第9話 初デート1
当日はブライアンが馬車で迎えに行った。
お弁当の入ったバスケットを持って、満面の笑みで駆け寄ってくるキャサリンを見て、ブライアンはなんてかわいいんだろうと涙が出そうになった。
「おはようございます。わざわざお迎えにいらしていただいて、ありがとうございます。」
「おはよう。迎えなど当然だ。」
「なんだかデイビス様のようなえらい方のお迎えなど、バチが当たりそうですわ。」
「なっ、なにを言う。俺などちっとも偉くない。」
「嫌だわ、デイビス様って謙虚すぎますわよ。」
「謙虚ではない。事実を言っているのだ。」
「ふふふ、本当にそんなふうにお思いなんですか?」
「そうだ。」
「それじゃ、デイビス様がどんなにえらい方なのか、わかっていただけるように私、がんばりますわね。」
「そうか?」
「はい。」
キャサリンはにっこり笑って頷いた。
馬車のなかで、外の景色を見ながら2人は話をしている。
「デイビス様?」
「ん?」
「私ね、王都から出たことないんです。」
「そうなのか?君は貴族だから、王都の他に領地があるのだろう?そこには行ったことはあるだろう?」
「いいえ。父は領地に行きますけど、私はお留守番です。私が幼い頃から母は病気がちでそして亡くなったので、領地に行くことはできませんでしたの。母が亡くなってからは父が悲しみのあまり旅行なんかする気分じゃなかったようで、どうしても必要な時に父だけ領地に行ってましたけど、私はいつもお留守番でした。ですから、旅行なんてできようがありませんでしたの。ですから今回の湖行きは、日帰り旅行のような気分で、嬉しくて楽しみで、ゆうべはなかなか寝つけませんでした。」
「そうか、それは良かった。気に入ってくれるといいのだが。」
「デイビス様は旅はよくなさるのですか?」
「魔物の討伐などには行くことがあるが、遊びで行ったことはないな。」
「そうですか、それじゃ、お互いにきょうは初めてですね。」
「そうだな。」
キャサリンが楽しそうににこにこ笑っている。
(どうしてこんなに無邪気に笑えるのだろう。なんて可愛らしいんだろう。)
ブライアンは感情を抑えるのに苦労している。
湖畔に着いた。
馬車を停めて、散策に出る。
ブライアンが差し出した手に捕まって、ボートに乗った。
「私、ボートに乗るの、初めてです。」
「そうか、実は俺はボートを漕いだことがない。」
「えっ・・・」
驚いた顔のキャサリンを見て、ブライアンはいたづらっぽく笑った。
「ボートに乗ったことは何度もあるが、いつも魔法で走らせていたんだ。きょうは漕ぎ方を調べてきたので漕いでみようと思う。」
「まあ・・・そうでしたの。私はふたりとも焦げなかったらどうすればいいかしらって、ちょっと慌てました。」
「ははは、脅かしてすまない。」
ブライアンがボートを漕ぎ出した。
「まあ、お上手ですわよ。すいすい進んでます。」
「なるほど。思ったより簡単だな。だが、後ろに進むというのが少々気持ち悪いな。」
「そうですね。私、見てますから大丈夫です・・・と思います。」
「思います、か。」
ブライアンはそう言って笑った。
しばらく漕いで、湖の中程に来た。
「あの、ブライアン様、ちょっと怖いです。私、泳げないんです。」
「大丈夫だ。湖に落とすようなことはしないよ。」
キャサリンの怖そうな顔を見て、ブライアンは漕ぐのをやめて、魔法で動かし始めた。そして手を差し伸べて
「よかったら掴まってくれ。」
キャサリンはブライアンの手に掴まった。大きな手、温かい手。怖いと思っていた気持ちがふっと消えた。
「デイビス様、やっぱりデイビス様ってすごいです。私、ずいぶん怖かったんですけど、デイビス様の手に掴まった途端に、すうっと怖いっていう気持ちがなくなりました。」
「そ、そうか。・・・それはよかった。」
ブライアンは赤くなった顔を隠すためにあたりを見回した。
