過去を覗く 二
「春なら桜が綺麗なんだけどなー」
私を見つけた由花が、後ろ手を組みながら、小石を蹴っている。残念がっている様子だった。
「写真とかはないの?」
春に向けて英気を養っている木々たちを、見ながら訊く。今にも枯れそうな細い枝もあれば、冬なんて感じさせないほど、たくましく育っている木々もあって、自然がない場所で育った私にとっては新鮮な景色だった。
「うーん、どうだろ。おばあちゃんなら持ってるかも」
由花は、社の階段で神様と話している清水のおばちゃんに声をかける。
「おばあちゃんー」
すると、おばちゃんは神様に向けていた悲しげな表情を柔和な笑みに変えて、こちらを向く。
それを見て、由花と私はおばちゃんがいる場所まで、走っていく。とこどころにある段差や小石につまづかないように。
「おばあちゃん、写真ってある? あそこのサクラが咲いてる時のやつ──まほちゃんに見せたいの」
由花は無意識なのか、わざとなのかぴょんぴょんと、うさぎのように飛びながらおばちゃんに話しかけている。無邪気な子供が、お宝を見せるように飛び跳ねている。
おばちゃんはそんな可愛らしい由花の頭を撫でる。だが、自分自身の頭は捻らせて、困ったような表情を見せた。
「写真、写真……あんまり撮らないからねぇ。毎年見れる物だったし、あったかなぁ、どうだったかなぁ」
「そっか……見せたかったな」
由花は、ぴょんぴょんと跳ねていた足を止める。あからさまに機嫌を損ねしょんぼりとしている。さきほどまで咲いていた花が、みるみるうちに萎んでいき、しまいには境内の砂に、桜の木々を描き始めてしまった。
「来年は、写真撮っとこうか」
おばちゃんは、視線を由花の位置まで落とすと、優しく言う。
今思えば、この時点でおばちゃんは私の家族がこれから数年はこの町に来るのを知っていたのだろう。お母さんかおばあちゃんあたりと話していたはず。
だけれど、当時の由花にしてみたら、私が次いつここに来るのかなんてわからない、もしかしたら一生に一度のチャンスなのかもしれない。そう思い込んでしまっても仕方がない。
私だって、由花の立場ならそうしているだろう。
だから、今にも泣き出しそうな目をしていたのだろう。
するとそれを見かねてか、今まで黙って二人のやり取りを聞いていた自称神様が、平然と言う。
「桜ならわちが見せてやろうか?」
その言葉におばちゃんは後にも先にも私には見せなかった、ギョッとした目で自称神様を見る。その目から怒りと驚き悲しみ、全てが入り混じっていた。
そんなおばちゃんとは反対に、由花は目をキラキラとさせて、自称神様に近づいていく。
自称神様は、今にも何か言いたげなおばちゃんを片手で制す。
「どうせ先は長くない。一度くらいなら対して変わらなろうて」
そして、おばちゃんが目を逸らすのを確認してから、未来ある子供の頭を撫でる。
「ホントに? ホントに桜見せれるの?」
その子供は、グイグイと距離を詰めていく。諦めるしかないと思っていたところに、現れた金色の光。由花は、羨望の眼差しを向ける。
「できるぞ。わちは神だからな」
やはり嘘なんてついていないかのように、平然と言ってのける自称神様は、由花の頭を撫でながらこちらを見た。
「おお、そこの娘もこっちにこい」
自称神様は、黙って見ていた私に手招きをする。
私は、断る理由もないのでストスト、小走りで近づいていく。
私が、社の前にたどり着くと、由花の頭から手を離し、自称神様は立ち上がる。
「一瞬だからな、ちゃんと見ておけよ。未来ある若者二人──それとそこで拗ねてるアキラもな」
私たち二人の背中に手をつけて、桜の木がある方に向きを変えさせる。その手は、どの大人よりも立派に感じられた。それと同時に、自称神様は昔からの友人であるかのように、清水のおばちゃんの名前を呼んだ。
清水のおばちゃんは、驚いた様子で私たちと同じ方向に視線を向ける。
私が今見ている景色は、冬の園。雪はないが、草木は枯れ、皆が寒さを凌ぐことに精一杯──風は冷たく、息も白い。雲は厚く、それでも日の光が微かに見える。生というモノが欠け落ちた、未来を感じるには、不適切な空間だった。子供の頃の私は、きっとそれを一言で、寂しい景色と思ったに違いない。
しかしその寂しい景色は、突如として姿を変える。
強い風が私の髪を揺らす──けれどその風は、冬の冷たい風ではなく、春の訪れを告げるような、暖かく桜を届けてくれる風だった。
