第8話 デートの前に
キャサリンは今度ブライアンに会う時、何を着ようか考えていた。
ウッドフェルド家は非常に貧乏だ。借金を返すために、絵画や彫刻の類や貴金属を売りまくったので、あまり着飾ることはできない。
(でも、デイビス様は着飾ったりするのはお好きじゃないみたい。)
キャサリンはそう思ったので、今度会う時も、質素でも清潔で自分らしい格好なら良いかなと思った。自分を変えたくない、本来の自分を見てほしい。
豪華な服はないけれど、普段着ならまだだいぶある。その中からお気に入りのものを何着か着てみた。
(どれがいいかな。ちょっとマリーに訊いてみよう。)
キャサリンは侍女のマリーを探したら、ちょうどサロンのカーテンを変えているところだったので、ちょっと相談してみた。
「ねえ、マリー、ちょっと相談にのってもらえないかしら?」
「まあ、なんですの?ええもちろんなんなりとお訊きくださいませ。」
「あのね、今度デイビス様とお出かけするんだけど、どの服着ていこうかなと思って。」
「まあまあまあまあ、そうでございますか。デートでございますね。それなら可愛らしいデザインがようございますねえ。」
「で、でーとだなんて、そんな大げさなものじゃないのよ。ただ、おしゃべりしようって言ってるだけだし、お友達同士でおしゃべりするってだけだし。」
「なにをおっしゃいますか。それがデートでございましょう?それで、どちらにいらっしゃるんですか?観劇なら少し派手めなもの、お食事なら落ち着いたもの、ピクニックなら動きやすいもの、それから」
「ああそうよね。私、どこに行くか知らないのよ。そのうちお手紙でもいただくかしら。」
「そうでございますね。ではそれをお待ちになったらいかがでございましょう?」
「そうするわ。ありがとう、マリー。」
なんだか落ち着かない。何か考えようとしても、集中できない。
(こういうときは体を動かすのが一番よね。)
キャサリンはキッチンに行ってお菓子を作り始めた。
「おっ、お嬢、きょうは何を作られるんで?」
「どうしようかな。パンにしようかしら。」
「いいでやんすね。どんなパンに?」
「カレーパンにしようかな。」
「きゃあ、嬉しい!私、あれ、大好きなんです。」
キャサリンと料理長が話しているのを聞いて、侍女たちが喜んでいる。
「揚げたてなんて、んんんー、たまらないー。」
「嬉しいわ。たくさん作るわね。」
「ありがとうございます!」
キャサリンは1日中カレーパンを作った。
そうしているうちに、夕方になって、ブライアンから使者が来た。今度の休みに北にある湖にいかないか?と言うもので、キャサリンは喜んで返事にカレーパンを添えて返信を言づけた。
使者が
「良い匂いですねえ。なんですか、これ?」
と言うので、キャサリンはかけらをひとつ差し出して、
「こういうおやつです。お好きだったらまるごと差し上げますわよ。」
使者はかけらをぱくりと頬張って、
「んんんー、うまいっ。デイビス様はこんなおいしいものたくさんもらえていいなあ。」
と言うので、
「あら、ありがとう。お褒めいただいて嬉しいわ。じゃ、これ、召し上がってください。」
キャサリンはパンをひとつ紙にくるんで使者に差し出した。
「デイビス様によろしくお伝えください。」
「畏まりました。それと、こんな美味いもの、ありがとうございます!」
使者はそう言うと、ブライアンの元に向かった。
「行ってまいりました。」
使者がブライアンの元に戻り、手紙の返事とカレーパンが入った籠を差し出した。
「ありがとう。・・・ん?これはなんだ?良い匂いがするな。」
「これは、ウッドフェルド様を訪ねたところ、厨房においでだったので、そこに案内されました。ウッドフェルド様はこれをデイビス様に召し上がっていただきたいと、お作りになっていたそうです。幸運なことに、私も味見にということでひとついただいたんですけど、いや、これがもう、美味いのなんの。」
「たしかに、美味そうな匂いだな。どれ」
ブライアンはさっそくひとつ手にとって齧った。
「美味い!」
「でしょう?いいですねえ、デイビス様がこんな美味いものを作ってくれる恋人がいるなんて。俺にも誰か美味いもの作ってくれる人いないかなあ。」
「ごほっごほっ、いや、親しくしているが恋人ではない。」
ブライアンはむせながらそう言った。するとその使者は
「えっ、そうなんですか?じゃあ俺にもチャンスあるじゃないですか?ウッドフェルド嬢って超美人ですよね。しかもこんな美味いもの作れるし、使者にまで分けてくれるなんて性格いいし。」
「こら、まて。だめだ。あの方は婚約者がいる。」
「ちぇっ、そうだよなあ、いい女だと思うとみんな売れ口が決まってるんだ。」
そこに別の魔導師が書類を持ってやってきた。
「デイビス様、これを見ていただきたいのですが。・・・ん?なんか良い匂いがするな。」
「ははは、デイビス様にすげー美人からのプレゼントだよ。美味いんだぞ。」
「なんでお前が知ってるんだよ。」
「食ったからだよ。羨ましいだろう。まいったか。」
「ばかなことを言ってないで仕事に戻れ。ほら、お前にもこれをやるから。」
「やったー。ありがとうございます!」
ふたりはなにやらごしょごしょと話しながら去っていった。
ブライアンは齧りかけのパンを食べながら手紙を開いた。
『ありがとうございます。楽しみにしています。お昼はお弁当を持っていきますね。キャサリン』