「気持ちの良い風だな。きょうは天気が良くなってよかった。」
「そうですね。とってもいい気持ち。良いところに連れてきてくださってありがとうございます。」
ボートは魔法で湖をゆっくり1周すると、きれいな滝の見えるところで湖畔に停まった。
「少し歩いてみないか?」
「はい!」
ブライアンが先に降り、差し出した手に掴まってキャサリンが降りた。
「歩けるか?靴は歩きやすい靴か?」
「はい、きょうは歩くこともあるかと思って、ぺったんこの靴です。だからきょうはちょっと背が低いんですけどね。」
キャサリンはにっこり笑った。
「ははは、かわいらしくていいな。疲れたら言ってくれ。魔法の力を借りるからな。」
「はい。」
滝はそう大きくはないのだが、まわりにはきれいな花が咲き、空気がとても清々しい。
キャサリンは深呼吸をした。
「きれいな空気を吸い込むと、心が洗われるような気がします。きれいな花を見ると、目が洗われるような気がします。こういうところに来ると、きれいな気持ちでいないといけないなあって思いますわ。」
「そうだな。毎日あくせく仕事ばかりしている俺には耳が痛いな。」
「まあ、仕事を一生懸命するのは尊いことですわよ。デイビス様は朝から晩まで仕事なさってるって、ラルフ様がおっしゃっていました。えらいですわ。なかなかできることではありません。」
「俺には仕事しかすることがないのだ。」
ブライアンはそう言って苦笑した。
なぜ仕事ばかりしているのか。それは仕事していると他のことを考えなくてすむからだ。昔のいろいろなことを思い出しているひまがないように、自分について考えるひまがないように、将来のことを考えなくても良いように、ひたすら仕事をしている。決してほめられたものではないな、と、ブライアンは思った。
「それなら、お手空きのときに、食事しにいらしてくださいな。感想をおきかせいただけたら私はとても助かります。」
「それは身に余るお誘いだ。ありがとう。」
「前世の食事だけでなく、いろいろ作りたいと思ってますの。」
「きみは本当に料理が好きなんだな。」
「はい。人がおいしいなって食べてる時の顔ってとっても幸せそうでしょ。それを見ると私も幸せな気持ちになるんです。」
「たしかに、この間君の料理を馳走になった時、どれもすごく美味くて、それに君が一生懸命作ってくれたのだなと思うと嬉しくて、とても幸せな気持ちになった。」
「まあ!ありがとうございます。このお言葉が私をどれだけ幸せにしてくださったかおわかりでしょうか?もう、ほんと、すっごく幸せです。」
そう言ってにこにこしているキャサリンを見て、
「君の笑顔は本当に美しいな。」
と呟いた。
呟いたつもりが思いの外声が大きかったようで、キャサリンはそれを聞いて真っ赤になって俯き、それを見たブライアンも真っ赤になった。
「す、すまない。」
「いいえ・・・嬉しいです。」
「そ、そうだ。ここはとても景色の良いところだから、ここで昼食にしてはどうだろう?もしよければ君が持ってきてくれたバスケットを馬車から取ってくるが。」
「は、はい、ありがとうございます。では、お願いします。」
ブライアンは大急ぎで転移魔法でバスケットを取りに行った。
ブライアンがいなくなって、キャサリンは胸に手を当てて、へなへなと座り込んだ。
(デイビス様は素敵すぎて心臓が持たないわ。)
キャサリンはブライアンが戻るまでに蒸気した顔を元に戻そうと、手でぱたぱたと顔をあおぎ、冷静になろうと歌を歌った。
ブライアンは馬車からバスケットを取り、そのまますぐに戻れずに平静を保つために売店で飲み物を買い、しばらくあたりの景色を見回した。
(いかん。頭の中がキャサリンで一杯になってしまった。なんとかしなくては。)
ブライアンは前にいた場所から少し離れたところに転移し、そこから歩くことで平静に戻ろうとした。