暖かなその風は、私の髪を揺らした後、今の今まで枯れていた木々たちの枝葉を揺らす。すると、風に煽られた木々たちは桜の花を咲かせた。初めは一輪だった花も、連鎖するようにして花々へと変わる。花々は、次第に花畑へと姿を変える。桜の木々の周りには色々な草花が生い茂り、暗かったその場所に光が灯る。
気づけば桜が咲いていない木々はなくなり、その景色は、寂しい景色などでは到底なくて、賑やかな景色に変わっていった。
だけれど、その光は瞬きをする間もなく消えてなくなる。
本当に一瞬だった──桜が咲くのも散るのも、季節の移り変わりを感じる暇もないほど、私の目前にあった夢のような時間は過ぎ去った。
「…………」「…………」
隣にいる由花も同じモノを見たいたのか、二人して口をポカーンと開けたまま呆然と木々を見ていることしかできない。
あれがなんなのか、私の理解できる範疇を超えている。それでも、寂しさを覚える。
あの景色が、もう一度見れるのなら、いつか──一日中眺めていたい。
そう思った。
「大人になった時見に来ればいい。町はこれから変わっていく。が、それでもこの場所だけは、絶対に変わらないのだから」
私の心を読み取ったかのように、自称神様は、私の背中を摩る。背中を押すように、私を前に押し出すように、大きな手が未来を見してくれた。
清水のおばちゃんは、私たちから少し離れた場所で、涙を流している。その涙が何に由来する物なのか、何を思って、何に届けるためなのか、大人になったらわかるのだろうか。
「ジミ様──私大人になって、春になったら絶対観に来るね」
私の中でこの人が、神様だという確証のような物は生まれなかった。やっぱりどこまでいっても金髪のだらしない観光客のような認識だったのだろう。ただ、あの桜を見せてくれたのも、また事実だったので愛称で呼ぶことにした。
自称神様のジミ様。
ジミ様は、なんと呼ばれようと気にしないのか、大仰しく私の髪をわしゃわしゃと撫でるように弄る。
「おうおう、来い来い」
親戚の子供を揶揄う叔父さんのような雰囲気を纏いながら、ジミ様は私の髪がボーボーに乱れるまで弄り倒すと「そうだ」と言って私の首を回転させる。
私の首が移動した先は隣で、ボーっとしたままの由花の方向だった。
「い、痛いよジミ様」
無理矢理に回転させられて首に痛みが走る。
「ああ、スマんスマん」
私が首を抑えると、ジミ様はいい加減に手を合わせる。
そして、何事もなかったかのように、私の首を動かした理由を話し出した。
私はムーっと睨むが、ジミ様の話でそんな痛みはなかったかのように忘れていった。
「もし、お前が本当に春に桜を見る機会があったならその時は、この子と一緒に見てやってほしい」
なんで他力本願なのだろうとは思った。ジミ様も一緒に見ればいいのに。
だけれど、それ以上にその時の私に桜を由花と一緒に見ていないという未来は、見えていなかった。
さっきの夢みたいなこの空間に、私が一人でいるのなんて想像ができない。
まだ、会って数日だったはずなのに──そう思ってしまうのは、この町にある雰囲気だろうか。
「当然」
子供ながら雰囲気に流されてはいたのかもしれない。だけれど事実として十年経った今も、離れている未来が見えないのだから、あの時の私の行動は間違っていなかったのだろう。
私は、隣の眼鏡少女の手を握る。
私の手と同じぐらいに冷たくなったその手を、温め合うように、握る。
握られた由花は、現実に意識が戻るのと、友達に手を握られるという初めての経験を二つ同時に行ってしまったせいからか、頭から湯気が昇っているが、それもこの場を温めてくれるようだった。
夏休みの魔力だからみんな言っていると思っていた。暑くてみんな頭がおかしくなって、あんなセリフを恥ずかしげもなく言っているのだと思っていた。
青い夏は確かに魅力的で、子供にとっては憧れだろう。
でも、私が経験したのは──淡い冬。
ほのかな水と、ほのかな火。
厚い雲が、うっすらとした日を隠す。
初日の出を見ることは眠くて叶わない。
子供は早く寝て、遅くに起きる。
だから、ここで言う。
「大人になっても……ここに居て」
自分が来る自信はある。
自分が来れなくなることはない。
だけれど、由花がいなくなってしまったら、ジミ様の願いも私の想いを叶わなくなってしまう。
そう思って紡いだ言葉だった。
由花は、わけもわからないだろう。私とジミ様の話なんて聞こえていないだろうし、突然呪いの言葉を言われたのと対して変わらない。
それなのに由花は、大きく頷いた。
「うん。待ってる……ずっとこの町で、まほちゃんが来るのを」
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