逃げ出す勇気 二

 鳥居を潜る。

 神社があるこの山は町とは違って何も変わっていない。社自体も古くなっているような印象は受けない。その周りも、別段変わった様子などなく、枯れ木や枯れ草があるだけのつまらない風景。そこには空を見上げるのと変わらない色が広がっている。

 鳥居からほどなく進んだところで足を止める。そこは私が昔、桜を見させてもらった場所だった。

 ここからの風景も何も変わらない。

 自称神様は『ここだけは変わらない』とかのたまわっていたけれど、あながち嘘でもなかったのかもしれない。

 だが、私はその風景に変化を加える。

 私はそんな風景に光を灯す。

 私はそんな風景に火を点す。

 一回目はすぐに消えてしまう。

 二回目は一回目よりも少し長く燃え続けた。

 三回目にしてようやく草に火がついた。

 四回目は更に火を広げるように点していく。

 その後は私が何かをしなくとも火は強さを増していく。隣の木に、隣の草に、自然と自然が燃えていく。

 空を見上げれば色が曇っていく。下を見れば色が明るくなっていく。

 不思議と暑いとは感じなかった。

 火の中にいるのにも関わらず──そんな時、社から見た先に光の人影が見えた気がした。

 その人影は、私に手招きをした。

 こっちに来い、そのメッセージだけを伝え終わると、走り出してしまう。

 私は、考える暇もなくその影を追いかける。

 影は、山を下るのではなく、逆に深く深くへと潜っていく。いつのまにか火は山全体に広がっているようで、どこまで行こうと景色は変わらない。

 延々と続く炎の景色が、とても美しく思えた。

 影が突然止まった。

 目的の場所についたみたいだ。

 影は突然消えた。

 影は風になった。

 風が吹く先を見る。そこは昔にタイムカプセルを埋めた大きな木がある広場だった。

 広場も当然、他の場所と同じで火の海になっている。

 それはこの大きな木も同じ。

 位置的な関係もあって、まだ完全には火がついていなかったけれど、タイミング合わせでもしたように、風が吹きあがり火を飛ばす、そうして木にも火がついた。

 その火はすぐに空へと昇っていく。麓の草花から幹へと、そして幹から枝に伝わっていく。

 そうして伝わった火は、最後に枝の先に生えた葉へと火を点す。

 その火は自分が花であると錯覚するように、綺麗に咲き誇る。

 燃やすことをやめたのか、それ以上先に火が進むことはない。

 そこがいいと、いうように燃え続ける。

 これは多分本当に私の錯覚ではあると思う。

 私の欲望だと思う。

 私のつまらない願いだと思う。

 それでも──私の目には、大きな木に点る火が、桜に見えた。

 私が見えた桜は、火色の桜──花びらは舞い散らない。散るのは火花だけ、ひらひらという擬音は似合わない。似合うのはパチパチという音──あの子と約束した桜ではない。

 あの人に見せてもらった桜でもない。

 ついぞ見ることのなかった春になれば変わることなく咲いていたこの山の桜でもない。

 私が今見ているのは、燃える山中でも咲き続ける唯一の花。

 私にはその花が桜に見えた。

 逃げ出した先で、逃げる要因となった約束を私は一人で守る。春はまだまだ先だけれど、私の周りはとてもとても暖かった。

 そんな暖かい場所に私は倒れ込む。仰向けになり、空を見上げる。空は変わらず濁っている。空気も濁っている。それでも、透き通る風が私の頰を撫でた。

『娘よ……スマんかった』

 声が聞こえた。

 風に乗って聞こえた声は、山の残滓──残りカス、散りばめられていた粉が火の粉となって、風に舞った。

(ジミ様のせいじゃないよ……私が弱かったから)

 疲れてしまったみたいだ。もう声は出ない。

 だから心の中で、答えてみた。

 幸いにもジミ様には、届いたみたい。


『お前は弱くない。弱いのはわちだよ。あの時何もせずに亡くなっておけばよかったんだ。昔を思うことなく、昔にイジワルをすることなく、素直になればよかったんだ」

(…………わかんないや。私バカだからジミ様の言いたいこと一つも)


『単純な話だよ……わちもお前みたいに逃げ出したってだけ』

(私みたいに?)