しばらく歩くと、きれいな歌声が聞こえてきた。キャサリンが歌を歌っているようだ。
(ああもう、勘弁してくれ。なんとかわいらしい歌声なんだ。これではちっとも平静になれないではないか。誰か助けてくれ。)
それでも無理をして歩いていくと、キャサリンがブライアンの姿を見て歌うのをやめた。
「すまない。待たせたな。飲み物を買ってきた。果実水だが、良かっただろうか?」
「もちろんです。果実水は大好きです。ありがとうございます。」
キャサリンはバスケットを受け取ると、敷物を敷き、昼食を並べた。
「おお、これは美味そうだな。ありがとう。」
「どういたしまして。サンドイッチとサラダとデザートに紅茶のケーキにしました。お気に召すといいのですけど。」
「うん、美味い!好物がまた増えた。」
「まあ、嬉しいわ。デイビス様は褒め上手ですね。こんなふうに言ってくださると、張り切って作りたくなります。」
「普通に思ったことを言ってるだけだよ。」
キャサリンは嬉しそうにニコニコしている。
「さっき歌声が聞こえたんだが、あれは君が歌っていたのか?」
「あっ・・・聞こえちゃいました?・・・はい。」
キャサリンが赤くなって俯いた。
「君は歌も上手いのだな。あれはなんという歌なのだ?」
「あ、あれは、えーと、その、ただ普通に思いついたことを歌にしてるだけで、しばらくしたら忘れちゃったりします。」
「ほう、即興なのか。すごいな。」
「いいえ、ちっとも。鼻歌みたいなものです。」
「もういちど歌ってもらえないだろうか?」
「えっ・・・」
「なにかとても優しい感じで、もっと聽きたいと思った。」
「そ、そうですか・・・たいした歌じゃなかったんですけど・・・っていうか、その・・・恥ずかしいです。」
「嫌なら無理強いはしないが。」
「えーと、その、嫌っていうか、無理ってわけでも・・・」
ブライアンはじっとキャサリンの顔を見ている。
ええい、もう、歌っちゃえ。それで嫌われたらしょうがないわ。
「・・・では、歌いますけど、呆れないでくださいね。才能はないですから。」
「才能とかを言っているのではないよ。ただ、とても心地よいメロディーだったので聽きたいと思ったんだ。」
「そ、そうですか。では」
キャサリンが真っ赤になりながら歌いだした。
小鳥さん、こんにちは。
私の歌を聴いてちょうだい。
きょうはね、素敵な人と一緒にいるの。
真っ黒な髪がお陽様に照らされて輝いて
額にかかった黒髪をさらりと掻き上げる指がとっても長くて
大きな手
大きな背中
見上げないと見えないきれいなお顔
低い声はとっても落ち着くわ
きりりとしたお口から出てくる言葉はとっても優しくて
私はその声にもたれかかって安心するの
静かできらきらした空気に包まれてるその人はとっても素敵な王子様
「・・・ッ」
ブライアンは目を見開いてキャサリンを見た。
「ご、ごめんなさい。あの、悪気はない、というか、誰かに聞いていただくつもりではなかったので、その・・・」
「キャサリン、これは・・・その・・・だ、誰のことだ?」
「それはあの・・・デイビス様の・・・こと・・・です。」
「・・・・・・」
「ごめんなさい、お気に障ったらお詫びします。」
ブライアンは胸がいっぱいで泣きそうになった。
「すまない。言葉を失ってしまった。今まで誰かにこんなふうに言ってもらったことがなかったので、信じられないような・・・」
「あの、たぶん、私きょうとっても楽しくて、すごく浮かれてるんです。それではしたないことをしてしまいました。どうかお許しください。」
「いや、そんなことを言わないでくれ。身に余ることを歌ってもらって、ありがたいが本当のことではない。俺のような陰気で気の利いたことも言えないような男は、まったくこれとは程遠い。でも・・・嬉しい。生きている間に一度でもこんなふうに言ってもらえたら、もう本望だ。ありがとう。」
