フーテン、花火大会を思い出す

 去年、花火大会へ行った。なかなかの規模で、県外からも多くの観光客が訪れた。僕は人混みに揉まれて酸欠になり、花火が頬を照らすのを感じながら、縁石に座って水を飲んでいた。水っ腹になった僕は、何度も仮説トイレに駆け込む羽目になり、花火と小便が本能によって密接に結びついてしまった事が強く悔やまれる。今でもおしっこがトイレの水面に波紋を描くと、花火みたいだなあと罰当たりなことを考えてしまう。

 僕のように一人で花火大会に来ている人は少なかった。時折感じる視線は勘違いではなく、確実に哀れみを含んだ視線だった。その視線のおかげで、家族連れやカップルとは違うんだという優越感を感じることができて気持ちよかった。捻くれ者だと詰られるかもしれないが、彼らはモラルの味方であって僕の味方ではない。ほっとけばいいのだ。

 そんなことをぼんやり考えながら花火を見上げていると、ぼちぼち帰り始める人たちも出てきた。閉会後の渋滞に巻き込まれないよう、ひと足先に帰るのだろう。目の前を無数の足が通り過ぎていく。酸欠でぼやけた視界だと、足が全て同じように見える。きっと彼らは家に帰って同じような会話をするのだろう。幸せな家族、幸せなカップル、綺麗な花火。夏の風物詩だ。僕に夏は似合わないな、と苦笑した。

 ふと、小さい子供に見つめられていることに気づく。一人でニヤついている男が気になるのだろうか。父親に手を引かれた少年が僕をじっと見ていた。まだまだ花火を見ていたいのだろう。頬にはうっすらと涙の跡があり、花火の色を反射して極彩色に輝いている。

 可愛い坊やだ。僕も子供の頃は坊やみたいに可愛かった。今は酸欠で真っ白な顔だが、昔は坊やみたいにピンク色の顔をしていた。坊やもいつか大人になって、縁石でうずくまる時が来るのだろうか。

 僕と少年が見つめあっていることに気がついた父親が、曖昧な会釈をして少年の手を強く引く。その時アナウンスと共に、最後の花火が打ち上がった。

 暗い夜空を切り裂いて花火が広がる。暗がりで座る落伍者も、幸せを噛み締める家族も、皆平等に照らし出す。空の端っこでは、ぽつねんと月が静かに光っていた。

 なんだかその月が僕みたいで、悲しくなってしまった。やっぱり花火大会なんて来ないで、近所の公園で線香花火をしていればよかった。


 打ち上げ花火は怖いほど綺麗だ。しかも思い出の中の花火は一種のミューズのようになって記憶にむしゃぶりつく。しかし僕のような捻くれ者は、華やかな打ち上げ花火より、掠れた美しさのある線香花火が好きなのだ。侘しさが好きなのだ。できる事

なら、線香花火は最後まで燃えないでほしい、途中でポトリとクビを落として欲しい。

 夏が持つ華やかさと、それを支えるための悲しさ。線香花火ではその両方が感じられて非常にお得だ。確か去年の花火大会の帰りに買った線香花火が引き出しの中にあったはずだ。

 15分ほど探すと底の方にペシャンコになった線香花火を見つけた。嬉しくなって小躍りしながら台所へ向かい、一本抜き出すと火をつけた。

 多少湿気っていたが、しっかり火がついた。パチパチとはぜる火花と火薬の匂い、今は2月だが、心は常夏気分だ。

 次々と火をつける。立ち上る煙は部屋に充満し、換気扇のキャパシティを遥かに超えるものだった。そしてついにその時はきた。

 けたたましいブザーと共に火災報知器が叫び始めた。「火事です、火事です‼︎」

 ああ、やってしまった。もう2度と夏なんて来なければいいのに。

 ため息をつきながら僕は部屋の窓を開けた。


 打ち上げ花火といえばピカッと光って消えるものだが、これと似たものがもう一つある。カメラだ。カメラの閃光と同じように、花火はその清い光を持って、僕の影をこの腐った大地に焼き付ける。

 夏がゆっくり落ちていく。こぼれ落ちていく夏の残火に苛まれて。

 ああ、その身を写す鏡に向かって、あたしは今日も対話を願い、泥だらけの石炭を運ぶ。

 おっと危ない、ついついセンチメンタルになってしまった。僕はあまりの煙たさに目をそらしていた部屋と現実に向き合った。

 通報されないだろうか。部屋に来る警察になんて言おうか。

 夏を思い出していましたって言ったら笑うだろうか、泣くだろうか。

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