気持ちの悪い先輩 一
タイムカプセルを開けてから二日ほどが経った。私は、相も変わらず暇を持て余していた。そうしているとやいのやいのと『お年頃』というワードが飛んでくる。それが嫌で、私は家を出る──目的地は由花の家、そこ以外に行く場所もないし、行くべき場所も行きたい場所もない。
晴れた空の下をブラブラと、動物のように私を甘やかしてくれる由花の元へと向かう。
猫になりたい。
道を歩きながらすれ違った猫を見て、そう思った。
気になったモノに手を出し、気に入らなくても手を出す。自由に町を探索し、奔放に餌を縋る。近づいていけば、全員が優しく撫でてくれて、拗ねたとしてもそれすら愛おしく思ってくれる。
そんな猫に私はなりたい。
「ねこねこねーこ、ねーこねーこ」
田舎町で周囲に誰もいないからこそ出来る鼻歌を歌いながら、道を歩く。
ここ最近は毎日のように歩いている道だ、いくら一年ぶりとはいえそろそろ新しい発見もなくなっている。家がそうそう新しく建つわけもなく、変わり映えのない景色を単純作業のように、歩いていく。
時刻は午後二時、少し着込みすぎたかもしれないと、腕をまくる。
この時期は地味に着ていく物が難しい気がする。少し布を減らせば寒くなり、少し増やせば暑くなる。時間帯によっても変化が激しくて、面倒だなと思う。
ファッションという物に別段興味があるわけではないので、毎日同じ服装で腕をまくる必要性もないくらい、一定の気温を保っていてほしい。
あー、でもそうなった場合由花の色々な服装が見れなくなるのか、それは困るかもしれない。ただでさえ写真を除いた場合冬服しか見たことがないのに、冬の季節で毎日同じ気温だったら、少ないバリエーションがさらに少なくなってしまう。
バリエーションといえば由花はどうやってネットも使わずに、服装を選んでいるのだろう。由花の部屋にもファッション雑誌などが置いてある雰囲気はなかったので、誰かから教わっているとかなのだろうけれど。
この町に由花以外の女子高生はいなかったはずだし、あの新しくできた家の人たちなのだろうか。
でももしそうなら、由花と話している間にその話題が出そうな物だけれど、ここまで狭い村のような町で接点を持たないなんてできっこないだろうに。
「うーん」
猫のことから一転して、由花の交友関係に流れていきそうになったところで、目的地に到着した。
私は扉を数回ノックする。
「由花ーいるー?」
いなかったことなんてないので聞かなくてもいいことだけれど、親しき仲にも礼儀ありとも言うし一応忘れることなく毎回、音を鳴らす。チャイムがあればそちらの方が気は楽なのだけれど、扉を叩いている絵面はどうも、怖い方に見えてしまう。
そんな私の心情を知る由もなく、今回も例に漏れず中から声が聞こえてくる。
「いるよー」
普段と何も変わらないやり取り、この後私は扉を開けてそのまま居間に行き、由花と他愛もない話をしながらお菓子をつまみ、時間がきたら家に帰り寝る。そんな動きのない一日が、私の普通なのだけれど。
なのにどうしてこんなにも、嫌な予感がするのだろう。
直感なんて当てにする物ではない。大抵は気のせいだし、気のせいじゃないとしても、大したことはない。気にするほどのことでもない。そんなことがザラだ。
今回もそうだと思うことにした。
それに友達の家に上がる直前に、直感がどうのこうのとか考えていたらそれは、浮気現場を目撃する前の主婦みたいに見えてしまう。
私と由花はそういうのじゃないので、別段由花が誰と仲良くしてようが、私には関係ない。
それにいくら普段はこの誰もいない田舎町で一人暮らしのようなことをしているとはいえ、平日は学校に通う子供の一人なのだから、そこでの知り合いの一人や二人いてもおかしくない。私だって地元に戻れば、ちょっとはいる。むしろこんな私にもいるのなら、由花に友達がいない方が本当におかしな話になってしまう。
「…………」
一度扉の前で深呼吸をする。
何があっても冷静に、私の前から由花がいなくなるわけではない。私は由花との約束がある。まだ桜は見ていない。その約束を果たさないまま、由花が消えるなんてことはない。由花がそういう子ではないことは、私が一番知っている。
由花は優しい子だから。
私は扉を開けた。ガラガラという音が響く、横開きの鍵もついていない扉を潜り、玄関で靴を脱ぐ。
玄関には知らない靴が一足置いてある。由花の物と同じ簡素なデザインだったので、高校指定の靴だろうと一目見て理解する。
気にすることはない。
私はそのまま足を進める。
居間までの道すがらに知らない鞄と荷物が置いてある。中身はチラッと見える限り服のようだけれど、目算するにサイズが由花よりも小さい、あれじゃあ由花は着られないだろう。
気にすることはない。
居間の目前にまで来た。
声がした。
私と話す時とは声音が違う、口調も違う、言葉尻も違う、敬語で喋っている。
それなのに、とても楽しそうだった。
目上の人と話す態度ではない。砕けていて、それでも許される間柄ということだろうか。
気にすることはない。気にすることではない。気にする意味がない。
私は居間に足を踏み入れる。
居間に一人の女がいた。
私の足と口が勝手に動き出した。足は由花の方に口は女に向けて。
「私のゆいちゃんを取らないで‼」
決死の叫びだった、由花の腕を抱きしめ、自分のだと主張する。
すると女は笑った。大爆笑だった。これでもかと笑い転げている。
反対に由花はカァーッと顔全体を赤くしつつも、頭を押さえて呆れた様子でこちらを見た。
私は、今自分がしでかしたことを思い出して濁流のように押し寄せた感情の処理が追いつかず、ボケッと天井を見上げることしかできなくなった。
