大晦日は幼馴染のにおい

 大晦日当日になったからと言って何かが変わるようなことは特になく、強いて言えば由花が朝から家にいたことぐらいだろうか。だけれどそれもこの前起こった時ほどの衝撃もなく、そりゃそうという話で、前は突然いたからこそ驚いただけであって、今回は事前に約束をして、朝のこの時間行くから、というのがあった上での話なので、出来事としてカウントするようなことでもない。

 もしそれをカウントするのならば、私から約束の時間を遅くしてもらったにも関わらず、寝坊寸前だったこともカウントしなくてはならなくなってしまう。それは良くない。

 そのぐらい普通の出来事だとしておいた方が、私のためだ。

「そんなに楽しい?」

 と、私は無駄なことを考えるのをやめてゲームに夢中の由花の体に、手をかける。

 今家にはお父さんのみで、他の人らはそれぞれ買い物や釣りに勤しんでいる。

 そんな中で、雑談にも飽きてきた頃、由花がお父さんと一緒にゲームをやり始めてしまった。

 当初は「少しだけ」とか「今日ぐらいは」とかお酒を飲むための常套句のようなことを言いながら、コントローラーを握っていた。

 だけれどそれも、飲めば飲むほど飲まれていくお酒と同じで、やればやるほどムキになり、後一回、もう一回が何百回と訪れている。

 由花がゲームをやり始めてから一時間ほどが経とうとしていて、最初は見ている内に終わるだろうと思っていたのだけれど、全くとしてその気配がなかったので、由花に声をかけた。

 それなのに答えたのは、由花ではなくお父さんだった。

「楽しいぞー」

「お父さんには聞いてない!」

 と、私がキレ気味に返すとお父さんは、煽っているのかというほど陽気な雰囲気で言う。

「どうしたんだよ、そんなイライラしてゲームに友達取られて嫉妬でもしてるのか?」

「…………」

 してないと言い切れないことを、のほほんと言われてしまい、さらに言葉を失う。

「子供じゃないんだから、真穂も一緒にやればいいだろ? 三人でもできるしさ」

 表情で自分が言ったことが核心をついていたことを察したのか、黙っている私にお父さんは三つ目のコントローラーを渡してくる。

 こんなの払いのけてやろうと腕に力を込めたその瞬間、やっていたゲームにきりが付いたのか話に混ざっていなかった、由花が首だけを後ろに回す。

「まほちゃんもやろ?」

 その眼差しにすんでのところで止まっていた私の腕は、力を失い勝手に吸い寄せられるようにコントローラーを握っていた。

 やめてほしい。その子供よりも純粋な目を向けるのは。いやでも嫌と言えなくなってしまう。

「少しだけなら」

 そう言って由花の隣に座る。

 何年振りだろうかこうして由花と一緒にゲームをするのは。

 

 

 一時間というのはあっという間だった。おかしなぐらいに一つ前の一時間と、今の一時間が同じものとは思えないぐらいのスピードで過ぎていった。

 一応言っておくと、私が毎回もう一回を言っていたわけではない。順位が三位だった方が言っていただけだ。その回数が、私の方が比べるべくもなく多かったとしても、それは記しておかねばならない。ミイラ取りがミイラになるみたいな展開になっていても、それは仕方のないことだと言っておかねばならない。

 そもそもの話、お父さんが全て悪いところもある。お父さんが子供にも手加減しない、空気の読めない大人だったから、小さな争いをせざるを得なかったというだけ。お父さんが、どちらかに一位を譲っていてくれたら、その時点で負けを認められたのに──。

「随分長い少しだけだったなぁ」

 そう言ったのは、手加減を知らないお父さん、お父さんは勝ち誇った表情で、お酒を飲んでいる。

 私と由花は、醜い争いの結果両成敗という形での決着になったので、お父さんには何も言い返すことができずにいた。

 唇を噛むほど悔しいとは思わないけれど、やっぱり何かに負けるというのはそれだけで、何か感じ入るところはある。

 それは由花の方が顕著のようで、由花はお父さんもお酒を飲んでいて握っていないコントローラを一人だけ握りしめていた。

「あと一回だけ」

 それをCPUに対して言っているのだから、末恐ろしい。これは昔由花自身が手を引いて正解だったのでは、と今になって思う。

 あの時から懲りずに遊んでいたら、いわゆる廃人というやつになっていてもおかしくはない。この町だし、家の中で暇を潰せるならそれに越したことはない。

 よかったそうはなってなくて。

 そう思っていると、勝利のBGMがテレビから流れてきた。どうやらCPUにはなんとか勝利したみたいで、終了かなと、何故だか入っていた肩の力を抜こうと湯呑みに手をかけた瞬間、声が聞こえてきた。

