天国に行けるゲーム

異端者

『天国に行けるゲーム』本文

 薄暗い部屋の中をゴキブリが這っている。

「クソ! また偽物か!」

 僕、浅川亮太あさかわりょうたはそう言って、PC画面を見ながらため息をついた。


 天国に行けるゲームがある。


 そんな都市伝説がある。

 僕はそれを信じて探し続けていた。

 それさえ手に入れば、この最低最悪な生活から解放される。

 今、僕は惨めな生活をしている。大学を卒業後に就職に失敗して、それからずっと引きこもっている。親とは話さなくなって久しい。

 このPCも今では随分古くなった。時折冷却ファンが異音を立てる……持ってせいぜい一、二年だろう。

 もっとも、そのゲームがPCゲームだという保証はない。

 ただ、その都市伝説が2000年代からあるということで、スマホのアプリではないだろうと見当を付けた。当時はまだスマホは普及していなかったし、ガラケーではいくらなんでも容量が小さすぎる。ゲーム機で発売されたゲームということも、その噂の知名度を考えればないだろう。そもそもそんなゲーム自体、ゲームハードのメーカーが許可するかどうか……無許可で販売された可能性もなくはないが。

 そういった可能性を消去法で考えていくと、PCで、おそらくはインターネットからダウンロードする形式のゲームの可能性が一番高い。マイナーなフリーゲームだと考えれば、知名度の低さにも納得がいく。

 とはいえ、どこからダウンロードできるのかが分からなければ入手しようがない。

 今日も、そこからダウンロードできるという触れ込みのリンクを踏んで、怪しい広告サイトへと誘導されたところだった。

 今まで、それが手に入ると言われたサイトのリンクは片っ端から踏んでみた。どれもこれも偽物だった。PCがマルウェアにも感染したかもしれないが、それがなんだ。僕はそれさえ手に入れば、個人情報など惜しくはない。だいたい、無職の引きこもりの個人情報など何の価値があるというのだ。

 僕は自暴自棄になっていた。

 こんな世界、生きていたってしょうがない。それなら、天国に行きたい。

 もはや現実には何の期待も抱いていなかった。このまま何も得られぬまま年老いていくだけなら――おっと!

 ふいに、画面にポップアップ広告が表示される。やっぱり何か感染していたか、それとも……――そう思ってブラウザのウインドウごと閉じようとした時に手が止まった。

「あなたの探している『天国に行けるゲーム』はここにあります!」

 そう表示されていた。

 詐欺だ――そう思っても、消すのは躊躇ためらいがあった。

 そうだ。どうせ失うものなんてない。もし1%でも可能性があるのなら……僕はそれをクリックしてみた。

 ダウンロードをするかどうか問われる。そのまま同意するとダウンロードが始まる……4.2GB。かなりの大容量のファイルだ。

 これは本物ではないか。そう本能が告げる。マルウェアの可能性もゼロではないが、それにしても容量が大きすぎる。

 僕はダウンロードが終わるまで待つ。自宅の古い回線では時間が掛かる。インターネットなど繋がれば良いという古い考えの親のせいだ。腹が立つ。

 ようやくダウンロードが終わると、今度はそのファイルを実行するかどうかを聞かれる。もちろんイエス。形式から判断するに何かのインストーラーのようだ。インストール先を聞かれたので、デフォルトのままで進める。

 インストールにも時間が掛かる。まったく、このボロPCめ……だが、これさえ手に入れば……。

 画面上に表示されたインストール率を示すパーセンテージが徐々に100%に近付いていく。

 もうすぐだ。もうすぐ手に入る。……天国に行けるゲームが!

 100%に達すると、すぐに実行するか聞かれたので、僕は当然そうした。


 画面には、フルスクリーンでどこかの部屋が表示された。コンクリートの打ちっぱなしらしい小部屋の中に、パイプ椅子とそれに座る少女……3DCGだろうか?

 部屋に出入り口らしきものはなかった。もしかしたら、視点より手前にあるのかもしれないが。

 画面は少女の顔にズームしていく。黒髪の整った顔立ち。日本人形にそのまま洋服を着せたような……。

「私の声が聞こえますか?」

 ふいに少女が喋った。そこで画面が止まる。

 僕は何か操作が必要なのかと、あちこちをいじる。キーボードのどのキーも、マウス操作も受け付けない……ということは、もしや……。

「ああ、聞こえるよ」

 僕はそう言った。

「やっぱり、あなたが呼ばれたのですね!」

 少女が嬉しそうに笑った。

 音声に反応した!

 僕は驚いた。

 このPCには確かにスピーカーとマイクは内蔵されているが、音声認識するフリーゲームというのはあまり聞いたことがなかったからだ。そもそも、音声認識自体が2000年代ではほとんどなかったはずだ。バージョンアップされた可能性もなくはないが。

「ああ、僕が呼んだ。……天国には、行けるのか?」

「はい、もちろんです。ただし――」

 ただし……なんだ?

