに興味が無さそう。でもイケメンだし何でもできるしで、男子からも女子からもモテている。


 対して私は、好奇心と明るさだけが取り柄の女子。全くモテているわけでもないし、そもそもそんな域まで達していない。


 だから、告白してもオッケーされる確率なんて無いも同然だ。


 でもこの中学校は毎年クラス替えがあるしクラスも多いから、来年話せる状態で居られるか分からない。

 だから、告白することに決めたんだけど……。


 恥ずかしくて、メッセージアプリで待ち合わせをしてしまった。


 私の部活終わりの十七時、校舎裏に来れますかって……言ってしまった。以来ずっと胸のドキドキが収まらない。


 拒絶されたらどうしよう。私、立ち直れないかもしれない。フラれても今まで通り話せるかな。


 っていうか、チョコと告白どっちが先? もし受け取ってくれなかったら、どう逃げればいいかな……。


 そんな弱気な考えばかりがこのところずっとグルグルしている。考えていてもしょうがないのに。

 まだ心の準備が整ってないのに、当日が来てしまった。あと九時間。


 親友に渡す一回り小さな袋を握り締める。


「ねーねー志、今日告るんだって? 聞いたよ!」


 今自分がもっている袋を渡そうとした親友が話しかけてきた。

 そう。私は何も言って居ないのに、どうも顔に出ているらしい。


 私を見ていれば何を想っているのか分かるらしい。

 一番最初にクラスメートに、告るか聞かれた時の反応で理解させてしまったら最後。すぐにクラスの情報網によって広められてしまった。


「そのつもりではいる……」


 そう言うともうあり得ないほど飛び上がって、


「きゃーっ! 告る! マジか!」


 座っている私を無理矢理立ち上がらせてぶんぶんと振る親友。……ちょっとやめて欲しい。

 せっかくいつもと変えてハーフアップにした髪が崩れるじゃないか。


「おい、志が困ってるだろ?」

「あー……ごめんごめん」


 されるがままになっていた私は、雨斗のそんな一言ですぐに解放されてしまった。やっぱりイケメンの権力って偉大だ。


 いや、でも私は顔に惹かれたんじゃなくて、こういう風にクールなのに意外に気にかけてくれるところとか、ふとした瞬間に可愛いところとか、そういうところを好きになったんだけどね。


「ほんと、めっちゃ振り回されるよな。ちょっとぐらい嫌なこと、口に出した方がいいんじゃね?」


 ぼふっと私の頭の上に手のひらを乗せてすぐに去っていく雨斗。


 ……かっこよすぎだよ。


「……頑張ってね~」


 少し気まずそうな顔をしながら去っていく親友。あの子はいい子なのか悪い子なのか、未だに分からない。

 ただ、一緒に居て楽しいのが事実ってだけ。


 でも……申し訳ないけど、雨斗と居たらもっと楽しい。

 何をしても飽きないし、彼は聞き上手。私の口下手な話だってしっかり聞いてくれる。


 そんな優しいところも、たまに意地悪なところも、全部が好きになってしまった。


 授業中も隣に座る雨斗をこっそり眺めながら、来てほしいのか来て欲しくないのか分からない放課後が来てしまった。


 望んでも望まなくても、いつも一定の感覚で進んでいく時間。バレンタインの告白は……その一瞬に尽きるはず。


 そう思って気を紛らわせているけれど、部活中も上の空になってしまう。


「こら! ちゃんとボール見る!」

「はい!」


 いつもはそんなに怒らない優しい先生も怒るし、いつも怒る厳しい先生はかんかんだし、もうどうしていいか分からない。

 どうせなら部活自体サボった方が良かったのかも。


 そんなことを考えながら部活が終わると、先生に呼び出されてしまった。……もう、十七時になるのに。


「……志、急にどうしたの。いつもの志じゃない。身体が動きづらいとかあるの?」

「いえ、そういうわけでは……」

「じゃあ何か悩み?」

「いや……」

「はっきりしなさい」


 先生……怖い。

『バレンタインで告白するから』だなんて浮かれたことは言えなくて、視線を逸らす。


 それから三十分ほど押し問答を食らい、すぐに体育館を出た。校舎裏へ急ぐ。

 さすがにもういないよね……。


 ほんの少しの期待をしながら行ったけど。


 ……やっぱり。

 そこに雨斗の姿は無かった。


 ——今日だけ、だったのに。バレンタインは今日しかないのに。


 でもしょうがないか。私の力だけではどうにもできないこと。私が試合中に上の空だったせいだ。

 分かってるのに、涙が出てきた。


 なんでかなぁ。忙しい雨斗をわざわざ部活終わるまで待たせて、挙句の果てに自分が泣くだなんて。

 でもさ。考えてみてよ。


 前からずっと想っていた人に、バレンタイン当日にチョコを渡せなかったんだよ?