「叔父さん、もう一回だけやろう」

 CPUに勝って調子づいたのか、それともお酒に酔ったところを狙ったのか、由花はお父さんに手招きをする。

 それに対して下戸のはずのお父さんは、フラフラと揺れながら返事をする。

「いいぞー、かかってこい。ぶっ潰してやる」

 普段では絶対に言わないであろうセリフを言いながら、テレビの前に座る。今にも倒れそうなほどグラグラと揺れるお父さん、画面をちゃんと見れているのかもわからない。

 由花がこれを狙ったのかどうかわからないが、もし仮にこれで勝っても負けてもどちらでも、気分のいいものではない気がするのだけれど、由花はそれでいいのだろうか。

「絶対勝ちます」

 そう宣言したので、きっと由花はそれでいいのだろう。勝ちは勝ち、どんな勝ちでもそれにはしっかり価値がつく。相手が酔っていようと勝負を了承したのは、相手なのだから。とかそんな感じだろうか。


 

 結果は、由花の敗北だった。とは言っても一度の敗北ではない、二度三度では飽き足らず、四度五度と続けたところで「もう一回だけ」由花がそう言った。

 けれどそのもう一回は訪れることなく、お父さんが口を押さえてトイレに行ってしまったことで、由花の集中の糸が途切れてしまった。

「勝てない」

 由花は、そう呟きながら大の字になって体を床に預ける。その格好は女子高生とは思えないほど恥じらいもなく、はしたないという言葉が似合ってしまっているが、気にした様子はない。

 流石に子供のようにジタバタはしていないが、それでも悔しさが体から滲みだているようだった。

「しょうがないよ。お父さん一日中やってるから」

 比喩ではなく、今年はどこに出かけるわけでもなく、異常なほどにテレビの前から動かない。お酒を飲んだのだって、珍しいことだ。お父さんもあれで、男なのだから若い人と遊んで気分が高揚したのかもしれない──そこまで考えて、それはないなと思い直す。あの人はお母さん一筋だからなぁ、引くぐらい。

「それはそうだけどさ……」

 と、由花が体を起こし、乱れた髪を整える。

「……勝ちたいなぁ、勝ちたい。けど本当に勝ちたいなら、今あるもの全部捨てないといけないよね」

「そのレベルなの?」

「多分ね。叔父さん昔はすっごいプレイヤーとかだったんじゃないかな」

 そんな話私は聞いたことがない。お父さんは普通のサラリーマンで、冬になるとここに帰ってきてゲームをしているだけの普通の人。そのはずなのだけれど。

「そういうものなんじゃない? よく聞く話ではあるよね。昔同級生だった子がテレビの有名タレントになってたとか、知り合いの叔父さんが実は大企業の偉い人だったとか、そういう意外と世間って狭いんだなって思わせること」

「まぁ確かに」

 由花の言う通りよく聞く話ではある。昔の友人が実はみたいな話は、ドラマや映画に限らず現実世界でも、お母さんやお父さんから聞いたことがないと言えば、嘘になる。

 その話の大きさは様々で実際には大したことがないってこともザラなのだろうけれど、時間が進みあの時のあの人は、あんなだったあの人が、そういった話が出てくるのは自然のことで、私だって十年前と比べれば別人のようになっているだろうし、それは由花にも言えることで。

 今はまだそれが、実感しにくいところはあるけれど、それもまた時間の問題なのだろう。

「無理だ」

 由花が真面目な表情で呟いた。

「何が?」

「私が、叔父さんに勝つのが」

「そうなの? 全部捨てれば的なこと言ってたけど」

「全部捨てればね、そりゃその内勝てるようになるかもしれないけど、私──まほちゃんとの時間捨てたくないもん」

 断言するように言われてしまうと、思わず照れてしまいそうになる。

「気にしなくていいのに、由花がやりたいことやりたいようにやれば」

 照れ隠しで心にもないことを言ってしまった。由花が私との時間を捨ててまでゲームに没頭していたら、我慢出来ずにゲーム機を壊してしまうかもしれない。お母さんはよく耐えてるな、と毎日のように思っている。

 だけれど、そんな私の言葉にも由花は確固たる意志を持って答えてくれる。

「まほちゃんと一緒にいる以上にやりたいことなんて、私にはないよ?」

 よく考えれば不思議な話である。人は常に何かしらの変化をしているはずなのに、私はどうして子供の頃から変わらず由花の一番でありたいのだろう。

 その芯は一度もブレたことがない。変わりゆくこの世界で、私だけがあの神社と同じで何も変わらず、春がくれば桜を咲かすように、冬がくればこの町に足を向ける。

 十年間変わらないそのルーティンのようなものは、当然苦痛なんかではなく、安心できるもの、日々を生きようと思えるもののはずなのだけれど、それでも思うことはある。

 私は、あの日あの場所で桜を見たあの時から、止まったままなのではないのか、と。

 ジミ様は言っていた。この山は一生変わることがないと、それは十年間破られていない予言になっている。町でさえ変化を見せているのにも関わらずだ。あの山は例えこれからもっとこの町に人が増えようと、変わることなく、春には桜をつけるのだろうという安心感がある。

 それと私が全く同一だとかはいうつもりはない。

 だけれど、どうしても考えてしまうことがある。そんなのは幻想で、私の妄想だとわかっていても考えてしまうことがある。

 私の由花への想いは、桜を見たら変わってしまうのではないかと。

 思えば不思議で、バカみたいなことではある。桜を見ようと約束して十年、何故今日まで私は由花と一緒に桜を見ていないのか。

 見ようと思えば見れないわけがない。学校の休みを使えばいくらでも会いに来れるわけだし、親の都合なんて考えずに、電車で一人旅でもすればいい。それなのにそれを一切、提案したことがない。