「デイビス様?」
キャサリンはブライアンの顔を覗き込んだ。
「怒ってらっしゃいませんか?」
「怒るだなんて、なぜ怒ることがあるのだ?」
「ほんと?よかった!それではせっかくですからあれをもっと直してデイビス様の歌にします。あれじゃ足りません。デイビス様はもっとずっと素敵ですもの。お許しいただけますか?」
「い、いや・・・その・・・」
ブライアンは言葉が出てこない。
「ふふふ、デイビス様が怖い方じゃなくてよかったー。私、昔からずっと甘やかされてきたものですから、ずうずうしいし、すぐ調子に乗るんです。ですからあまり甘い顔を見せちゃいけないって、父と執事のデクランが話してます。そう言いながら父もデクランも甘々なんですけどね。わかってるんだったらしっかりしろってことなんですけど、なかなか良い子になれません。」
「君は良い子だぞ。とても優しくて思いやりがあり、働き者だ。俺なんかにも普通に話してくれている、」
「俺なんかって、おかしくないですか?デイビス様のような偉いお方にずけずけと話してるからけしからんというならわかりますけど。」
「そのほうがおかしい。俺はまったく偉くもなければ、君と対等に話ができるような者ではない。」
「どうしてそんなことおっしゃるんですか?デイビス様は国一番の魔導師様なのでしょう?偉い方じゃないですか。」
「魔力が強いだけだ。」
「だけ、って、それがすごいことなのに。」
「君は俺が気味悪くないのか?」
「気味が悪いんですか?どうして?」
「感情が激すると爆発したり雷が鳴ったりするなど、化け物のようだろう?」
「ええー、そうなんですか?すごい!見てみたいです。ちょっと怒ってみていただけませんか?」
「ふはっ、はははっ、ちょっと怒ってみろって。はははは。」
「あ、ごめんなさい。怒れって言われてはい怒りますって怒れるものじゃありませんわね。失礼しました。」
「君はおもしろいなあ。」
「デイビス様、怒ったら嵐になるなら、喜んだらどうなりますの?虹が出るとか?」
「さあ、いままでそんなに喜んだことがないからわからん。」
「あら、それは残念ですわね。例えばお誕生日とかにほしかったプレゼントもらったときなんかにどうなりました?」
「誕生日か・・・祝ったことがないのでわからんなあ。」
「まあ、そうですか。お誕生日はいつですの?」
「知らん。」
「ほんとに?」
「本当だ。知らん。」
「お年はご存知なのでしょう?」
「そうだな、年齢は知っているが、誕生日は聞いたことがない。」
「じゃあ、決めましょうよ。」
「決めるのか?」
「はい。来週末にしたいですけど、ラルフ様たちのご都合も伺ってみてもよろしいでしょうか?みんなでお誕生祝いをいたしましょうよ。」
「あ、ああ・・・」
ブライアンは今まで味わったことのない感覚と、今まで言われたこともされたこともないことにあって、途方にくれてしまった。
実の親はブライアンのことを化け物だと虐待し、挙句の果てに売り飛ばした。
そこから自力で逃げて放浪していたときに拾われて孤児院に入ったが、そこでは食べ物と寝るところがあって有り難かったが、優しくされたということもなかった。
その後魔術の学校に行ったところでは、生徒たちから気味悪がられたが、成績が良かったので生き延びた。しかし、優しい先生とか優しい友達などはいなかった。
ただひとり、ラルフだけは仲良くなったが、男同士だし、優しい言葉をかけられるということはなかった。
だから、きょうのキャサリンは予測外の言動だ。
自分の歌を作ってくれたなど、しかもその歌詞があれほどに優しいものなどとは、ブライアンはなんと考えて良いのか、どう受け止めて良いのか、キャサリンになんと言えば良いのかわからなかった。
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