『そう、わちは昔々に生きることから逃げ出した。それなのに生きることから逃げきれなかった。それはわちが弱かったから』

(…………)


『願ってしまった。このまま変わらないでいてくれと──このまま変わらないで笑っていてくれと』

(………………)


『その願いはわちにもよくわからない力で、叶ってしまった。それからしばらく、この町とこの山は成長することをやめてしまった』

(……………………)


『それからしばらくして、わちはお前とあの子と出会った。その時のわちはもう生きも絶え絶えの死に体状態みたいなもんだったから、大人しく大人らしく死んでおけばよかったんだ』

(…………………………)


『それなのに、逃げ出したわちが悪いのに、最後の最後、気を引きたくなっちまった。好きだったやつに嫌がらせをしたくなっちまった』

(…………………………気持ち悪いね)


『小学生みたいだろ?』

(それは小学生に失礼かも)


『確かに、小学生はもっと純粋な気持ちだろうからな。わちみたいに打算も何もない、誰も犠牲にしない──わちの弱い部分はそこだよ。わちは関係ないお前らを巻き込んだ。実際は町と一緒に変わっていくはずだったこの山に、言葉で時間を植え付けた』

(桜を見せてくれた時のやつ?)


『そう、あの時言った言葉が果たされるまで、この山は変わらずに桜を咲かせ続ける。わちが逃げ出したあの時のまま。あいつが死ぬまでわちを忘れられないようにするために』

(ド変態だね)


『それは否定できん。わちは気持ち悪くて変態で、おかしなやつだった──そんなわちの気色悪い計画も、基本的には予定通りだった。誤算だったのは、お前らがわちたちと同じぐらいおかしなやつになっちまったことぐらい』

(誤算だったんだ)


『そりゃそう、わちとて未来ある子供を自主的に狂わせようとは思わん。どちらも素直な良い子に育たないとは思わんよ。それでも保険としてタイムカプセルを作ってはみたものの、意味をなさなかったみたいだから、結局はわちの失敗なのだけど』

(案外色々と考えてるんだね)


『そうでもないよ。わちは子供の頃からバカだったからやりたいことを、やりたいままにやっていただけ、偶々願いが叶ったからここにいるだけの、実際は嫌になったから目を背け、面倒になったから目を逸らし、生きることから逃げ出したくなったから衝動任せに走り出した──何も考えていない子供だよ』

(私と一緒だ)


『違う──わちは全てが自分のせいだった。何もかもこの結果に辿り着く道筋を作ったのは自分自身だった。だけど、お前は違う、確かにお前自身で選んだ道も往々にしてあっただろうが、それでも最初に追うべき光を見せたのはわちだ──わちが大人ぶって見せたあの桜が全ての原因、あれがなければお前たちを縛る鎖は現れなかった』

(それはそうかも……だけれど、あの言葉があったからこそ私はここにいるんだよ? それを私は嫌だとは思ってない)


『思ってないって、この火の海に逃げてきたということをか?』

(うん……だって私逃げることが悪いことだとは思ってないもん。確かに逃げるのは私が弱いからだし、逃げないに越したことはないのかもしれないけれど、それでも逃げることを悪モノにしちゃったら窮屈で仕方なくない?)


『そりゃ日々の中で逃げるという選択肢を否定するつもりは毛頭ないが、それでも死という逃げはやっぱりやってはいけないこと、だとわちは思う』

(なんで他人に自分の人生を指図されなきゃいけないの? ジミ様がそう思うならそう思えばいい、それは人の勝手だし、私が指図する権利なんて初めからない。私は私のやりたいように、他人は他人のやりたいようにすればいいじゃん。それは社会性の放棄なのかもしれないけれど、そもそも死のうなんて考える奴は元から社会性のカケラもない人らなんだから好きにさせてあげればいい)


『好きにさせた結果が悲惨な未来だとしてもか?』

(人一人が好きにやって悲惨になる未来なんて初めから、壊れてるでしょ。狂ってるでしょ、おかしいでしょ。好きにやるっていうのは、みんなが全員よーいどんで自殺することじゃない。空気を読んで社会に溶け込む人もいれば、空気を読まずに犯罪に走る奴もいる。誰にも迷惑をかけずに死ぬ奴もいれば、沢山の人を巻き込んで死ぬ奴もいる。それが好きにやるってことじゃないの?)


『それは……それは……間違ってる──確かにわちに他人の人生をどうこう言う資格はないし、他の誰も言ってはならないのかもしれない。それでもやっぱり、死が正しかった場面なんてどこにもない……どれだけ理論立てて、理屈立てて死というモノを正当化しようとしても、そうはならないよ。一度死んだからわかる。死ぬ間際、心の底から笑う人なんていないんだよ──みんなどこかで、死ななくてもいい選択肢を最後まで見つけようと足掻き続けている』

(どうしてそこまで言い切れるの?)