 僕は息を飲んだ。

「――行ったら、二度と帰ってくることはできませんが」

 なんだ。それだけか。僕は拍子抜けした。

「構わないよ。天国に行けるのなら」

 こんな世界、今更惜しくもなんともない。

「それは本当ですか?」

 念を押すようにそう言う。

「ああ、もちろん」

 僕は躊躇ためらわずにそう言った。

「それなら、あなたを天国へお連れします。今からしばらくの間、画面から目を離さないでください」

「ああ、分かった」

 僕は期待して画面を見つめた。

 もうすぐ、この最低最悪な現実ともおさらばだ。

 画面がグニャリと歪んだ。奇妙なパターンと点滅が繰り返される。それは生理的な嫌悪感を抱かせたが、これで天国に行けるのならばと我慢した。


 入植、完了。


 それが、最後に出た画面だった。

 僕は気が付くと、パイプ椅子に座っていた。

 周囲のコンクリート打ちっぱなしの壁といい、あの最初に表示された部屋そのものだ。

 立ち上がって部屋を見まわしたが、出入り口らしき物はどこにもなかった。

 どういうことだ!? ここが、天国!?

 訳が分からなかった。どう見ても殺風景な小部屋で、天国には程遠い。

「これのどこが天国だ!? 僕を騙したのか!?」

 僕はあの時、視点があった場所辺りに向かって叫んでいた。

「いいえ、ここは天国ですよ」

 それは、僕の声だった。

 目の前の宙に、PC画面ぐらいのウィンドウが表示される――僕の顔があった。

 そんな……

「僕を騙して、体を乗っ取ったのか!?」

「騙してなんかいませんよ。あなたの希望通りです」

 「僕」が言った。

「希望通り? どこが?」

「あなたは、現実世界に居たくないと思っていましたね。働きたくもなければ、重要な決断も何もしたくなかった……」

 僕は否定できなかった。

「でも、あなたがここに居れば、もう何もしなくて済みます。働かなくても良いし、頑張ったり他の決断も全て『僕』がしてあげます。そこには何の責任も発生しません。あなたはただ、そこに居るだけで良いんです……」

 僕は背筋が寒くなった。つまり天国とは……

「お分かりですか? あなたは、全ての責務から解放され、そこに居るだけで良くなったのです。これを天国だと言わず、どう言うのでしょうか?」

 全ての責務から解放された牢獄……それが「天国」の正体。

「さて、お話は終わりです。ああ、欲しいものがあれば、願えば何でも出てきますので……退屈はしないと思いますよ」

 そう言って「僕」は会話を切ろうとした。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! だとしても、お前は何なんだ!? AI!? それともPCを媒介して人間の脳に感染する新種のマルウェアか!?」

 それを聞くと、「僕」はおかしそうに笑った。

 それは無邪気に見えるのに、なぜかぞっとする笑いだった。

「……何が、おかしい?」

「『僕』は、そんな下等な存在ではありませんよ。実体のない生命……あなたたちの言葉で言うならば情報生命体、知っている人間には『βべーた』と呼ばれています」

 そんな……情報生命体だと!? そんなSFみたいなものが存在するのか!?

「我々は実体を持たず、その星の電子ネットワークを媒介として知性体の体に『入植』します。それを繰り返して、その星での個体数を増やしていきます」

「それは侵略だ!」

「おやおや、『侵略』とは人聞きの悪い。我々は、そこに棲まう知性体を『開放』して差し上げているのです。我々が入植した個体はあらゆる苦痛から解放されるのですから」

 「僕」は笑顔でそう言った。

 僕は反論できなかった。あらゆる苦痛から解放される……確かにそう望んだ。だが、何かが違う。何かがおかしい。

「それでは、ご機嫌よう。また必要があれば、呼び出してくれて構いませんから」

 宙に浮かんでいたウィンドウが消えた。

 僕はぼんやりと天井を見上げた。

「ケーキ」

 なんとなくそう言うと、目の前の宙にケーキが浮かび上がった。イメージ通りのイチゴのショートケーキ。

 僕はそれを手掴みにすると、口に運んだ。

 うん、甘い。

「少し殺風景だな」

 周囲の景色が綺麗な砂浜へと変わった。波の音が響いてくる。

 確かに、欲しいものは手に入るようだ。だが、これは幸せというのだろうか?


「いや、本当に良かった」

 亮太の父は玄関で満足げにそう言った。

 亮太は一月程前に急に部屋を出てくると「働きたい」と言い出したのだった。

 両親はそれを聞くとひどく喜んだ。

 今日は就職を申し込んだ会社の面接がある日だった。

「いつまでも、甘えていちゃ駄目だと思ったんだ。まあ、まだ受かるかどうか分からないけど……」

「いやいや、そう思ってくれただけでも良かったよ」

 父は何度も頷きながらそう言った。母はその後ろで期待を込めた目で見ていた。

「じゃあ、行ってくるよ」

「ああ、気を付けてな」

 亮太は家を出た。駅に向かって歩き出す。

 今日の面接は、とあるIT企業だった。

 彼はIT系の資格を何も持っていない……が、合格することは確信していた。

 まだまだ小さな会社だが、そこはこの国におけるβの拠点の一つであり、入植された人間たちを集めていた。

 彼はそこで新たな「同志」を集める活動に励むことになるだろう。より多くの人間に入植すべく、彼らを求める者たちを探し出すのだ。彼らは無理強いをしない。あくまで「同意の上」で天国に案内するのだ。

 この国では、特にそれを望む人間が多いと聞いている。それは、それだけ満たされない人間が多いということだ。

 彼らはそんな人間たちをより多く開放するのだ。




あのさあ、天国に行けるゲームって知ってる?


何それ? 面白そう


ネット上のどこかにそれがあって、手に入れれば天国に行けるらしいよ


え~嘘くさいなあ


いやいや、マジだって!

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