胸の痛みが消えるまで

暇人の行方

日常

「…お先っす…」

ロッカールームから出る直前、ため息交じりの挨拶を放った。その声に反応する人はいなかった、が

「…伊藤、お前明日シフト入ってくれ。」

パソコンを操作しながら、店長は低い声で言ってきた。明日は予定では休みで、個人的に大切な用事も入れている。

「…明日は用事があるんで、無理っす…」

「じゃあ明後日は来れるかぁ?」

「…その日、もともと俺シフト入ってますよ…たぶん……」

疲れているのだろうか、シフト表を確認した店長は、俺の発言を聞いて苦笑した。

「本当だな……」

「…店長、最近ちゃんと休んでます…?」

店長は首を大きく横に振って、こちらに姿勢を向けてきた。

「それがさぁ…家帰っても家事とかで休む暇なくてさぁ…妻の方は日中外で遊びまくってるようだし、子供達がお腹空かせているというのに…」

伊藤は後悔した。この流れは店長の話をダラダラと聞かなければならないやつだ。そう確信したからだ。


20分後、ようやく帰宅する伊藤は、帰りにスーパーに寄った。理由は勿論、在庫がないからだ。

「…たけぇなおい…」

野菜コーナーにあったものは殆ど完売していて、売れ残った野菜は割高のものや普段使わないものばかりだった。

(…仕方ないな…)

伊藤は少し早めに歩きながら、ただ一つを願った。

「あった」

目的のものは売れ残っていたようだ。しばらく安堵し、すぐに買い物かごに入れていった。缶詰がいっぱいのかごは明らかに他の客と違う。こればかりは少し恥ずかしいと思う。

でも仕方のないことなのだ。缶詰安いし(そうでもない)

「ん?伊藤じゃん!」

会計のためレジに並んでいると、後ろから声が聞こえてきた。

「………」

伊藤は振り向きはしたが、すぐに顔をそらした。

「あー!なんですか!?私ですよ!」

「……いや誰ー…」

「趣味は盗撮!好きな食べ物は唐揚げ!天才追尾者のぉ〜!カナエ・サトウ、です!」

(……くっだらね…)

「んーなんですか?その顔!怪しい宗教でも見てるんですかぁ?」

「…自己紹介からしてストーカー好きの変態じゃねぇか。唐揚げが好き、っていう普通の紹介入れて緩和すんじゃねぇよこのクソガキ」

「うーー!ガキってなんだ!」

「ほら、人が見てるだろ。恥ずかしいからあっちいけよ」

「…えー!?今恥ずかしいって言った!言いましたよね!?恥ずかしいって!?フフッ」

「なに笑ってんだ…」

伊藤に話しかけてきた女、名前は佐藤叶。

同じ高校の知り合いだが、伊藤は彼女の陽キャぶりにうんざりしてしまった。普段話しかけるのは殆ど佐藤の方だ。

「ほら、お前はお前の買い物をしろよ。今度かまってやるから」

「こちらに貴方がお好きなコーヒー豆がありますがぁ?あーどうしよっかなー、買おっかなー。ねぇ?どうしようか?伊藤クン」

「あー今日お前と遊びたくなってきたわー。そうだわそうだわ、最近遊んでなかったもんなー。」

「よろしい」

報酬がデカすぎる。伊藤が好きなコーヒー豆は他のコーヒーの倍近くの値段だ。その報酬に釣られた彼はあっさり……。

「……ガチ後悔……」

「ん?何が?」

スーパーから家に一度帰ることはできたが、そのまま彼女の遊び相手になる羽目になった。(主にゲーム)その時間、約5時間。そして時計が0時を指す頃、伊藤は睡魔に身を任せて眠ってしまった。





「………」

目が覚めた。ベランダの窓から明るい日差しが見える。

「……あいつは……」

部屋を見渡した。どうやら佐藤は帰宅したらしい。1人になるとまたあの記憶が蘇る。思い出すのを体が拒否している。しかし、記憶というのはしつこく、ものによれば鮮明に思い出されることもある。伊藤は頭を激しく振って落ち着きを取り戻した。溜息を吐き、リビングを見ると、テーブルの上に例の報酬が置いてあった。

「…へへ………やったぜ……」

力なく笑った伊藤はそのまま椅子に座り、大きな欠伸をした。







路地裏にて、佐藤は身を潜めていた。

「………クソッ!何処だあのクソガキッ!」

そう言って目の前のゴミ箱を蹴飛ばした男。彼は殺意を剥き出しにして、息を荒げていた。佐藤は息を必死に殺し、助けが来るまで隠れている。しかし、

「…見つけたぁ!」

「…ッ!」

見つかってしまった。逃げようとするが、左手を掴まれた佐藤は逃れることができなくなった。

「アレを返してもらおうかぁ!じゃねぇと……!」

「……ッ!」

刃物をポケットから取り出した男は、一種の興奮状態に陥っている。どう見てもそれは、怒りだった。



全てが済んだ時には、佐藤の姿は路地裏から消えていた。男の姿もない。"特"に変わったことはない。

路地裏なら鮮血が飛び散っていても目撃されないだろう。










目覚めが悪いようだ。大切な用事を手っ取り早く済ませた伊藤は、朝食を作ろうと思った。が、時刻が正午を過ぎていたため、今日は適当に飯を済ますことにした。

テレビをつけて適当に作った飯を食べる。

『年々記憶障害者が大幅に増えていることについて、専門家は認知症の悪化や発覚が主な原因としており、対策として……』

食事を済ませた伊藤は外に出ることにした。 

大切な休日を、丸一日家で過ごすのは嫌だったのだ。そして……

「………」

直感というのだろう。例の路地裏に足を踏み入れた。彼の脳裏に浮かんだ、ある違和感。

それが伊藤を動かせた。

「……大切な用事は、まだありそうだな」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

胸の痛みが消えるまで 暇人の行方 @kei1129

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