 悲しいよ。やっぱり。


 ——全部自分のせい、なんだけど。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 夢を見た。


 雨斗が必死の表情で、何度も転びそうになりながら、横殴りの雨の中を走っている夢。


 凄く必死だなぁ。すごいなぁ。

 それに比べて私はどうかな。


 私は、一回くらいすれ違っただけで諦めるような人だっけ。


 親友と喧嘩したとき、すぐ諦めたっけ。

 諦めるどころか、いくらでも話しかけに行った。


 ……なら。


 今回だって、一回で諦めたくない。嫌だ。

 たった一回すれ違ったって、もう一回繋ぎ止める。それが私なんじゃないの?


 決めた。私は……何度でもやる。

 雨斗の連絡先を、震えの止まった指でタップした。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 今日も難しいかなぁ。土曜日だし、お互い部活あるし。

 一応被らない時間を選んだけれど、雨斗の方も忙しいだろうし、嫌な予感がする。


 嫌だなぁ……今日こそ会えなかったら本当に立ち直れなくなりそう。


 でもあんなに必死な雨斗を見てしまったら、私も必死にならなきゃって、そう思う。

 一度間違ったくらいで挫けたら、夢で見たあの雨斗はどうなってしまうのだろう。いつもああやって必死に何かに取り組んだり、そういうことってほぼしなかったから。


 でもやけにリアルだったなぁ。少し雨斗も大人っぽかったし、この先ああいう時が来るのかな?


 だとしたらもっとやばいじゃん。本当に雨斗があんな風に必死になるかもしれないんだから。私が必死にならなかったら私のキャラはどうなっちゃうの?


 紙袋を握り締める。時間はもう過ぎている。雨斗、どうしたんだろう。


 ピロンッという音を立てて、一つの通知が来た。飛びついてスマホを開く。


 ——『仕事が全然終わらないから、今日は会えなそう。本当にごめん。できるだけ早い方がいいんだったら明日暇だから明日会う?』


 本当に雨斗は優しいなぁ。最初に会えなかったのは私だったのに、自分が謝るなんて。


『全然大丈夫! じゃあ明日、雨斗の家に行っていい?』


 本当は悲しかったけれど、もう諦めないから。何があったとしたって、絶対にこのチョコは渡すって決めた。


 すれ違いなんていっぱいあるけどさ、それで諦めたら終わりじゃん。

 友達とすれ違ったとしたっていっぱい話しかけに行ったら、また仲良くできるかもしれない。


 だから今回もそれと同じ。もうやめなって言われるくらいまで頑張るんだ。


 どこか軽い足取りで家に帰った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 次の日。いつもはできないおしゃれをした。


 左右の三つ編みをハーフアップにして、茶色のミニスカートに、白のブラウス。いつもズボンを履いているから少し違和感がある。


 そろそろ、十一時。家を出ないといけない。


「志~。電話! 松村くん、倒れて病院だって……」


 お母さんのその声に、ブーツを履こうとした手が止まった。


「びょう、いん?」


 すぐにブーツを脱ぎ捨て、お母さんの持っている受話器に飛びつく。


「どこですか⁉」

「あ……松井記念病院ですが」

「分かりました、ありがとうございます!」


 電話の向こうの看護師さんが戸惑っていたのも気にする時間はない。下駄箱からスニーカーを取り出し、すぐに履く。


「志、病院行くの?」

「うんっ」


 玄関に置いていた紙袋を引っ掴んで、光速でドアを開けた。むっとした湿気の多い空気が身体に纏わりついた。

 強い雨が降っていて最初は傘をさしていたけれど、そのせいで減速してしまっている気がして傘を閉じた。


 そこからは、もうあり得ないほど速く走って病院に向かった。どんどん服が濡れていくけど、気にできない。


 もし重大な病気だったらどうしよう。死んじゃうなんてないよね……?

