第26話 セビエスキ公爵
間もなくセビエスキ公爵が現れた。マスクをしていない。
「ブラッドレー卿、突然押しかけて申し訳ありません。」
「いや、構わんが、移らないように気を付けてくれ。マスクを渡したはずだが。」
「それは構いません。いっそのこと移ってしまえばよいかもしれません。」
「何を言うか。」
「すみません、冗談ではありません。実は私は卿にはお会いしたことがないのですが、公爵家の末席につながる者です。この度、ブラッドレー卿が重い病で公爵家を手放すということで、代わりに私が領地を継ぐように言われました。」
「おお、そうか。すまないがよろしく頼む。」
「それが・・・その・・・私は今まで公爵というのは名ばかりで、領地もなく、アカデミーで教職を賜っておりました。家族はとうに亡くなり、独り身で教職が天職と思っておりました。そこにいきなり領地持ちの公爵家になれと言われ、大いに戸惑っております。そこで・・・あの・・・ブラッドレー卿、ご体調の悪い時にまことに申し訳ありませんが、私以外の方をご指名いただけないかと、無理を承知でお願いに上がりました。」
「なるほど、そういうことなのか。・・・しかしな、領地は長年家令がとりしきっているから、特に何もすることもない。申し訳ないが、引き継いではもらえないだろうか。アカデミーも辞める必要はない。王都にもいられる。」
「・・・・・・おそらくそれは良いお話だと思うのですが・・・・・・実は・・・・・・これはここだけの話にしていただきたいのですが・・・・・・私は近い将来爵位を返上するつもりでおります。ですから」
「おっと、それは聞いてはいけないことかもしれん。」
「いえ、もう話し始めてしまいましたので、続けさせていたきたく、お願いします。」
ブラッドレー卿は頷いた。
「私の専門は国際政治学です。いろいろと学び、外遊もさせていただきました。そうしているうちに、我が国の王制は、もう古い、もっと民が幸せに暮らせる制度があることに気づいたのです。すでに教え子で共感する者たちが集まり、勉強会なども開いております。」
そこまで言うと、セビエスキ公爵はブラッドレー卿の顔を見た。
しばらく沈黙が続いた。
そしてブラッドレー卿が口を開いた。
「では、なおのこと、領地を継いでもらえないか。」
卿の言葉を聞いて、セビエスキ公爵はあからさまに失望の表情で肩を落とした。
「領地はなかなか肥沃な土地で、農業だけでなく、それなりにいろいろと産業がある。港もあるぞ。儂が言うのもなんだか、家令がしっかりしていて、税もおそらく我が国では一番低い。どうだろう、まずは領地から改革していき、やがて国全体に及ぶようにしてみては?」
卿の言葉を聞くと、はっとしたようにセビエスキ公爵は卿を見た。
ブラッドレー卿は強い声でラルフとブライアンを呼んだ。
隣室からすぐに来たラルフとブライアンを見て、セビエスキ公爵は驚いて目を瞠った。
「失礼致します。嫡男のラルフ・ブラッドレーです。」
「初めてお目にかかります。筆頭魔導士のブライアン・デイビスです。」
「こ、これはどういう・・・たしかご嫡男も重病で・・・」
「セビエスキ公爵、ご心配には及びません。この邸は結界を張り、さらに幻惑魔法も使っておりますので、我々の会話がもれることはありません。」
「重病というのは・・・」
「ああ、仮病じゃよ。」
ブラッドレー卿はさらりとそう言って笑った。
「え・・・あの・・・それはまた・・・どういう」
「うむ・・・実はな、儂は爵位を返上して自由に生きようと思ったのだ。だが、謀反を企てていると疑われても困るしな、円満に返上するには病気になるのが一番と思ってこのようにしているのだ。」
「それはまた・・・」
「私が跡を継いでは、私が平民になれないので、父と共に病気になりました。」
ラルフはそう言って、少し悪い顔で笑った。
「少し落ち着いたら我々はふたりとも病の後遺症で一生車椅子の生活となる。ブライアンは筆頭魔導士だが平民なので、そのうち辞職することにしている。」
ブライアンは微笑んで会釈する。
「・・・それで、一体何をなさるおつもりですか。」
「うむ・・・この国は魔法が使えるものが大きな顔をしていて、民は不便な生活をしている。そこでだ、民が使える魔道具を開発して生活を豊かにしようと思っておるのだ。いつまでも魔法に頼って甘い汁を吸っているというのはいかんだろう。王族貴族などがいるからいかんのだ。だがいきなり王族貴族を廃したら、平民だけでどうする?おそらく世の中は大混乱し、それに乗じて他の国が攻め入って我が国の民は新たな苦労を強いられるようになるであろう。それで、まずは民の暮らしを便利にし、民が生きていく力をつけるところから始めようと思っておるのだ。王族貴族を廃止しても良し、形だけ残しても良し、用は民が今よりも幸せになるようにしたい。」