 本気で見たいと思うのなら、行動をしていないわけがない。

 それは心の底で何かを感じているからなのではないか、桜──その約束が私をこの町に縛り付けてくれているのではないかと。

 冬に桜は咲かない。

 そのことがわかっていても、足を運ぶ。

 なのに、春にも夏にも秋にも、運ぶことはない。

 あの枯れた木以外には、何も見たくないと言わんばかりに、私は変化を嫌っているのだろうか。

 変化に怯え、変化を怖がり、変化を嫌う。

 変態せずに幼虫のまま過ごしている。

 それを良しとして、私は日々を過ごしている。

 それは確かにド変態かもしれない。

 直感だけを信用して、約束を果たそうとしない。

 それを理解したとて、今更変えるわけにもいかない。

 私は、このまま一定の気温を保つ山にいる方が楽なのかもしれない。

 

 

 夜になった。蕎麦も食べて夜中になった。年越しも終えた。

 現在地は私の部屋、そのベッドの上で、決して広くはないその場所に、由花と二人で寝ている。

 そんなことで今更動揺なんてしないと、言えたら格好はいいのだろうけれど、残念なことにそうはいかない。

「久しぶりだよね。こうやってまほちゃんの隣で眠るの」

 由花が言っていることが、私が動揺を隠せない全てだ。

 久しぶりなのだ、いくら一年一回は会うとは言っても、お互いの家に泊まるということはなかなかあることではなく。あったとしても小さな頃、このベッドで寝ても手狭ではなかった頃の話だ。

 その頃は、お互い眠る間も惜しんでお話しに勤しみ、寝なさいと注意されることもあっただろうが、今は違う。

 今は私も由花も、体が成長していて、横を向けば相手の顔がゼロ距離になり、手や足も常にぶつかり合っている状態。

 そんな状態で、お話しに勤しむ余裕なんかあるわけがなく、さっさと寝てしまおうと目を瞑ったタイミングでの、由花の一言だった。

 返さずに、寝るという選択肢を私が取れるわけもなく、なんとか天井に目を合わせることで、平静を保つ。

「かもね」

「かもねって、また忘れてるの?」

「忘れてるというか……」

 考えられないの方が正しい。実際正確な年数までは覚えていなくとも、一緒に寝たことがあるというのは、覚えている。

 天井を見て落ち着かせているはずなのに、私の口はそのことを喋ってはくれない。

「薄情もの……」

「ごめん」

 私の言葉を待っていた様子だったが、諦めたのか由花は、小さくつぶやいた。謝ることしかできない。由花の求めている答えが、私から出る気がしなかった。

 由花はきっと、何年の何日まできっちり覚えているだろうから。

「……じゃあさ、今日は忘れないようにしようよ」

 由花はゴクリと覚悟を飲み込んだ後に、そう言った。

「…………」

 いまいち何が言いたいのか掴めなくて、私は息を呑むことしかできない。忘れないように、今年は例年にもまして色々なことがあったせいで、キャパオーバー気味なのだけれど。

「まほちゃん、こっち向いて」

 言って由花は私の顔に手を置いた。

「……?」

 わけもわからず、由花の手が私の顔の向きを変える。それに逆らうことなく、私は身を任せる。

 そこにあるのは──由花の微笑みだった。

「可愛い……」

 見つめ合う形になって、最初に呟いたのは由花の方だった。

 私の頬に手のひらを乗せている。

 押さえつけているとかではなく、そっと乗せている。重さなんて感じずに、私はただ、由花の顔を見ることしかできなかった。

「私は? どう?」

 私に対する由花の問いかけ。

「可愛いよ」

 言うと由花「へへ」と、少し照れくさそうに笑った後に。

「ありがとう」

 と、さらにもう一段階柔和な笑みを見せる。

 由花の問いかけに答える時、私には何の恥じらいもない。動揺していた心も落ち着いているようだった。

 その笑顔を見ていると、自然と心が落ち着いていくのがわかる。

 何も考えなくていいと思った。

 息をするのも目を瞬くのも、何も忘れなくていい、自然に自ずと、由花に任せればいい。

「これでも十分だけど」

 由花が私の頭全体を抱きしめるように、手を後ろに回す。抵抗することなく私はそれに従う。

 由花が私を引き寄せる。

「もう、忘れないでほしいな」

 由花が、私を胸元に引き寄せる。

 私の体全体が抱きしめられる。ぎゅっとではなく、フワッと私は由花に捕まった。

「努力はするよ」

 忘れない努力なんていくらでもできる。それが結果に結びつくのかは、その時々次第。だけれど今回は、最大限の努力はしようと思う。

 理由は単純で、私が忘れたくないから。

 この瞬間を、この暖かさを、この愛情を──忘れたくないから、今はただ、忘れないように眠ろう。

 優しく抱きしめてくれている幼馴染の胸の中で──瞼を閉じよう。

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