気持ちの悪い先輩 三

 

「先輩は?」

「バスの時間だからって帰ったよ」

 そうだっただろうか、多分そうだった。バスなんて乗ったこともないし、先輩が帰ったのかどうかも知らない。

「そうなんだ……荷物どうしよう。さっきまほちゃんが走って出て行ったのを、追いかけるように走ってったから、何個か置きっぱなしなんだよね」

「冬休みが終わったらでいいんじゃない? スマホとかの鞄は持ってたみたいだし」

「そうだね。一応連絡だけ入れとくけど、冬休み明けに返しますって」

 そんな会話をしながら私は、まだ冷めていなかったお茶を啜る。「入れ直そうか?」と聞かれたので、手で制す。

「大丈夫、まだあったかいし、ほとんど飲まずに出ちゃったから、量も残ってるしね」

 炬燵に潜る。冷えた手足が息を吹き返すように、体から力が抜けていく。

「先輩と何か話したの?」

 机に置かれたお菓子をつまみながら由花は、私が戻ってきたことには疑問を呈さず自分の湯呑みに茶を注ぐ。

「特には……由花をよろしく的なことは言われたかな」

 嘘は言っていない。私があの最後の言葉から読み解った意味がそうだっただけだ。

「……そうなんだ」

 不思議な表情を見せる。深い付き合いがあったからそこまで、暗くなるのか、それとも浅いからこそ何も感じていないのか、関係値がわからない私には、由花の表情からその真意は読み解けない。

 だけれど、どちらだったとしても先輩という名前もわからない人が、由花の側にいることはなくなったということだろう。

 もう一度茶を啜る。思ったよりも喉が渇いていたみたいだ。外であれだけ喋り倒したのも、なかなか経験のないことだったし、仕方のないことかもしれない。

「そうだ!」

 話を変えるように由花が手を叩いた。

 由花にとって先輩とはその程度の人間だったということなのだろうか。

「まほちゃんにプレゼントしたい物があるんだった」

「プレゼント? 私誕生日は終わってるけれど」

「いやいや、誕生日だからってわけじゃなくて単純に私の趣味──的な?」

 言うと由花は、炬燵から足を出して玄関の方に歩いていく。

「まぁ私だけ、というよりかは半分以上先輩からのプレゼントみたいな形にはなっちゃうんだけど」

 ますます意味がわからない。私とあの人は、物を送り合うような仲では到底ないはずなのだけれど。

「よっこいしょ」

 年寄りのような掛け声と共に、居間近くの廊下から由花が、一つの袋を持ってきた。

 見覚えのある袋だった。今日この家に上がった際に見た、由花が着るサイズではない服がパンパンに詰まった袋。どちらかと言えば先輩や私のサイズ──。

 その袋の中から由花は、どれでもよかったのだろう、一着雑に取り出した。

「ジャーン」

 由花が取り出した服は、いくらファッションに疎い私でも、これは自分には似合わないとわかるぐらい可愛らしい、ものだった。

「可愛いとは……思う」

「だよね、あとはこれもこれも」

 と、次々に取り出される服たちはどれもこれも私には、不釣り合いなものばかり、言ってしまえば私の趣味ではないものだけれど、そのどれもが流行りを感じさせる。

「これ全部先輩のやつ?」

 私は一番近くにあった一着を手に取って訊く。

「そうだよ……先輩はオシャレさんだからね。こういう服いっぱい持ってるんだよね」

「それがどうしてここに?」

 由花が手に持った袋が、魔法の袋であるかのように、何着も何着も絶え間なく袋から取り出されていく。床にはそんな服たちが散りばめられ、一人の人間が持っていた量には思えない。

「私、先輩に訊いたの。まほちゃん、いつも同じような服装だからどうにかしてあげたいんですけどって。そしたら余ってる服全部くれるって言うから」

 貰った。

 由花はそう言った。その視線の先には先輩の影は、ないようだった。

 先輩は今日それを渡しにここまで来ていたのだろう。この沢山の服たちを担いで、バスに乗り、バス停から寒空の下を歩き、ここまで来た。

 それはとっても──。

「ありがたいね」

 言うと由花も、共感をしてくれた。

「だよね、先輩いつも私に優しくしてくれてて、助かってるんだよね。それに、会う時会う時、毎回違う服を着て来てて、ファッションの参考にもなるし、何よりも見たことないまほちゃんを見させてくれそうで、感謝しかないよ」