セビエスキ卿は輝いた笑顔で、目に涙を浮かべてブラッドレー卿の手を取った。
「なんと・・・思わぬところで強力な同志に出会えるとは。」
その先は言葉に詰まって、ただ感動の表情で黙っている。
「セビエスキ公爵、そういうことなので、どうか心配せずに領地を継いでもらいたい。儂もこういう方に領地を継いでもらえるなら安心だ。よろしく頼む。」
「はい・・・ありがとうございます。そのようにさせていただきます。」
「引継ぎにあたっては、領地で家令とブライアンに託してある。すまないが、そちらで頼む。まあ、心配せずとも、ここに来てくれればブライアンが転移魔法で連れていくので楽なものだ。一度領地も見てくれ。良いところだぞ。」
「はい、そう致します。」
「それから、きょう見たことは悪いが口外無用で頼む。例え同志でも、だ。まだ爵位の返上が終わっておらんのでな、計画半ばで失敗するのは避けたい。すまないが、口外できぬよう魔法を使わせてもらうぞ。」
「お願いします。口外できぬようにしていただければ、そのほうが私も気が楽です。」
セビエスキ公爵は来た時とは違って嬉しさを押し殺したような体で帰って行った。
セビエスキ公爵が帰ってから、ラルフがキャサリンに
「キャサリン、ずいぶん前になるけど、王がなんでも決めて、貴族は逆らえない、みたいな話をしてたとき、なんとかって言葉を使ってたよね?あれって前世の言葉だったのか?」
と訊いた。
キャサリンはちょっと考えて、
「ああ、独裁者?民主主義でしたかしら?」
と答えた。
「そうだ、それだ。それってどういう意味の言葉なんだ?」
「はい。あれは前世の言葉です。独裁者というのは、この国で言うと王様になりますけど、王様の命令は誰もが逆らえない、逆らったら処罰される、一人がすべての権力を握っている、というような意味の人のことです。それから民主主義は、民というのはみんな、平民も貴族もすべてその国の民であって、国民と言うんですけど、その国のことは国民が相談して決めていく、というものです。実際には選挙というもので話し合いの代表者を選んで、その人たちが国民の意見を取り入れて相談して決めていくというものです。税金をいくらにするとか、物を盗んだら牢屋に入れるとか、そういうこともすべて国民が決めます。そもそもの基本は、人間は皆平等であるという考え方で、王族だから平民より偉いとか、平民は下等だとか、そういうことはなく、王とゴミ拾いを仕事にしている人と、人として同じだけの重みがあって、誰が優位だとかそういうことはないのだという考え方です。私の前世はそうでした。」
ブライアンが
「それはとても良い考え方だな。まあ、それが良いというより、それが本来あるべき姿なのだと思うが。」
と言うと、アレックスも
「そうだねえ。そういう国だったらいいのになあ。」
と、ラルフを見た。
ラルフが
「本当に、それこそが本来あるべき姿だと思うなあ。たぶんセビエスキ公爵はそういうことを研究していて、そういう世の中に改革したいと思っているのではないかな。とても良いことだと思うが、もしそれがで王家に目をつけられたら大変だぞ。」
心配そうな顔をしている。
ブラッドレー卿が
「儂もそう思った。彼はまだ若そうだからなあ。つい血気にはやって思い切ったことをしてしまってはと心配だ。」
ウッドフェルド卿も、
「きょうも初めのうちかなり思いつめたような感じでしたからな。まあ、ブライアン君に魔法をかけてもらったので、彼から儂らの企みが露見することはないとしても、せっかくの良い人材を失いたくないですなあ。」
「まあ、お父様、企みだなんて。」
キャサリンがそう言うと、ブラッドレー卿も
「お前さんは言葉をもう少し選べ。」
そう言って笑っている。
「まあ、引継ぎで何度か会うだろうから、よく気を付けてやってくれ。」
ブラッドレー卿がブライアンに言った。
「念のため、きょうの話の内容は思い出せないようにしてあります。ただ、なんとなく良い印象だけは残るようになっているので、領地の継承は問題ないと思います。まあ、仮病だとかは知られると厄介ですので、忘れてもらっておいたほうが良いかと。」
「お前、恋愛に関してはびっくりするほどピュアだが、こういうことにかけてはなかなか腹黒いな。大したもんだ。」
ラルフがニヤニヤしながら言うと、ブライアンは
「ほっとけ。」
とだけ言い返していた。
それが面白くて、キャサリンは楽しそうに笑っている。
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