 雨斗がすぐそこに居ることが当たり前だと思っていたから、こんなの信じられない。


 お願い……無事でいて。


 病院に着いたら受付の人に名前を伝えて、面会許可証を貰う。聞いた病室の番号を目指してエレベーターに乗り込む。


 倒れたって、何があったんだろう。部活が忙しかったのかな……昨日会えないほどの仕事って何だったんだろう。


 行き交う人を避けながらやっと辿り着いた病室。

 ドアを開け放った。


「雨斗っ!!」

「……志?」


 眠っていたらしい。起こさない方が良かったかな。


「そんなびしょびしょで、どうしたんだよ……」


 どうしたんだよ、なんて言わないでよ。ただ一人、雨斗の為に来たんだから。


「外、雨降ってて……」

「傘は?」

「面倒臭くて」

「……」


 呆れられちゃったのかな。こんなに濡れて、何してるんだって思われたかな。


「雨斗、どうしたの?」

「疲労蓄積と睡眠不足だって。昨日、部活中に倒れちゃってさ。もう大丈夫だから」

「大丈夫ではなさそうじゃん……」


 この時間まで眠っているって、相当体調が悪いんだろう。強がらなくていいのに。


「昨日、会えなくてごめんな。何するつもりだったんだ?」


 あ、そうだ。チョコを渡すために、告白するために、私は雨斗を呼び出したんだ。

 手に持っていた紙袋の持ち手の感触が妙に気持ち悪い。


「……あの、これ」


 髪の先から水滴が滴り落ちた。ここ、結構寒い。渡してすぐにくしゃみをしてしまう。前から望んでいた瞬間だったのに、こんな時になんで。


「おい、大丈夫か? あったかくしな」


 ベッドの隣に置かれていた雨斗のコートが、私の肩にかけられてしまう。

 ——雨斗の匂いがする。あったかい。


「これ、チョコ?」


 袋の中身を見て、雨斗が目を見開く。

 やっぱり、私がチョコ作りなんて背伸びしすぎだったかな……。


「うん……えっと、こんなことをこんな時に言うのもアレなんだけど」


 もじもじと人差し指をいじってしまう。本当に今、言っていいの?

 でも、今言わなかったらいつ言うのだろう。来年違うクラスになる可能性の方が高いのに、告白しない理由なんて。


「……前からずっと、雨斗が好きでした。付き合ってくださいっ」


 緑色の椅子から立ち上がって、ぺこりと頭を下げる。

 流れる沈黙。しばらく経ってからちらっと雨斗を見ると、さっきより数倍目を見開いて、今の状況が理解できていない様子。


「えっと、あ、お大事にしてね! ちゃんと寝て、すぐ退院できるようにねっ。返事はまた今度でいいから!」


 焦りすぎてバッグを持ってくることさえも忘れてしまった。ポケットにスマホを入れて、かけてもらっていたコートを畳んで、すぐに病室を出ようとした。

 でも。


「志っ」


 やっと動けた、というような感じの雨斗が、その声と共に私の手首を掴んでいた。


「……雨斗?」


 うっすらと瞳に涙が滲んでいる。なんで。期待しちゃうじゃん、やめてよ。


「俺も、志のことが好き。俺で良ければ、付き合いたいです」


 真っ赤な顔の雨斗。まさかそんなことを言われると思っていなくて、私も凍り付いてしまう。


「……本当に?」

「本当に」


 信じられない。私の好きな人が、私のことを好きでいてくれているなんて。こんな奇跡、あっていいのだろうか。


 何度でも追いかけて良かった。一度すれ違っても、何度もチャレンジして良かった。じゃなかったら、私たちは結ばれていなかった。


「……よろしくお願いします」


 椅子に戻って、改めて頭を下げる。


「こちらこそ」


 雨斗もベッドの上でぺこりとお辞儀。

 その絵面が面白くて、同時に噴き出してしまった。


「ははっ、こんなことってあるんだな」

「私も、小説だけだと思ってた!」


 本当だね。


 こんな、想いが通じ合うなんて奇跡、ほぼないんだよ。


 絶対に大切にしたい。手放したくない、この幸せ。


 外で未だに降っている雨が、窓を叩く。

 お互いの瞳にうっすらと滲んでいく涙。


「……そんな見られたら、照れるだろ」


 片腕で顔を隠す雨斗。いつの間にか、彼のことをまじまじと見つめてしまっていたらしい。


「あっ、ごめん!」


 すぐに私も視線を逸らす。


 ——しばらく経って彼を見ると、また目が合った。

 その濃くて青い瞳に吸い込まれるように、私たちの顔は近づいていく。




 ファーストキスは、甘いチョコレートの味がした気がした。

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