『だって、この国だと人殺しは犯罪だろう?』


 声は出ないそれなのに、ジミ様のつまらないギャグに笑ってしまった。

 長いこと会話をしていたせいで、火の海は、私を燃やすことをやめない。息もできない体も動かない。

 なのに笑っている。

 おかしな話だ。

 思考が朦朧とする。

 結局ジミ様が何を言いたかったのかもよくわからない。死が正しいとか正しくないとか、そもそもそれが嫌で死のうとしたのに、死ぬ寸前にまでそんなことを考えさせられてしまった。

 最悪だ。


『わちの勝ちだな』


 表情は見えないのに不思議と、ジミ様がにへらと笑うのはわかってしまった。

(勝負だったの?)


『いやそういうつもりはなかったけど、思いの外お前がバカでアホでマヌケだったから、言いくるめたくなっただけ』

(私まだ負けたとは思ってないけれどね。あんなつまんない駄洒落みたいなので負けたとか思えないし)


『お、まだやるか? もうちっとばかしなら時間あるよ』

(やらないよ……そっちに時間はあっても私には残されてない……私はこのまま死にたいんだよ)


『ん? お前まだ死ぬ気だったのか?』


(死ぬ気だったのかって)

 何を言っているんのだろうこの自称神様は。

 私がここで死にたくない──そう言えばそれが、叶ってしまうかのような物言いだった。


『何驚いてるんだ? もしかしてわかってなかったのか、わちは初めからそのつもりだったのに』

(何を言っているの?)


『だから、初めからお前を死なせないためにわざわざ戻ってきたって言ってるんだよ』

(いやいや死ぬ死なないってそういう話じゃないでしょ、だってほらもう私体ほとんど動かないし、息もできないし)


『そういう話だって言ってるんだよ。たく、勘悪いのう、そんなんだからあの子があんな化物になるまで気づかないんだ』

(そういう話って何って具体的な説明をさっきから求めてるの! そっちこそ説教する暇があったら言葉足らずなところを直してほしいもんだね。あの時だって、もう少し説明があればこんなことになってないかもしれないのに)


『だからー、あー面倒くさい。偶々湧いた罪の意識で、引き受けたらこれだよ。なんとなくわかるだろう?』

(わかんないよ)


『あー、だからな、お前今から神になれ。神になってこの山で一生暮らしてけ、それが自分を殺した罪滅ぼしだよ』

(は?)

 おそらく今のが具体的な説明だったのだろうが、さっぱり意味がわからない。

 神になる?

 山で一生暮らす?

 罪滅ぼし?

 ワードの意味がどれ一つとして、ピンとくるものがない。

 それなのに、自称神様はこれで説明は終わりと、勝手に切り上げ始めてしまった。

『疲れたからわちは戻って寝る。後は時間がくれば勝手に神になって、勝手に理解できるだろうから……じゃあ』

(じゃあじゃない、じゃあじゃ)


『少しは自分で考えろよ。考えすぎて面倒になって死んだんだろう? なんでこういう時は脳みそを使わないんだ』

(使わないんじゃなくて、使えないの! ワードが全部荒唐無稽すぎて、頭が追いつかないの!)


『いいんだよ追いつかなくて、置いていかれるなら置いていかれればいい。そこでじっくり考えて、追いつく方法がわかったなら走り出せばいい』

(なんで勝手に締め出してるの? 意味わかんないし)


『意味がわからないならそれでいい。意味がわかるまで考えればいい。そうして考えた結果、少しでも意味が理解できたなら、その時は未来を明るいモノにしろ。お前が踏み躙った全ての人に謝りながら、未来が良い方向に狂うように、それがお前ができる唯一の罪滅ぼしだよ』

(意味わかんない。なんでジミ様がそんなに偉そうなのかも意味わかんないし、何をさせたいのかも意味わかんないし、今まで全部無駄になったみたいで意味わかんないし、全部全部意味わかんない!)


 なんだったのだろう私の人生は、桜に憧れ花に恋され日々の生活を忘れ、その全てから逃げ出して、私自身も他人に押し付けて──それなのに結果は何も叶わず、挙げ句の果てには意味のわからない言葉で縛られる。

 本当に私は、何がしたかったのだろう。

 忘れてしまった。

 最初はもっと単純だったのはずなのに、純粋だったはずなのに──。

 死ぬのって面倒クセー!

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