 袋から最後の一着が取り出された。その服は相も変わらず私が好むタイプではなかった。それに加えて、冬にはとてもじゃないが着ていられない薄い生地が目立つ。

 その一着を由花は、私に重ねるよう手に持った。

 そして何度か考える素ぶりを見せた後で、微笑んだ。

「うん。やっぱり似合いそう」

「そうかな?」

 と、私ははっきりとは言わずともあまり好みではないことをそれとなく伝えるが、由花には意味をなさなかったようで、手に持っていた服を強引に私の手に握らせた。

「着替えてきて」

 その一言が、これから日没まで行われるモデル私だけ、観客も由花のみのファッションショーの開幕宣言となった。

 私は何も言い返すこともなく、手に持たされた服に着替えるために居間を出る。

 寒そうな服に多少の恨みを持ちながらも、こうなってしまった由花を止めるのと比べれば着替えるほうが何倍も面倒ではなかったので、私は大人しく着替え始めた。

 由花の骨を折るのがどれだけ大変かを私は、よく知っていたから──。

 

 

 ファッションショーは、上場に終わった。

 私の着こなしは大方評判は良かったが、何着かは由花のお気に召さなかったようで、表情を曇らせていた。

 私は、その何着か以外の服を袋に詰めて、玄関で靴を履いている。

 流石に、すぐに全ての服を着ることはできないけれど、元々くれる予定だった物ならと、黙って貰っておくことにした。

 外は真っ暗で、なんだかんだいつもと同じような時間帯の帰宅になる。

 昼間の曇りはもうすっかりなくなっている。

 空には月が浮かんでいて、近くの水面に映り込んでいた。

「ああ、そうだ」

 その月を見て思い出したわけではないが、言い忘れていたと言うか聞きそびれていたことをふと口にした。

「今年は、由花の両親帰ってくるの?」

 由花の両親は、由花が小さい頃から色々な街、色々な国を転々としていて、帰ってくる時はまちまちで、正月だからとか関係なく、突飛のない日に帰ってきたりもする。そのせいもあって由花はこの田舎町で清水のおばちゃんと二人暮らし状態だった。それは今も変わっていないようで、おばちゃん亡き今由花は、一人暮らしになっていた。

 由花はかぶりを振る。

「ならさ、大晦日家、来ない?」

 訊くと由花は、横に振っていた首を縦に振り直す。

「いく!」

 即答だった。

 今まではおばちゃんと過ごすからと、大晦日の夜を一緒に過ごしたことはなかった。

 会うのは年を越してから、朝を迎えた後──別にそれが嫌だとかではなかったのだけれど、今年はせっかくならと。

 初めて会ってから十周年、そんなことを気にするタチではないけれど、そういう理由づけをしてしまった方が事は早く進む。

 乗り気すぎて、気圧されてしまいそうになるが、なら、とついでにしたかったことの約束も取り付けてしまおう。

「初日の出も見ようよ。なんだかんだ見れてないし」

「…………」

 これも即答してくれると思っていたので、返事が返ってこないことに若干の違和感を持ちながら由花の表情を確認すると、由花は疑いの目をこちらに向けていた。

「毎年してる……初日の出見ようって毎年言われてる。それなのに、毎年毎年まほちゃんが起きてこなくて見れないんだよ?」

 わかる? と目を薄くする。

「今年こそは、起きるよ」

 言うと由花は、深くため息を吐く。

「それも毎年聞いてる。今年は、今年こそはって、その度に私は……はぁ」

 完全に呆れられている。さすがの私も、悪いなとは思ってはいる。毎年のように約束をブッチしてしまっているのは、申し訳ないとは思うけれど、弁解の余地なんてないけれど、それでも今年は絶対の自自信があった。

「でもほら、今年は由花がいるから」

「起こせって?」

「そうそう、由花の声でなら私も……多分起きるから」

「それでも多分なんだ」

 言ってもう一度ため息を吐いた。そのため息は呆れ半分諦め半分、余った箇所に希望でも入っていそうなものだった。

「わかったよ」

「やった」

 私は小さくガッツポーズを取る。

 すると、そのガッツポーズに忠告するかのように由花が言った。

「でも、これで最後だからね。もし今回ので起きなかったら、今後は起こしもしないし、起きもしないから」

 それも毎年聞いているような気がしないでもないけれど、由花なりの優しさを無下にもできないので、特に突っ込むことはせず。

「わかったよ」

 とだけ返事をした。

 由花は「本当かな」と疑いの目を向けたままだったが、何も言わない私に覚悟というほど大仰なものではないが、何かを決めたように言った。

「じゃあ、また明日」

「また、明日」

 片手を上げて、色々な重い服が詰まった袋を持ちながら、私は由花の家に背中を向ける。

 外は暗く月明かりのみが、私の帰り道を照らしている。星たちは薄い雲に隠れていて姿は見えない。それでもそんな雲にも負けない、月が浮かんでいた。

 大晦日まではあと三日ほど。

「ねこねこねーこねこねーこ」

 私はうろ覚えの適当な鼻歌を歌いながら、道を歩く。

 歌が終わる頃には大晦日になっていることだろう。

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