短い返信だったが、きれいな
(やはり誰が見てもキャサリンは美人で性格が良いのだな。)
ブライアンは先程の使者の言葉を思い出していた。
(そうだ、キャサリンはとても美しい貴族令嬢だ。見た目も心も特別美しい。誰もが惚れるすばらしい女だ。一方、俺はどうだ?孤児院上がりの虐待された惨めな子供だったのが、魔法ができるというだけが取り柄の無口で不器用な男だ。到底釣り合わない。)
ブライアンは絶望しそうになった。
(だが、俺はキャサリンと結婚しようとしているのではない。キャサリンをラルフの妻のまま、妊娠に協力するだけだ。種馬というだけなら俺でも務まるかもしれない。心の内で愛しているだけなら咎められることもないだろう。)
ブライアンはそれが自分に与えられた最大の幸せだと思うのだった。
翌日、ラルフがブライアンの部屋を訪れた。
「おい、色男、噂になってるぞ。」
「なんだ?」
「お前にものすごい美人の恋人がいると。」
「なっ。ちち違うのだ。それは誤解だ。きのう手紙を届けさせたら、キャサリンが使者に私にくれようと作っていたパンをひとつやったのだ。それが美味かったから、使者が私に恋人がいて羨ましいと言った。それで、いや、恋人ではない、あのかたには婚約者がいると答えたのだ。それがなぜそんなことに。」
「はははは、良いさ。噂というのは面白いように尾ひれをつけて広まっていくものだ。」
「しかし」
「悪いが噂は別として、俺はキャサリンと結婚するぞ。」
「もちろんだ。だから婚約していると言ったのだ。」
「お前のほうがお似合いなのに、すまないな。」
「何を言うか。俺なんか、こんな役目をもらえたからキャサリンに口をきいてもらえるのだ。そうでなければ気にも止めてもらえなかっただろう。ありがたいと思ってる。」
「お前、なんてことを言うのだ。お前は我が国の最も優秀な魔導師じゃないか。見た目もいいし、お前に憧れる女など山ほどいるぞ。見合いの話だってずいぶんあったのに、お前が断ってきたんじゃないか。まったくお前って奴は自己評価が低すぎる。困ったもんだ。」
「・・・無理だ。キャサリンは違いすぎる。」
「はあ・・・お前はまったく・・・キャサリンはどう思っているんだろうなあ。おなじくらいの思いかもしれんぞ。」
「やめてくれ。変に期待させないでくれ。」
「わからんじゃないか。よし、ちょっと訊いてみよう。」
「や、やめろ。頼む、やめてくれ。」
「ははは、ま、きょうのところは引き下がるがな。お前があんまりぐずぐずしてたら俺にも考えがあるからな。友には幸せになってもらいたいんだよ。」
「あ、ああ、お前の気持ちはありがたいが、どうかそっとしておいてくれ。ぶち壊れるのがおそろしい。俺はキャサリンのそばにいられるなら種馬で十分なんだ。」
「・・・ッ、種馬とは。情けないことを言うなよな。」
ラルフが帰ってからブライアンはひとりで考えていた。
(自己評価が低すぎると言うが、俺は本当にわからんのだがなあ。お前はいらない子だ、なぜ生まれてきたのだと言われ続けて、鞭打たれ、雪の日に裸足で孤児院の前で捨てられた俺に、どう思えというのだ。いらない子であるというのは変わりないじゃないか。)
孤児院の前に捨てられた時のことは今も鮮烈に覚えている。寒かった。裸足に雪が冷たかった。
(そんな俺に笑いかけてくれるキャサリンは太陽のようだ。なんてきれいで暖かいんだろう。眩しすぎて目が潰れそうだ。こんな俺なのに、キャサリンは『そんなすごい魔導師を見てみたいと思った』など言ってくれた。がっかりされたのだろうな。それでも俺のことをもっと知りたいと言ってくれた。好奇心でもなんでも良いから、もっと話したい、もっと会いたい。)
ブライアンの部屋を出てから、ラルフはブライアンのことを考えていた。ブライアンは今まで恋をしたことがない。だから恋い焦がれている自分の気持ちが何かも良くわかっていない。国一番の魔導師なのに、自己評価が極めて低い。種馬でもいいからそばにいたい、など、この男が言うようなことではない。この男の妻になりたい女は山程いるのに、そういう女には見向きもしなかった。
(なんとかあいつに正当な自己評価ができるようになってほしいなあ。)
ラルフは親友が幸せになるために自分に何ができるかを真剣に考えていた。
キャサリンは湖に行くと聞いて、とても楽しみにしている。そもそも、キャサリンは旅に出たことがない。母は、キャサリンが幼い頃から病気がちだったので、とても旅に出るような体力がなかった。そのあと母が亡くなってからは、悲しみにくれた父が旅をしようと考えるはずもなく、キャサリンはずっと王都で、邸の中で暮らしていた。だから今回の湖行きは、キャサリンにとっては日帰り旅行のような気分で、嬉しくて楽しみで夜もなかなか寝つけないくらいだった。
(お昼のお弁当は何にしようかしら。)
これもとても楽しい。
(デイビス様はお肉がお好きだったみたいだから、お肉のものを作りましょう。)
そして何を着ていくか、これがまたなかなか難しい。マリーに湖に行くと言っていろいろ相談してみた。結局動きやすい服で、キャサリンが好きでよく似合うラベンダー色のドレスに決めた。
(雨が降りませんように。)
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