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――――――

 アキちゃんはまた切り絵の続きを始めた。僕はアキちゃんの横にぴったりとくっついて腰を下ろすと、腕をアキちゃんの腰に回してその肩にほおを乗せる。


「ユキちゃん、危ないよ。カッター使ってるときにそんなにくっついたらだめだよ。包丁使うときにも注意したでしょ」

 アキちゃんが手を止めて笑うと、僕をたしなめる。カッターナイフに目をやると、はあると思うが、ほんの少ししか見えない。包丁とは全然違うし、危ないなんて思えない。


「なんで? そんなの包丁と全然違うし、危なくなんかないよ?」

「カッターナイフも刃物なんだよ。ほら、こうすると……ね? 包丁くらい刃が長くなるでしょ」


 親指で真ん中の突起を押すと、カチカチカチと音がして先端の刃が伸びてくる。オレンジの光に照らされて長い刃が光った。


「もしもこれで、首とかスパって切ったら死んじゃうこともあるんだよ」


 アキちゃんは反対の手で、自分の首を真横に切るまねをする。そう言われても、ただ刃が長いだけで薄っぺらく、こんなもので死ぬなんて想像もできない。

「僕も使ってみたい」


 アキちゃんは再び刃を元の長さに戻して、カバンから新しい紙を一枚取り出して、作りかけの切り絵と交換した。


「じゃあ、この紙を真直ぐ切ってごらん。結構難しいんだからね」

 アキちゃんは僕にカッターを手渡す。僕はアキちゃんの教えるとおりに手を置いて、紙の上にカッターナイフを当てて、軽く滑らせた。


 ザクっという感覚と共に、気持ちいいくらいに容易たやすく紙が切れた。はじめに力を入れて突き刺して、真直まっすひじを横に動かす。紙の端から端まで並行に真直まっすぐ、均等な間隔の切り込みをいくつか入れた。


「えっ、ユキちゃん上手。才能あるかも」

 アキちゃんに褒められて、僕はむずがゆいような不思議な気持ちがした。カッターナイフを紙の上に放り出して、アキちゃんの腰に手をまわすと、その肩に再び顔をうずめた。

「ユキちゃんの手、凄く冷たい。今日、寒いもんね。二人で毛布にくるまって少し暖まろうか」


 アキちゃんは押入れから毛布を取り出してまた僕の隣に戻ってくると肩を抱き寄せて、身体を毛布で包み込む。アキちゃんとくっついているところからほんのりと暖かさが広がって、毛布の中にまっていく。


 アキちゃんのことが凄く好きで、いつも僕の方から抱きしめに行くくせに、ずっとくっついていると、最近は何だか居心地いごこちの悪さを感じる。胸の奥が詰まるような、じっとしていられないような、ふつふつとした何かが湧いて来る。


「お父さん、帰って来なかったらまた隣のお姉さんのとこに行こうか。電気、どうしたらいいか聞いてみよう?」


 アキちゃんは少し首をかしげて僕に笑いかける。何故だかは分からないが、そのほおに触れたくてたまらなくなって、僕は片手をゆっくりと伸ばして頬に触れる。ほんのりと暖かく、柔らかくて、滑らかだった。アキちゃんも僕と同じようにして僕の頬をてのひらで包む。


「ユキちゃんと二人だけになったら良かったのにな。二人でどこかに逃げよっか?」

 僕は黙ってうなずく。アキちゃんの瞳に見る見るうちに涙がまって、流れ落ちる。僕の掌とアキちゃんの頬の隙間に涙が染み込んで、手首を伝って腕に流れて落ちていく。


「お父さん、帰って来てほしくないなぁ……」


「アキちゃん?」

 帰って来てほしくないなんて、アキちゃんがはっきりと言うのを初めて聞いた。こんなに静かに泣く姿も見たことがなくて、僕はどうしたら良いのかわからない。


 もしも僕がアキちゃんよりも年が上で、アキちゃんよりも大きくて、おじさんよりも強かったら……。きっと、たぶんだけど、アキちゃんが泣くことはないのだと思った。アキちゃんが僕をかばうと、おじさんは代わりにアキちゃんを叩く。


「ごめんね、アキちゃん。僕のせいでいつもおじさんに叩かれて、いやだよね」

  トレーナーのそでを引張って、涙でれたアキちゃんの頬をでる。こんなことしかできない自分がひどく情けなくて、消えてしまいたかった。


「違うよ……ユキちゃんは悪くない。そうじゃないの。」

 アキちゃんが僕のことを力一杯抱きしめる。そっと背中に手をまわしてふるえるアキちゃんの背中をさする。


「ユキちゃん、本当に私と二人で、どこかに逃げてくれる?」

「僕は、アキちゃんがいればそれでいいよ」


 ガチャリと玄関が開く音がした。アキちゃんがビクリと身体をちぢめるのが分かる。僕もアキちゃんもまるで時間が止まったかのように動けなくなった。ドン、ドンと大きな足音が近づいて来る。僕たちは息をするのも忘れて毛布の中でちぢこまっていた。

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