「安心して、私処女じゃないから」
混沌していた状況がなんとか落ち着きを取り戻し始めていた時に、目前の女性は突然、脈絡もなくそんなことを言った。
突然すぎて反応が遅れてしまう。この方は何を言っているのだろうか、そりゃ言葉の意味ぐらいは知っているけれど、それを臆面もなく平然と言いのけられると、私が間違っているかのように感じられてしまう。
そういう話をしていたわけではなかったと思うのだけれど。
私が天井を見上げている間に、笑い転げていたこの女性はざっくりとではあるが、自らの素性の説明してくれた。
訊くに、名前は言いたくないので『先輩』と呼べ、年齢は私の一個上、出身は隣町、学校は由花と同じ、身長や体格は由花よりも全体的に大きい。
名前以外はあらかたわかったところで、この先輩は自ら暴露を始めた。
話の流れ的に、次は事の本題であるはずの、先輩と由花の関係についてを、私が望んで聞きたかったわけではないが、先輩が話してくれると思っていたところに、強烈なパンチが来たので腰が抜けてしまったというのが、話の現状。
隣では私のようになっているわけではないが、見てはいけないもの──聞いてはいけないものを聞いたかのように、口をパクパクさせてアワアワとしている由花の姿がある。なんともいえない可愛らしさに包まれている。
そんな由花をいつまでも見ていたいが、それはまた後日にするとして、今は一言でこの場の空気を変えた爆弾を処理しなければ。
そう思って私は「あの」と、閉じていた口をなんとか開こうとしたその時、爆弾は自ら導火線の火を止めた。
「ああ、ごめん。いつものノリで喋っちゃったよ。訂正します……大丈夫私、彼氏いるから安心して」
キラっと擬音がつきそうなほど完璧なウインクと共に訪れた訂正を聞いて、私の口から声が漏れる。
「彼氏……」
気にすることもないワードのはずなのに、どうしてこうも安心が声に乗って漏れるのだろう。
すると、そんな私の手に先輩は自らの手を重ねてくる。
「そう、彼氏……もう青さなんて何処かに行ってしまった純情と初心なんて言葉も殺してしまった彼氏が私にはいるから、安心して……私が清水を強奪するなんて展開はありえないから、ね」
「強奪……しない……彼氏いる」
「清水はあなたのモノ、私なんかが奪い取れるモノじゃない」
壊れたモンスターのように単語を呟き続ける私に、先輩は囁きかけてくる。耳元がゾワっとする。
そのゾワが私を正気に戻させた。
由花は頭をボワボワさせたままなので大丈夫だとは思うが、一応念のため小声で言う。
「由花とはそういうのじゃなくてですね……」
「そういうのじゃないって、じゃあどういうの?」
「だからその……由花を奪われるとか、取られるとか言ってのは、言葉の綾というかですね……単純な言い間違い、その場の空気とかに流されて出ちゃった、間違いというやつでして」
我ながら苦しい言い訳だとは思う。あの状況に出会した人間は、誰しもが本気だと思うだろう。
「…………間違いね。じゃあ別の答えがあるってこと?」
「…………」
そんなのあるのだろうか。私が反射的に行った行動が、全てではないのだろうか。そこに割り込む隙なんて存在していなくて、私は性格の悪い女なのだろう。
「そんなのは、ないです」
間違いなんて何もない。言葉はあれで正しくて、違うのは意味と伝わり方。
根っこの部分で私は子供の頃から何も変わっていない。
私の中での由花という存在は、出会ったあの日から何も変わっていない。そこに新しい感情が割り込むことはできない。
「私は、由花のことが好きではないです」
「何じゃああなたは、由花を好きじゃないのに、取られたくはなくて、隣にはずっといてほしくて、この町に縛りつけてる酷いやつってこと?」
改めて言葉にされると、自分でも訳のわからない、独占欲だけが浮き出てきている人間にしか見えない。
だけれど、それを否定する材料ももう私にはなくて。
「…………」
ただ、黙っていることしかできずに唇を噛む。
自分が丸裸にされていくような感覚──とても気分が悪い。
なんなんだ突然、私はこのまま普通に大人になるまで関係値を変えずに、生きて行こうと思っていたのに、どうしてこうも突然歯車が狂い出してしまうのか。
私を守っていてくれた何かが、割れてナクナッテしまったかのように、全てが狂い始めている。
この人のことだってそうだ。いくら由花がこの町以外のことを話したがらないとは言ったって、話題には出ているはずで、一度は聞いたことがあるはずなのに、私は忘れていた。
隣町──そこはここと変わらないぐらい田舎で、人の数も多くはない。そこの学校に通っているという時点で、全員が知り合いというのは、変わらないはずだ。
小学生の時から今に至るまで、私は由花の交友関係を知らないはずがない。
なのにあそこまで動揺してしまったのは、初めて外の人間を見たからだろう。
外から来た私以外の外来種が気に入らなかった。私以外の女が由花と話しているのが、嫌で、つまらなくて、ムカついたから、昔の私を盾に矛を突きつけたのだろう。
だけど、その矛は自分で思っているよりも脆くて、先輩にとっては武器とすら思えないぐらいに尖ってもいなくて、簡単に私の懐に入り込んでくる。
先輩はそういう人間ということだろう。
「否定はなし。自己否定もなし。それが正しくて、自分は何も間違っていないそう思ってるってことだ」
「…………」
「清々しいほどに、子供っぽい」
先輩は私から手を離す。そのまま炬燵の中に包まれるように入り呟いた。
「さっむ」
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