フーテン、エロを語る

 君達はレンタルビデオ屋に行ったことがあるだろうか。

 僕は子供の頃から映画が好きで、片道30分の道を自転車で通っていた。汗でへばりついた制服を一気に冷ます冷房。見たことも聞いたこともない映画の予告。想像を掻き立てるパッケージ。思い出すだけで映画が見たくなり、原稿そっちのけで、デニーロ主演の「タクシードライバー」に見入ってしまった。思い出はいいことばかりではないようだ。


 近頃はサブスクの台頭で、どんどんレンタルビデオ屋が潰れている。僕が学生時代に通っていたビデオ屋も潰れてしまった。跡地にパチンコ屋が立ったのを見て、酷くグロテスクな画像を見たときのような気分になった、

きっと今の小学生達は知らないのだろう。周囲の目を避けて、向こうに何があるのか想像し、身悶えする。あのR18のカーテンを。

 あのカーテンはなんのためにあるのだろうか?と、当時はよく周りの大人に聞いてみたものだった。すると判を押したような答えが返ってくる。

「健全じゃないからよ」

 僕はそれを聞いて、いつも憤慨していた。健全なものだけを与えられた子供はどうなってしまうのだろうか。大人になったら当然知るべきものを、「健全じゃない」だけで奪われ続けた子供は、果たして大人になれるのだろうか。

 今の子供達は僕たちの考える「エロ」とは離れた場所にいる。管理され、洗練された情報を詰め込まれている。「エロ」に触れたいと思ったら、スマホなりSNSなりで探せばいくらでも見つかる。彼らはきっと知ることはないだろう。空き地に投げ捨てられたガビガビのエロ本を開く時の背徳感を。友達の兄貴の部屋を探るときのスリルを。

 懐古主義との声も聞こえそうだが、だまらっしゃいと胸を張って言える。現在フーテンとして、進歩のない日々を送っている身としては、過去の事しか興味がないのだ。


 古い映画だが「スタンドバイミー」という映画がある。小説家の主人公は、ある日幼馴染が亡くなったとの知らせを受ける。主人公は、かつて少年だった頃みんなで死体を探して歩いた冒険を思い出すというのが簡単なあらすじだ。

 僕たちにとっての死体はエロ本だった。河原にあった廃工場には、よくエロ本が捨てられていた。そこは少年だった僕たちにとって秘密の場所だった。きっとエロ本を捨てる大人達もわかっていたのだろう。なぜなら彼らもまた子供だった時があり、同じようにエロ本を探し求め、冒険したことがあったからだ。そして次の世代へとエロ本は引き継がれていく。僕たちは今の少年たちに何を残せたのだろうか。

 深く考えるとそれだけで1話書けそうになるが、今回はエロについてだ。話を戻そう。


 思うに、R18のポスターは、一種の通過儀礼なのではないだろうか。あのカーテンの向こう側に憧れ、下半身をモジモジさせているうちは、まだ立派な「少年」なのである。

 しかし、あのカーテンの向こうに行こうと決心したその瞬間の胸の高鳴り、それこそが少年を大人にするのだ。カーテンをくぐるくぐらないは、問題ではない。そうやって僕は大人になった。今の少年達はどうやって大人になるのだろうか。スマホの検索履歴を一度見させて欲しい。案外僕よりえげつないものを調べているかもしれない。それなら僥倖だ。腹を割って話ができる。


 僕は大人になった今でも、潰れていない近所のビデオ屋にいく。そこでは昔ながらの名作映画がずらりと並んでいる。客は少なく、大変居心地がいい。

 僕はそこで映画のパッケージを眺めたり、次々と流れる新作映画の予告編などをぼんやりと見つめて、やくたいもない時間をなんとか消化している。

 誠に勝手ではあるが、客は来ない方がいい。特に家族連れはいけない。家族連れの、午後から家族団欒で映画を観ようとするホクホクとした幸せ顔をみるだけで、僕のようなはみ出しものは、冷や汗をかきながら退散してしまうのだ。

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